新刊超速レビュー

山の本にはずれなし!『アルピニズムと死』

仲野 徹2014年11月5日
アルピニズムと死  僕が登り続けてこられた理由  YS001 (ヤマケイ新書)

作者:山野井 泰史
出版社:山と渓谷社
発売日:2014-10-24
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HONZでは、鳥本にはずれなし、という格言(?)がある。鳥をあつかったノンフィクションは間違いなくおもしろいというのだ。異を唱えるものではないが、山本(やまもと、じゃなくて、山の本)にこそはずれがない、というのが持論だ。これまで読んだなかで、一冊たりとも、つまらなかった山の本などない。

ヤマケイ、山に関係ない人にとっては何かわからないかもしれないが、登山雑誌『山と渓谷』のことだ。数年前からヤマケイ文庫がでており、HONZいちおしの『くう・ねる・のぐそ』をはじめ、どの本も驚くほどおもしろい抜群のラインアップだ。そして、今回、新書の刊行がはじまった。その記念すべきナンバーワンが、山野井泰史の『アルピニズムと死』だ。

山野井泰史、日本でいちばん有名なクライマーといっていいだろう。沢木耕太郎の『凍』に描かれた登山家、といえば思い出す人がいるかもしれない。2002年、山野井は中国・ネパール国境の山・ギャチュンカンで、下山中に宙づりになったパートナーである妻の妙子を助けるため、指が凍傷で失われることを覚悟の上で、助けに向かう。

一時的に目が見えなくなるなど、文字通り、九死に一生を得て下山するが、二人して計28本もの指を失う。しかし、山野井夫妻は登山をやめなかった。その後にもうひとつ、山野井を有名にしたエピソードがある。自宅のある多摩でトレーニング中にクマに襲われたのだ。殴られたせいで、いまでも鼻でうまく息ができないという。

高地登山には、極地スタイルとアルパインスタイルという二つのスタイルがある。前者が、大規模のパーティーで十分なサポートをおこないながら登るのに対して、後者は、単独あるいは少数で登り切る。山野井は典型的なアルパインスタイルのクライマーだ。

若い頃、山野井は、仲間から『天国に一番近い男』と呼ばれていた。常に高いところにいるからではない。ソロクライミングで危険な事故に遭う山野井は「一番死ぬ確率が高い」と思われていたのだ。そのころのインタビューも掲載されているが、自分でもいうように、実に生意気だ。

山野井が書いた一冊目の本は、ヒマラヤ登山、もちろんギャチュンカンでのできごとも含めて、について記した『垂直の記憶』だ。沢木耕太郎の『凍』もおもしろいが、私は、本人が書いた『垂直の記憶』に軍配をあげる。文章力ではおよばない生の迫力がある。

この『アルピニズムと死』にはいろいろなことが詰め込まれている。若い頃の事故、数少ないパートナーたちのこと、墜落と雪崩の経験、ギャチュンカンでの遭難未遂、クマの襲撃、そして、最近の登山。新書であるから、それぞれの記述は長くない。しかし、ていねいに書かれたひとつひとつの内容が、命をかけた記録が、鋭利な刃物のようにつきつけられる。

山での死は決して美しくない。でも山に死がなかったら、単なる娯楽になり、人生をかけるに値しない。

山野井の登山に対する考えは、ある種の狂気かもしれない。しかし、同時に謙虚である。

限界に思えていた一線を越えた瞬間は表現できないほどの喜びがありますが、大幅に限界を超えてまで生還できる甘い世界でないことを知っているつもりです。

そして、凍傷で計10本の指を失ったことに対してさえ、冷静で楽観的だ。

運動する人間としては致命的にも見える状態ですが、うれしいことも多いのです。そのひとつは、本来ならば肉体の衰えを感じ始める年齢に差し掛かっていたのに、一瞬で小さな子供のような弱い肉体になってしまったので、一般の人が嘆く、衰えを経験しなかったことです。
わずかずつですが、進歩していることが実感できる人生を再び味わえています。

これは、もしかすると幸福なことなのかもしれません。

謙虚さと楽観に裏付けられた狂気ともいえる山への執念。どうしてそのようなものを一人の人間の魂の中に詰め込むことができるのか。こんなすごい男にとっては、天国のような安寧な場所など退屈すぎるだろう。だから神様は、いくつもの試練を与えながら、天国に一番近い男をこの世に生かし続けることにしたに違いない。 

凍 (新潮文庫)

作者:沢木 耕太郎
出版社:新潮社
発売日:2008-10-28
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沢木耕太郎が描く山野井泰史。読み応えあります。

垂直の記憶 (ヤマケイ文庫)

作者:山野井泰史
出版社:山と渓谷社
発売日:2010-11-01
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 山野井が記す自らのヒマラヤでの記録。『凍』と読み比べるのもおもしろい。

星と嵐 (ヤマケイ文庫)

作者:ガストン・レビュファ
出版社:山と渓谷社
発売日:2011-05-23
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山の本を一冊だけと言われたら、この本をあげたい。名著中の名著。