HONZ客員レビュー

『孝謙・称徳天皇』by 出口 治明

出口 治明2014年12月17日
孝謙・称徳天皇:出家しても政を行ふに豈障らず (ミネルヴァ日本評伝選)

作者:勝浦 令子
出版社:ミネルヴァ書房
発売日:2014-10-10
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意欲作の多いミネルヴァ日本評伝選の1冊である。異例の女性皇太子を経て即位、恵美押勝の乱に勝利し、道鏡を用いて仏教を基軸とする政治を推進した奈良時代最後の天皇を描いた力作である。専門書に近い内容で簡単に読み進める訳ではないが、この個性的な女帝の評伝としては本書の右に出るものはないのではないか。

奈良時代は女帝の世紀と呼ばれたりするが、持統、元明、元正、孝謙・称徳と続く系譜を見ると、それぞれに個性的でたくましい女性が続いていることに改めて驚かされる。到底、中継ぎなどではあり得ない。この他に、孝謙・称徳の母、光明子や、祖母、県犬養橘三千代の活躍振りを考え合わせると、この時代は、わが国の長い歴史の中でも、女性が最も輝いていた時代の1つであると思われる。それは何故か。

当時の東アジア世界は、大唐世界帝国がすべてを牛耳っており、かつ奈良時代に先立つ半世紀(655年~705年)の唐の政治を動かしていたのは英明な武則天であった。身近なロールモデルとしての武則天を抜きにして、奈良時代の女帝は語れないと思われる。天皇・天后として高宗と二聖政治を行なった武則天は、また仏教を活用し龍門の石窟に毘盧遮那仏(東大寺の大仏と同じ)を収めた。そして、自らを弥勒菩薩の化身と称し、そのことを記した大雲経を納める大雲経寺(わが国の国分寺のモデル)を全国に創らせた。そして、最後に性を超越して自ら皇位に登ったのである。

本書は10章から成る。阿倍女王の出生(第1章)から、弟の夭折と母である光明子の立后(第2章)。光明子の立后に際して長屋王の変が起こる。この時代は一方で熾烈な権力闘争が行なわれた時代でもあった。父、聖武は阿倍内親王の立太子を進める(第3章)。阿倍皇太子は五節を舞い、女性皇太子を克服すべく、武則天の「方便の女身」「菩薩の化身としての女身」説に魅かれていく(第4章)。そして、孝謙天皇の誕生。ここでは、政権を担っていた藤原仲麻呂との関係についての分析がやや少ないと思われた(第5章)。

在位10年で孝謙は譲位して出家する。しかし、淳仁天皇に能力はない。孝謙は太上天皇として宣命第27詔で「国家の大事賞罰二つの柄は朕行はむ」と宣言する。胸のすくような力強さ。これに危機感を抱いた仲麻呂(恵美押勝)は乱を起こすが敗死する(第6章)。孝謙は重祚して称徳天皇となり、道鏡をパートナーに(法王に任命)政治に邁進する(第7章)。

称徳は仏教を優先したが、神道や儒教への目配りも忘れなかった。西大寺、西隆寺の造営が行なわれる(第8章)。称徳は父、聖武から皇位継承者決定の全権を付託されたと認識していた。そこで道鏡法王と聖徳太子法王とのイメージの融合をはかり、道鏡への譲位を試みるが、宇佐八幡の神託により称徳の夢思は頓挫する(第9章)。

第10章では、総括が述べられる。「女性天皇をスキャンダルまみれに伝えることで、負の記憶として定着させていった」「女帝は道鏡との男女の関係におぼれた愚かな要女という図式で描かれていった」「女性天皇を否定的に揶揄する言説は中国で唯一女性皇帝となった武則天を悪女として非難する言説と同じ構造を持った」。何という男の陰湿さ。

口絵に孝謙の字が掲載されているが、凛として力強い。古事記の天照は間違いなく持統がモデルであり、聖徳太子信仰にも光明子や孝謙・称徳の影が色濃く投影されている。神話や伝承を含めて日本という国を創り上げたのは実は彼女達なのだ。武則天を含めて7世紀から8世紀にかけての女帝の世紀は根底から見直す必要があるのではないか。 

出口 治明
ライフネット生命保険 CEO兼代表取締役会長。詳しくはこちら

*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。