「解説」から読む本

『二重螺旋 完全版』訳者あとがき by 青木薫

青木 薫2015年5月29日

世界を震撼させたドキュメントには、失われたピースが存在した。行方不明になっていたクリックの書簡、そして貴重な資料写真や図版を加えて、「分子生命学の夜明け」が再び蘇る。なぜ今、『二重螺旋 完全版』なのか? その出版までの経緯を、翻訳者の青木薫さんに解説いただきました。(HONZ編集部)

二重螺旋 完全版

作者:ジェームズ・D・ワトソン 翻訳:青木 薫
出版社:新潮社
発売日:2015-05-29
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1953年の2月28日、ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックは、DNAの二重螺旋構造を発見した。 それから15年後の1968年に、ワトソンはそのときの成り行きを綴った『二重螺旋』を発表する。そこに描かれていたのは、いまだ第二次世界大戦の爪痕の残る欧米を舞台とし、生命科学の景観を変えることになる発見をめぐるドラマだった。

物語の幕開けは、1951年の春。生命の謎を解きたいという野心を抱く、23歳のアメリカ人ジム・ワトソンは、たまたまナポリで開かれていた高分子学会に参加した折に、ロンドン在住の物理学者で、X線によるDNAの構造解析という先駆的な仕事に取り組んでいたモーリス・ウィルキンスの存在を知る。ウィルキンスの講演を聴き、その写真を見たワトソンは、研究の標的としてDNAに狙いを定める。その後イギリスに渡った彼は、歴史ある大学の街ケンブリッジと恋に落ち、盟友となる物理学者フランシス・クリックと出会う。

ウィルキンスとクリックがともに物理学者だったことは、単なる偶然ではない。その5年前に、エルヴィン・シュレーディンガーが発表した著作『生命とは何か』に触発されて、生命科学の分野に物理学者たちがなだれ込んでいたのである。イギリスでは、ケンブリッジ大学キャヴェンディッシュ研究所でローレンス・ブラッグが、ロンドン大学キングズカレッジではジョン・ランダルが、生物物理学という新しい分野の世界的センターを立ち上げつつあった。

一方、大西洋を挟んだアメリカでは、イタリア人の微生物学者サルバドール・ルリアと、ドイツ人の物理学者マックス・デルブリュックの二人組が、いわゆる「ファージ・グループ」を立ち上げ、遺伝学を大きく進展させていた。そしてなんといっても、アメリカにはライナス・ポーリングがいた。今や脂の乗りきった天才ポーリングが、タンパク質の構造という問題に目を向けたのだーー当時、タンパク質こそは遺伝という現象の物質的基礎だろうと多くの人が考えていたのである。だが、タンパク質がどんな構造を持つのかは見当もつかず、そもそも明確な構造があるのかどうかさえも定かではないという混沌とした状況にあった。 そこにポーリングが颯爽と登場し、あたかも魔術師のように、アルファヘリックスを取り出して見せたのである。

このような状況を舞台として語られる『二重螺旋』は、ブラッグが寄せた序文にあるように、クライマックスに向かってどんどん緊張の高まる、スリル満点の読み物になっていた。

ワトソンのその著作が刊行されてから40年あまりの時を経て、このたび本書『二重螺旋 完全版』(原題 THE ANNOTATED AND ILLUSRATED DOUBLE HELIX)が生まれることになったのは、編著者による序文に説明されているように、シドニー・ブレナーがコールドスプリングハーバー研究所文書館に寄贈した書類の中に、紛失したものと思われていたフランシス・クリックの貴重な書簡類が発見されたのがきっかけだった。

フランシス・クリックの伝記の著者であり、生物学の分野で優れた著作を多数発表している科学ジャーナリストのマット・リドレーは、このたびの発見は、ニュートン、ダーウィン、アインシュタインの埋もれていた手紙の束が見つかったことにも匹敵するとしたうえで、この発見でスポットライトが当たったのはウィルキンスであるが、それと同時に、ワトソンの記述の正確さが裏付けられたと指摘している。

本書の編著者たちも、まさにその記述の正確さという点に感銘を受け、このたび見つかった書簡類だけでなく、同時代人たちによるありとあらゆる種類の記録を、手に入るかぎり見てみたくなったという。その調査から、一見すると勝手気ままに書いているかのようなワトソンの記述には、 さまざまな資料の微細なニュアンスまでが、丹念に反映されていることがわかってきたのである。

ワトソンが、本のタイトルとして『正直ジム』を考えていたことはよく知られているが、私はようやく、そこに込められた意図が飲み込めた気がした。自分の見たこと感じたことを正直に書けば、波風も立つだろう。だが彼は、あえてそうすることにした。その目的は、ワトソンによる原著の「はじめに」に明記されている。彼は、科学がどのように「行われているか」ということが、いまだ世間一般にはほとんど知られていないことを、大きな問題だと考えていたのである。

