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『私は中国の指導者の通訳だった』日中友好に奔走した対日工作員 最後の証言

佐藤 瑛人2015年5月6日
私は中国の指導者の通訳だった――中日外交 最後の証言

作者:周 斌 翻訳:鹿 雪瑩
出版社:岩波書店
発売日:2015-02-26
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中国に関する書籍は数あれど、本書は出版までの経緯からしてユニークだ。テーマは戦後の日中関係についてであり、中国人の著者が中国人の読者を想定して書いたものである。だが守秘義務の関係で何度も検閲が入り、香港を除き未だ中国本土では発売されていないという。そんな曰く付きの一冊がこの度日本語に翻訳され、中国に先んじる形で出版されることになった。

著者は北京大学で日本語を学び、対日工作のために共産党によって育て上げられ、日中双方の首脳の通訳を務めるまでになった、中国における日本語研究の第一人者である。

これまでに通訳として関わった要人は、中国側は周恩来、華国鋒、鄧小平、林彪、胡耀邦といった共産党の大物がずらりと並ぶが、日本側も、田中角栄、大平正芳、三木武夫、福田赳夫といった歴代首相が顔を揃えている。まさに日中首脳外交の現場を生で目撃し、双方の政治家達の意思疎通を担ってきた生き証人と呼ぶに相応しい。

日中戦争の直前に本土で生まれた著者は、4歳にして両親を失い戦争孤児となる。父親は日本軍によって爆殺され(後年、生き延びていたことが判明する)、幼少時代に共産党の抗日ゲリラ部隊が日本軍に惨殺される様を間近で目撃し、何よりも日本を恨んでいた著者だったが、北京大学に入学した際、党側の決定に従って半ば強制的に日本語を専攻させられることとなる。

最初は気乗りせず勉学にも精が出なかったが、党側から反省を促されて猛勉強を始め、大学一年の終わりには日本語で3万字もの自伝と一家の歴史を書き上げる。結果として著者は大学を優秀な成績で卒業し、共産党外交部に日本語通訳として配属させられた。

そこから日本語のスペシャリストとして著者が関わった濃密な歴史の現場の数々が明らかにされる。

訪中した自民党の大物、松村謙三の娘が現地で具合が悪くなり、彼女に付き添って医者を訪れた著者は、中国人医師の「月経は正常ですか」という質問をうまく訳せず、「女性に一ヶ月に一回来るものは正常ですか」と訳して娘に笑われたという微笑ましい話から、粛正ムードの漂う文革の最中に林彪の通訳をした際、健康状態が著しく悪化した林彪の様子をうっかり仲間内の宴席で話してしまったため、解放軍に呼び出されて尋問を受け、危うく投獄されそうになるというスリリングなエピソードまで、臨場感を持って描き出される。

日本人読者として読んでいて面白いのはやはり田中、大平が訪中し、日中国交正常化を樹立する際の交渉の場面だ。共産党側からすれば、日本による台湾との国交の破棄は決して譲れない条件だが、国内に反共親台派を多く抱える田中らも、自らの政治生命を危険に晒すような決断を勝手に行うわけには行かない。

共同声明の内容に関する両国の意図は平行線を辿り、このままでは日本側は何ら成果を挙げること無く帰国しなければならないかに思われた矢先、万里の長城を観光していた大平は、姫鵬飛(中国側の外相)に「二人だけで車の中で話がしたい」と切り出す。日本側の通訳が同行しなかったため、著者は両国外相が乗る車にただ一人の通訳として乗り込み、膠着状態を一気に抜け出す大平の提案を姫に対し訳すこととなる。

端的に言えば、本書は第二次世界大戦の負の遺産を清算し、日中友好の新しい時代を作り上げようと奮闘した両国の大物達の知略と駆け引きをまとめた目撃談とも言える。著者は駐日中国大使館の通訳や、東京大学の客員教授などの立場で通算10年以上を日本で過ごし、47都道府県の全てを訪れたという。両国を良く知る人間として著者は、「自分を生み育ててくれた祖国と人民を熱愛するとともに、第二の故郷である日本と日本人民に深い親しみの感情を抱いている」と述べる。

本書が香港で出版されたのは2013年であり、日中外交は近年で最悪の状況を迎えていたが、そんな中でも著者が両国の関係に投げかける視線は楽観的だ。

「二千年にわたる交流があり、今日の世界で格別重要な位置を占め、影響力の大きい中日両国は、子々孫々まで友好交流を続けていくべきであるだけでなく、それは可能なこと」であるとして本書を結ぶ。

激動の時代に両国の政治家がともに国内に反対派を抱える中、知恵を絞って友好を形にしていく場面をもっとも近い場所で体験した著者には、あのときの精神が今でも息づいているのだろう。

現在でも中国本土での出版には至ってないものの、日本の政治家を高く評価し、両国友好の重要性を説く本が、共産党員によって出版されたという意義は大きいだろう。少しでも多くの両国民に読まれることを願うばかりである。