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『日本のヴァイオリン王』激動の時代を駆けた名職人

峰尾 健一2014年7月19日
日本のヴァイオリン王 - 鈴木政吉の生涯と幻の名器

作者:井上 さつき
出版社:中央公論新社
発売日:2014-05-09
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まったくの素人の身からすると、育ちのいい紳士淑女が幼いころから慣れ親しむ楽器、というのがヴァイオリンに対して持つ勝手なイメージだ。もちろん一般家庭でも習い事などで触れることはできるが、踏み出すには少々ハードルの高い楽器ではないだろうか。

ならば相対的に生活水準が低く、文化も未成熟だった100年前くらいの日本の場合は言わずもがな、と思うところだが、実は明治末期から大正、昭和初期にかけての日本では、ヴァイオリンが現代と比べて遥かに広く大衆に親しまれていた。しかもその多くはなんと国産品だったという。開国後、徐々に流入してきた西洋楽器は庶民の手にはなかなか届かない代物だったが、明治も終わりに近づくと国内で量産化が始まり、安価になったヴァイオリンは一気に日本各地へ普及していった。

その立役者となった、鈴木政吉という1人のヴァイオリン職人が本書の主人公だ。本書は鈴木の生きた幕末から終戦前後までの史料を基に、彼の生涯とそのヴァイオリン製造業の盛衰を様々な視点から捉えた評伝である。

「ヴァイオリン王」ときいて思い浮かぶようなイメージとは違って、鈴木は決して西洋の音楽や楽器に精通していた人物ではなかった。名古屋で家業を継ぎ、貧しい三味線職人として細々と暮らしていた彼は、28歳でヴァイオリンに出会って以来その職人の道へ邁進するが、生涯親しんだ音楽は長唄だった。

一方、楽器職人としては非凡な才能の持ち主だった。当時はヴァイオリン作りの雛形などどこにもなかったが、鈴木は既に出回っていた舶来品を基に見よう見まねで試作品を製作し、独力で完成させたという。そこから耳の肥えた演奏家たちの元へ足繁く通って音色を講評してもらい、フィードバックを得ては改善を繰り返す日々を経て、たった数年で鈴木のヴァイオリンは国内外の博覧会で賞を授かるほどの域に達する。

創業から間もないうちに立ち上げた、ヴァイオリン工場の経営者としても積極的な経営で事業を成長に導く。なかでも飛躍をもたらしたのは、生産工程の一部機械化による大量生産の実現だろう。もちろん当時の日本にヴァイオリン製作機器などないため、自力の開発である。輸入品に負けない価格競争力をつけた鈴木のヴァイオリンは国内のおよそ8割のシェアを握り、工場は拡張され、中国など国外への輸出も始まった。貧しい三味線製造から転身し、創業からわずか10年、20年で日本の西洋楽器産業を牽引する存在へ。体当たりで道なき道を切り拓いてきた鈴木と他のヴァイオリン製造者との違いは、「企業家精神」にあったと著者は言う。本書では、その生き様が脚色のない淡々とした筆致で描かれているが、それでも読んでいてじわじわくるような凄みがある。

もちろんヴァイオリン事業の発展は鈴木の努力や才能だけによるものではない。彼が働き盛りだった頃は日本が急速に近代化、軍国化していった激動の時代。鈴木のヴァイオリンは歴史の波にさらされた。現在とはあまりにもかけ離れた明治末期から大正期のヴァイオリン事情は、ヴァイオリンをたしなむ人にも「知ってた?」と、ニヤニヤしながら聞いてしまいそうなくらい意外で面白い。

興味深いのは、ヴァイオリンの需要が戦争と密接に関係していたことだ。明治20年代になると日本各地の学校で唱歌や軍歌の教育が行われるようになったが、その伴奏に使われたのがヴァイオリンだった。同時期に国産化されていたオルガンやピアノよりも安価で持ち運びやすいヴァイオリンは教育の現場から普及し、日清戦争開戦に始まる軍歌の爆発的流行に拍車をかけられ若者を中心に庶民の間へと広まっていく。当時のクラシック音楽啓蒙書の記述によれば、「田舎の縁日で流行唄を歌う書生までヴァイオリンをキイキイ鳴らす」ほどだったという。

さらに第一次世界大戦が勃発すると、それまでは輸入先だったヨーロッパの国々からも一挙に注文が舞い込むようになる。戦争による貿易停止でもたらされた一過性の特需とはいえ、本場ヨーロッパへ鈴木の日本産ヴァイオリンが輸出されていたとはなんだか誇らしい。品質が世界に認められていた証だろう。最盛期であった鈴木のヴァイオリン工場はこの時1000人あまりの職工を抱えていた。平常時のヨーロッパの工場でさえ、100人を超すものはなかったことから考えるといかに並外れた規模だったかが分かる。しかしそれでも生産は追いつかなかったらしく、工場の中はお祭り状態だったのだろう。

大きく分けて明治編、大正編、昭和編の3部からなる本書は、ここまでで大正編の真ん中くらい。といってもこれは内容のごくごく一部に過ぎず、本書の膨大な情報量からするとほんのわずかしか紹介できていない。急成長から一転、鈴木の会社が失速し倒産にまで追い込まれる晩年を書いた昭和編では、なんとか会社を存続させようともがく姿が同情を誘い、一気に読まされる。人々がヴァイオリンの芸術性や奥深さを知り始めたことで、「機械」「量産」のイメージが定着していた鈴木製品が支持を失っていく様子は皮肉なものだ。気になる方はぜひご自身の目で確かめていただきたい。

晩年は事業から手を引いたが、最期まで理想のヴァイオリンを探求する職人であり続けた鈴木からは、晩節を穢したという印象はまったく感じられない。亡くなる3日前までヴァイオリン製作に打ち込んだ彼は、床に伏してからも弟子にあれこれ指示を出し、「機械のスイッチを切ってくれ」という言葉を最期に息をひきとったという。きっとあの世でもヴァイオリンを作り続けているに違いない。

清々しい人生からは清々しい読後感がもたらされる。本棚に忍ばせて、何かに行き詰った時に読み返したいような一冊だ。