著者インタビュー

著者インタビュー 『桜色の魂』 長田渚左氏 その2

50年前のオリンピックと、次のオリンピックに向けて

東 えりか2014年12月7日

 

桜色の魂~チャスラフスカはなぜ日本人を50年も愛したのか

作者:長田 渚左
出版社:集英社
発売日:2014-09-26
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インタビューのその1では、かっての東京オリンピックやメキシコオリンピックでのベラ・チャスラフスカさんの活躍と記憶を辿った。その2では今のチャスラフスカさんと2020年の東京オリンピックに対する長田さんの思いをお聞きした。

― 今回のチャスラフスカさんが来日されましたが、スケジュールは非常にタイトだったとうかがいました。どれくらい滞在されていたんですか?

長田 約1週間でした。ちょうど台風が来ていて新幹線も飛行機も動かない、という日に九州の大分に行かなくてはならなくて、長時間の移動になってしまいました。気の毒なことをしました。大分には「大分チェコ日本友好協会」というものがあります。大分は単独で活発にチェコと交流を持ち、音楽祭や美術際をいっしょに行っているのです。現在、ホドリンという町と湯布院を姉妹都市する計画が進んでいます。ですから「大分チェコ日本友好協会」の要請を受けて行くことになったのです。

知事に表敬訪問をし、そのあとに県庁でトークショウをしました。100人くらいの方が聞かれ、サイン会は長蛇の列となったのですが、チャスラフスカさんがひとりひとりと丁寧に話し写真を撮り、長い時間をかけました。彼女は非常に誠実な人で、ごまかしとかいいかげん、という言葉を一切持たない人だと思います。

私たちが依頼したことを引き受けたら、懸命にやってくれます。東京の大使館でのレセプションは、大分から帰ってきたばかりでしたが、多くの人がサインを求め並んでくださると彼女は笑顔で答えながら、テーブルの下の足元はヒールを脱いでいました。クタクタだったのだろうと思います。でも写真を撮るとなると、慌てて9センチのヒールを履いて背筋を伸ばしていましたね。とにかくまじめで律儀です。

 

チャスラフスカさん近影

― 二千語宣言を撤回せず、最後まで志を貫く強さは、傍で見ているだけで伝わってきました。だからこそ、うつ病が復帰不可能といわれるほどおもくなってしまったのではないでしょうか?

長田 そうでしょうね。いまだに、お嬢さんが「どうしてあんなになってしまったのか、そしてなぜ復活したのか、私にも説明がつかない」と仰ってます。2008年ぐらいで、薬を捨てたりし徐々に快方に向かい、2009年に遠藤さんの病気が発覚したことで、なんとか彼を助けたい一心で祈り、各方面に相談したりしたことで、だんだん普通の生活に戻れるきっかけになったように思います。チャスラフスカさんは遠藤さんの病気を知って、彼の主治医にまで手紙を書いて助けてくれと頼んでいます。思いの強さに胸を打たれますよ。

― 遠藤さんとは完全な友人関係だ、と彼女は断言していますが、本当に恋愛感情はなかったのでしょうか?

長田 多分、友人として本当に大切だったのだと思いますよ。東京オリンピックのとき、チャスラフスカさんには恋人がいたし、遠藤さんは結婚したばかりですからね。会ったタイミングから考えて、次へのステップはなかったと思います。

ただ、お互いがすごく好きだったのは間違いありません。むしろ恋愛以上の関係だった。なぜなら、遠藤さんは彼女に山下跳びを懸命に教え、彼女もそれに応えるべく練習を重ね自分のものにしてしまう。そして金メダルを取った。この信頼関係はすごいものがあったでしょう。この大会以前は、彼女は跳馬が不得意だったこともありました。それが山下跳びを体得したことによって得意種目となります。一所懸命に練習する姿に日本の男子チームも女子チームも感動し、彼女のことを応援するようになっていくのです。

― 東京オリンピックでは、女子体操団体は銅メダルでした。

長田 当時、女子体操はチェコスロバキアとソ連の二強で、それを抜きに行くことはできませんでした。また3位4位争いも熾烈でしたから、あのとき銅メダルをとれたのは日本女子体操界にとって最高の出来だったのです。今回の本では当時の選手で国会議員でもあった小野清子さんのお力をずいぶん借りました。他の選手の方も、遠くから取材のために上京してくださったりして、自分たちの時代を残すこと、そしてその友情に敬意を抱いた本になることを願っておられました。私は御恩を一つ返したような気分です。