ワトソンのこの問題意識は、今日ではとくに驚くべきことではない。というのも、とくに20世紀の後半に、科学の威力をまざまざと見せ付けられた結果として、科学的知識はいかにして得られるのか、科学の現場では何がどのように行われているのかということそれ自体が、学術研究のテーマとなっているからだ。だが、当時はそうではなかった。教科書でもなければ歴史書でもないーークリックの言葉を借りれば「ゴシップ」だらけのーーその本は、科学者を震撼させ、とりわけ本文に描かれた人たちを困惑させた。

ワトソンが立てた衝撃波に対する応答のひとつに、『二重螺旋』の中で印象的なヒール役を演じているエルヴィン・シャルガフが、『サイエンス』に寄せた厳しい書評がある。シャルガフがとくに問題視したのは、マックス・ペルーツがMRCのレポートをクリックとワトソンに見せたことだった(補遺5)。シャルガフはそれをあるまじきことだとしたのである。

しかしこの一件は、もう少し大きな文脈でとらえたほうが生産的だろう。そもそもなぜ、同じMRCのユニット同士であり、同じ機関から研究費を得ていた二つのグループのあいだで、共同研究ができなかったのだろうか? 実際、たとえば筋収縮の研究では、キングズカレッジの生物学者 ジーン・ハンソンと、本書にも登場するキャヴェンディッシュの生物物理学者ヒュー・ハクスリーとが、実り多い協力関係を作り上げているのである。真の問題は、キングズカレッジでは同じグループ内ですらまともに口もきけないほどの深刻な亀裂が生じており、キャヴェンディッシュとの共同研究どころではなくなっていたことだった。今ではその遠因が、ランダルの不手際にあったことが明らかになっている。(第2章)

今日の目から見てむしろ解せないのは、ワトソンとクリックが三本鎖模型で大失態を演じたのち、DNA研究のモラトリアム(一時停止)を命じられたことのほうだろう。 なぜその程度のことで、研究をやめさせられなければならなかったのか? 実はこのモラトリアム命令の背景には、 第二次世界大戦後のこの時期、イギリスでは研究資金が非常に乏しかったという事情があった。同じMRCの研究ユニットである以上、戦略を共有して人的、金銭的資源を効果的に配分するために、ユニットのリーダーたち(この場合はブラッグとランダル)は、厳しい調整を余儀なくされていたのである。(第14章)

ワトソンとクリックはモラトリアムを命じられるとすぐに、分子模型作りに役立ててもらおうと、キャヴェンディッシュで作成したジグを、キングズカレッジに届けた。ウィルキンスは最晩年に発表した思索的な自伝の中で、この二人の「非常に寛大で重要な協力」のことを、「われわれの研究も、かくあるべきであったという見本」として称えている。いかにもウィルキンスらしい高潔な見方ではあるが、私の目には、この二人の行動は少々違った色合いに見える。このシーンは、ポーリングを出し抜いてやろうという大胆不敵な二人組(ひとりはまだ博士号も取っていない 研究生、もうひとりは「元バードウォッチャー」のポスドク)が、DNAのX線構造研究の第一人者であるウィルキンスに向かって、「ポーリングに追いつかれてしまうよ! お願いだから模型作りをやってみて!」と、懸命にアピールしている図に見えるのである。この作品をスリル満点の読み物にするうえで、ポーリングの存在が大きく貢献しているのは間違いないだろう。

ところで、DNAの二重螺旋構造が提案されてからも長きにわたり、シャルガフやドナヒューら、これを認めない人たちがいたことに、私ははじめかなり驚かされた(18章、28章)。しかし、あらためて考えてみれば、そもそも化学結合論的にはいろいろな結合がありうるのに加え、 単体の核酸を使った実験ではさまざまなタイプの水素結合の存在が知られていた。さらに現代では、生体内でさえAT、GC以外の塩基対が形成されうることが知られているのである。つまり、シャルガフやドナヒューのような厳密主義者の主張は、ある意味では正しかったのだ。模型がひとつ作れたからといって、それが答えだとは言えないという指摘には、一理も二理もあったのである。

むしろ驚くべきは、ワトソンと模型作りを始めるにあたって、クリックが立てた基本方針のほうだろう(第12章)。クリックは、「模型に組み込む実験データは最小限にとどめる」という方針を立てたのだ。数値も解釈も変動しかねない実験データの数々に拘泥しすぎれば、何もつかみ取れはしない、と彼は考えたのである。当時、いったいどれだけの人が、このような方針を立てえただろう。ワトソンの言う通り、クリックはやはり、ポーリングにもっとも近い資質の持ち主だったのかもしれない。いずれにせよ、 DNAの構造解明は、「最初に模型ありき」というかたちで進展したという事実は、心にとどめるべきだろう。

