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『天人 深代惇郎と新聞の時代』新聞が好きでたまらない連中が新聞をつくっていた

刀根 明日香2014年10月17日
天人 深代惇郎と新聞の時代

作者:後藤 正治
出版社:講談社
発売日:2014-10-10
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朝日新聞の顔とも言える「天声人語」。様々な名コラニストを生んできたが、深代惇郎もその一人だ。初めて新聞をつくる人の素顔を知って、かっこいいなと思った。同時に、新聞が大好きでたまらない人たちがつくった新聞が広く読まれていた時代があったことを知った。

「昭和」と「新聞」、私にはどちらも馴染みがない。私は平成3年生まれ、物心ついたときからインターネットでニュースを拾っていた。社会人になるのだから新聞くらい読まないと、なんて思うけれども、新聞を読んでもその事件が起こる所以まで行き着かなくて、飽きてしまう。だからネット上のブログやコラムとノンフィクションを読んでいる方が、きっと自分のためになるのでは・・・

でも本書を読めば、新聞記者が生み出す文章が何か特別なものであることを感じずにはいられない。深代惇郎の生涯と、彼を取り巻いた環境、盟友、情勢、すべてが著者の言う「新聞の時代」を物語っている。

深代惇郎 — 1929年4月19日生まれ、1953年、朝日新聞社入社。ロンドン、ニューヨーク各特派員、東京本社社会部次長などを経て、1973年2月15日から1975年11月1日まで、2年9ヶ月の短い間ではあったが、天声人語の執筆者を務めている。入院するまで執筆し、12月17日、急性骨髄性白血病のためなくなった。

味のあるコラムニスト。その源にあるものはなんであったか―。深代が朝日新聞社に入社したのは、昭和28年、終戦から8年後になる。終戦時、深代は中学生だった。当時中学生ということが、どのような意味を持つのか、同じ昭和28年入社の佐伯晋は次のように語っている。

つまり子どもでもない、大人でもない、その中間期で、大人になりかけた感受性の強い自我が出来て、一人前の大人にある人格形成のちょうど真っただ中で激変に際会したわけです。大人になりかけの眼で大混乱と後輩の社会を見つめることになった、やや“特異な世代”なのです。

戦後の「窮乏時代」で人生を再スタートさせたこの世代は、社会に出ても理屈は言わず、与えられた環境のなかで前へ、前へと進んでいった。ただひたむきに働き続けるなかで、時の権力や主義主張やイデオロギーのむなしさをたっぷり味わい、世を見る眼力が研ぎすまされていく。

1970年代、新左翼運動は行き詰まり、過激派の党内間で“内ゲバ”が頻発した。機関誌で公然と殺戮を表明しながら指導部や実行者たちは逮捕されない異常な事態が続いた。この事件を取り上げた深代天人に、警視庁担当の事件記者の間で猛反発をくらったとき、深代はこう言ったことがある。

「君たちは警察の専門家だ。法律的にむずかしいこともよく分かる。しかし、私は専門家の土俵にのぼってはいけないのだ。いつも読者の側に立ち、疑問をぶっつけなければならない。・・・相手の土俵に引き込まれてはメロメロになってしまう。読者はみんな素人だろう。私は素人の議論に徹したい」

このような男の姿勢を、深代の友人である辻謙は「タブーに挑戦する勇気」と「筋の通らぬことに妥協しない気骨」と表している。深代は社会に寄り添い、素人の目線でコラムを書き続けた人であった。社会といっても、多数派の意見を代弁するのではなく、あくまでも1人の個人として思うことを書く。深代が斬りつけた事件は数知れず、しかしどれも時が経っても色あせないのは、知識や教養、文章力に頼らず、すべてその芯にある〈心根〉のせいだろう。

深代は、社の内外、国内外を問わず、実に人とよく付き合っていた。天声人語を書く日々の中でも、寸暇を割いて人と会っていた。横浜支局勤務に始まり、東京本社、特派員としてロンドン、ニューヨーク、さらに、朝日の大型企画「世界名作の旅」のコラムを書くため、名作誕生の地を訪ねるなど、現地で出会った人々は、色濃く深代惇郎のことを覚えている。天声人語でも人物を扱ったものが多いが、深代の「人への飽くなき興味」が本書においても際立っている。

著者が深代惇郎の生涯を通じて、思うことは何か。著者が案じているのは、メディアの多様性という外側の変化ではなく、内側の変化、つまり〈言葉力〉である。言葉の背後には、血の通った1人の人間がいるはずだ。しかし、人間の姿、歴史、思想が伝わりづらい紙面になってきている。

言葉の力とは、記者一人ひとりの取材力と思考力と表現力である。ジャーナリズムはどこまでいってもジャーナリストたちの〈手仕事〉によって担われることは変わりようがない。

「新聞が大好きで仕方がない」人たちが、新聞をつくる。混沌とした情報化社会においても、ものづくりの精神は生きるものだ。過ぎ去りし時代の遺物でも、良いものは後世に残るのは新聞も同じであった。だから、深代惇郎の天声人語は、現在においても読み継がれており、私もこうやって「新聞の時代」を知ることができた。本書を読んで、新聞の価値を初めて知った気がする。また何十年か経ったあと、同じような体験をする若者が果たしているのだろうか。