― 私は幼児でしたから、オリンピックについて覚えていることはあまりないんですが、チャスラフスカさんの演技と、東洋の魔女は覚えているんですよ。テレビの前で父が応援している様子は頭に残っていますから。

 

長田 何しろレオタードという露出の多いものを着た美女が足を開いて演技するわけですよ。テレビが普及したことで、動いている美人外人選手を見たら、日本中が固唾をのんだと思います。

― 印象的だったのは美人であることもさることながら、髪の毛を大きなアップに結っていたでしょう?宙返りするときに引っかかっちゃうんじゃないかって幼な心に心配したんですが。

長田 あれは自分で結い上げていたんですって。私も不思議だったので、どうしてあんな髪型だったのかと訊いたら、流行だったんですって。オードリー・ヘップバーンやカトリーヌ・ドヌーブが映画の中で似たようなスタイルをしています。

 

―「ヴェラ68」というドキュメンタリーを見せていただきましたが、最後の場面で現在の彼女が裸足で踊る場面がありますよね。あれは優雅で、昔取った杵柄は衰えないんだなあと驚きましたが。

長田 あれは彼女のサービス精神ですね。今回、NHKの「おはよう日本」という番組に出演したとき、101歳になられた当時の国際審判員の吉田夏さんとお引き合わせしました。40年以上あっていなかったのに、ふたりとも顔を見た途端にお互いがわかり、頭もしっかりしている吉田さんの前で「周りにあるものをどけて!」とベラさんが急に言い出し、いきなり開脚をしてくれたんです。まわりがびっくりしたんですよ。吉田さんに「どう?何点?」って聞くと、吉田さんものって「満点!満点!」って答えてどちらも大サービス。この本を書いたことによって、吉田夏さんがご存命であることが判明し、テレビの力を借りたけど、再会という場ができたのは本当によかったです。

― さて、最後に2020年の東京オリンピックについて長田さんはどう思われますか。

長田 スポーツは文化だ、とわざわざ言うのをそろそろやめてほしいですね。音楽やら美術やらは文化だってわざわざ言う人はいないでしょ。スポーツはスポーツでいいです。見るスポーツ、するスポーツ、ともに人々の生活に密接なんです。オリンピックは見るスポーツの最高峰にあります。「経済効果がある」なんて内向きな話などではなく、世界の手本となるべきオリンピック開催を真剣に模索すべきだと思います。

― 最近では義足や車いすなどが大変発達していて、パラリンピックの記録がオリンピックの記録を抜くのも遠くないのではないでしょうか。競技にもよりますが、一緒にやってみたらどうなんでしょう。

長田 そのとおりで、東京オリンピックから競技によっては健常者と障害者の間の垣根をなくすくらいの大胆な発想があってもいいでしょうね。まずは一緒に練習できる環境を整えてアスリートの魅力をもっと前面に出すべきです。四肢が動かない、あるいは切断されてしまったパラリンピックの選手の体幹の鍛え方、バランスのとり方は間違いなく一般の選手に影響を与えるでしょう。

パラリンピックの発祥はイギリスですが、「パラリンピック」というネーミングを考えたのは日本人でした。昔は脊髄を損傷すると、床ずれによって多くが亡くなっていたとも聞きます。その後、時代は変化して、障害のある人にとっても、スポーツは自己表現以上のものになってゆきます。

今回のオリンピックに対する姿勢とか根本的な思想が希薄な気がするんですよ。上滑りな言葉で説明するのではなく、おもてなしすることが目的ではないし、安心な日本をアピールするのではなく、スポーツの祭典をどうするのか、オリンピックの価値は何なのか。多種多様性をもう一度見つめることから始めたいですね

* ここでニュースが飛び込んだ。2015年1月2日 21:00からNHKBS-1でチャスラフスカさんのドキュメンタリー映画『Věra 68』 (2012)の放映が決まったそうだ。激動の半生を生々しく辿った作品で、大変面白かった。興味のある方は是非。

 

 

長田渚左さんと『オシムの言葉』の著者で東欧情勢にも詳しい木村元彦氏とのトークショウが12月10日(木曜日)19:30~池袋ジュンク堂で開かれる。

★入場料はドリンク付きで1000円。当日、会場の4F喫茶受付でお支払いくださいませ。
※トークは特には整理券、ご予約のお控え等をお渡ししておりません。
※ご予約をキャンセルされる場合、ご連絡をお願い致します。(電話:03-5956-6111) 

■イベントに関するお問い合わせ、ご予約は下記へ
ジュンク堂書店池袋本店
TEL 03-5956-6111
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