そのこととも関係するが、二重螺旋の発見に至る冒険の精神は、「真理は美しいだけでなくシンプルでもあるはずだ」という信念に支えられていたとワトソンは述べている。 実際、「真理はシンプルであるはずだ」という思想は本書に通底し、重要な局面でしばしば表面に浮上してくる。物理学者なら、そんなことは当たり前だろうと思うかもしれないし、二重螺旋構造が発見されてからは、生物学の世界にも、生命の原理はシンプルかつエレガントであってよいという思想が広がっているように見える。だが、かつてはそうではなかった。「有機的な」という言葉は、今でも「簡単な説明を拒絶する複雑精妙なもの」といったニュアンスの形容詞として広く用いられているが、当時はそれが生物学の常識でもあったのだ。『二重螺旋』は、その常識に対する、ワトソンとクリックの果敢な挑戦の記録と見ることもできよう。

そして実際、「生命とは何か」という問いに対する答えは、彼らの発見を境に大きく変容した。それ以前、生命とは、人間に語りうるありとあらゆることであった。それ以降、それは十三歳の子どもにも語れるものになった。二重螺旋を発見した直後に、クリックが息子のマイケルに宛てた手紙の、その部分を訳出しておこう。(補遺1)

ジム・ワトソンと私は、もっとも重要な発見をしたのではないかと思う。……いまや私たちは、DNAは暗号だと信じている。つまり、塩基(文字)の並び方が、 遺伝子の違いを生じさせているということだ(印刷されたひとつのページが、他のページとは違うのと同じように)。自然が、どんなふうに遺伝子を複製しているのかもわかる。なぜなら、二本鎖がほどけて二つの一本鎖になり、それぞれの鎖から別の鎖ができれば、AはつねにTと、GはつねにCと結びつくのだから、一つだったものが二つになる。別の言葉でいえば、生命から生命が生じるときの、基本的な複製のメカニズムを見つけたと思うのだ。……私たちが興奮するのも無理はないだろう。

19世紀に誕生した進化論は、創造説に対する科学からの代案だった。そして20世紀、二重螺旋構造の発見は、 生気論に対する科学からの代案だった。対案があることそれ自体に、はかり知れないほど大きな意味がある。そしてわれわれは、これら二つの根源的な問いに対する、科学からの答えが生まれ出る過程を、当事者によるドキュメンタリーとして読むことができる。進化論がかたちをなすプロセスについては、ダーウィンの『種の起源』として。そして二重螺旋構造が立ち上がるありさまについては、ワトソンの『二重螺旋』として。私にはそれが、とても貴重なことに思われるのである。

ここで翻訳の経緯について簡単に述べておきたい。しばらく前のことだが、私は既存の邦訳書『二重らせん』(講談社文庫)を原文対照で読みなおす機会があり、いくつか重要な部分での原文との食い違いや全体としての印象の違いに驚くとともに、原著の魅力に目を開かされることになった。なお、ロザリンド・フランクリンについて言えば、ワトソンの本が世に出ると、強烈な存在感を放つフランクリンに世間の注目が集まった。その後、彼女の友人であり、 短編小説の作家でもあったアン・セイヤーが、いくつかの重要な事実誤認を含む著書『ロザリンド・フランクリンと DNA』を発表し、結果としてフランクリンに「悲劇のヒロイン」の看板を背負わせてしまった。セイヤーとしては良かれと思っての行いだったにせよ、これは残念なことであった。不当に非難された関係者にとっては災難だったし、なによりフランクリンに、そんな看板は似合わない。分子生物学者にして医師であり、小説家であると同時に優れた科学ノンフィクションの書き手でもあるフランク・ライアンは、セイヤーの著書は、むしろ科学者としてのフランクリンを傷つけるものだとして厳しく批判している。

そうしたことへの自分なりの問題意識もあって、私はワトソンのこの作品を、いつか自分で訳すことができたらと思うようになった。そんなわけで、新潮社から翻訳の打診をいただいたときは、即座に「ぜひやらせてください」と お返事をした。しかし私が訳したかったのは『二重螺旋』であり、ガンとウィトコウスキーによる膨大な注釈を含む本書は、正直なところ、少々荷が重く感じられた。ところが蓋を開けてみると、これがとても面白かったのである。二人による、科学あり歴史あり「ゴシップ」ありの注釈は、 ワトソンの本を鮮やかに現代に蘇らせたといえるだろう。 編著者のひとりであるガンは、アメリカ人で分子生物学者。 もうひとりのウィトコウスキーはイギリス人で、主な研究分野は、ヒトの分子遺伝学、科学社会学、近現代の実験生物学史であり、プライベートでは高い技術を持つロッククライマーだという。読者のみなさんには、この二人の案内で、『二重螺旋』の世界を存分に楽しんでいただきたいと思う。

翻訳にあたっては、注釈および付録の部分を常岡夕起子さんにお手伝いいただいた。また、息子の青木航(京都大学大学院農学研究科 生体高分子化学研究室 助教)には、 ひとかたならぬ世話になった。とくに終盤、訳文と背景理解について数日にわたり議論してもらったことは、気力体力ともにハードな経験ではあったが、非常に有益だった。

最後になるが、本書に引き合わせてくださった新潮社の北本壮氏と、完成までご尽力くださった企画編集部の葛岡晃氏、校閲部の田島弘氏に、心より感謝申し上げる。

2015年春 青木 薫