おすすめ本レビュー

『21世紀の貨幣論』 マネーの思想史

村上 浩2014年10月22日
21世紀の貨幣論

作者:フェリックス マーティン
出版社:東洋経済新報社
発売日:2014-09-26
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 マネーのない生活は想像すら難しい。電車に乗るためにも、ランチを食べるためにも、部屋に明かりを灯すためにも、マネーが重要な役割を果たしている。空気や水のように当たり前の存在だと思われるこのマネー、一体どのように生まれたのか。

マネーが生まれる前の社会から、マネーが発明される様子を想像してみよう。マネー以前の社会では、人々は自分が作ったモノと、自分が必要なモノを物々交換していた。いつしか誰かが、物々交換の非効率性に気がついたはずだ。なんといっても、「自分は欲しいモノを持っていて、かつ、自分の持っているモノを欲しがっている人を見つけ」るのは容易ではない。そして、あるとき他の誰かが特定のモノ、多くの場合は金や銀、を「交換の手段」にすることを思いつく。この「特定の手段」を使えば、どのようなモノとも交換ができるようになり、富の蓄積すら可能となった。

このような「マネー誕生物語」はなんとも説得出来である。古くはアリストテレス、そしてジョン・ロックやアダム・スミスも、マネーの起源をこのようなものだと考えていたという。彼らはその一級の知性に基づいた演繹的思考によって、それぞれが同じ結論にたどり着いたのだが、誰一人として物々交換社会を見たこともなければ、それが存在したという証拠を示してもいない。z実は、そのような物々交換社会は、想像の産物に過ぎない。1980年代には、ある人類学者がこんなことを言っている。

過去の、あるいは現在の経済制度で、貨幣を使わない市場交換という厳密な意味での物々交換が、量的に重要な方法であったり、最も有力な方法であったりしたことは一度もない。

現在でが、「物々交換から貨幣が生まれたという従来の考え方はまちがっているというコンセンサスができあがって」いるという。それでは、本当のマネーの起源はどこにあるのか。本書は、オックスフォード大で経済学博士号を取得し、現在は資産運用会社での債権ストラテジストを勤める傍ら、ジョセフ・スティグリッツ、ジェフリー・サックスなどと共にシンクタンク研究員としても活動する著者が、「マネーの自伝」を綴るように、その歴史を描き出したものである。

本書の特徴は、いろいろな時代・地域の人々がマネーをどのようにとらえていたかに焦点が当てられているところにある。もちろん、中央銀行という「組織」や、債権という「仕組み」などが果たした役割についてもしっかりと記述されているのだが、その組織・仕組みをもたらした思想・哲学への深い考察が、本書を類書とはひときわ異なる存在としている。時代を超越したかのような天才的発想が新たな仕組みを生み出し、マネーのあり方、人々の生活までを変えてしまうさまはなんともダイナミックだ。著者は、現在のマネーに対する見方を一新すべきだと投げかけてもいる。

著者が、マネーとは何か、マネーとはどうあるべきか、という思想面にこだわるのには理由がある。それは、コインや紙幣という物理的存在である通貨そのものはマネーではなく、「信用取引をして、通貨による決済をするシステムこそが、マネー」であるからだ。人々は何を信用するのか、どうすれば信用は増大し流通するのか、という問題はまさに思想、価値観に直結した問題でもある。

もちろん、マネーは単なる信用ではなく、3つの基本要素から成る社会的技術である。その3つとは、抽象的な価値単位の提供、会計のシステム、譲渡性である。この3つが揃っていれば、現代社会でのマネーにとって不可欠と思われる銀行がなくとも、マネーは存在できる。1970年5月、労働組合のストライキにより、アイルランドの銀行はその活動を停止した。経済的大混乱が予想されたが、1ヶ月が過ぎても国民はいつも通りの経済活動を行っていたという。銀行のない社会でマネーはどのように動き続けていたのか。あまりにも身近過ぎて見えにくいマネーの本質は、このような特異点から抽出されていく。

本書には、さまざまな思想家が登場する。その中でも特に目を引くのは、1671年生まれのスコットランド人ジョン・ローだ。若い頃には天才的な数学の才能を活かし賭博で荒稼ぎをしていたというローは、金貨そのものが貨幣であるという誤解が蔓延していた17世紀初頭において、孤高にもマネーの本質を見抜いていた。その思考力だけでなく、行動力においてもローはずば抜けていた。自らのアイディアに基づく金融政策を自国だけでなく、小国のトリノやベネチアにも売り込んでいき、ついには大国フランスで重要なポジションを獲得する。ローの思想は、250年後にやっと終焉を迎える国際金本位制の誤謬を既に見抜いていた。彼はフランスという国そのものを揺るがすほどの影響を与えていくこととなる。

リーマンショックに端を発した世界的金融危機によって、マネー社会の行き過ぎや欠陥が世界中で強く意識された。しかし、市場志向が猛威をふるい、社会に不安が蔓延するという現象は決して目新しいものではなく、2500年以上前にマネーが発明されて以来繰り返されてきたことなのだ。人々はマネーをどのように捉えてきたのか、マネーはどのように社会を変えてきたのかを知ることで、マネーの本質に近づくことができる。マネーはヒトにどのような未来をもたらすだろうか。ヒトは、どのようなマネーのあり方を思考できるだろうか。

ルワンダ中央銀行総裁日記 (中公新書)

作者:服部 正也
出版社:中央公論新社
発売日:2009-11
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マネーの頂点に君臨する中央銀行。経済の崩壊したルワンダの中央銀行総裁に就任した著者が、どのように信用を再構築していったのかを振り返る。遠く離れたアフリカの地で懸命に国を立て直していく著者の姿に胸があつくなる。

国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源

作者:ダロン アセモグル
出版社:早川書房
発売日:2013-06-21
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マネーはどのようなときに暴走し、国家を衰退へと導くのか。制度の面から国家のあり方を考える。鰐部祥平にレビューはこちら

マネーの進化史

作者:ニーアル ファーガソン
出版社:早川書房
発売日:2009-12
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様々な角度から歴史の意外な姿を浮き彫りにするファーガソンによるマネーの歴史。ヒトがどのようにマネーを活用してきたか、本書を併せて読むと新たな姿が見えてくる。