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近代合理主義を育んだイギリス人が、世襲の君主制を支持しつづけるのはなぜか?
『ふしぎなイギリス』著者インタビュー 

現代ビジネス2015年6月11日

知られざる大英帝国の姿を描いた『ふしぎなイギリス』。著者の笠原敏彦氏は、毎日新聞外信部で活躍した国際派ジャーナリストである。ロンドン特派員(1997~2002年)、欧州総局長(2009~2012年)を歴任し、イギリス王室や議会政治に関する数多くの記事を書いてきた。日本人にとって身近な国であるイギリスだが、笠原氏によると、その現実の姿は、日本で一般的に認識されているイメージとは似ても似つかぬものだという。ベテラン記者が明かした、知られざるイギリスの実像とは・・・・。

ふしぎなイギリス (講談社現代新書)

作者:笠原 敏彦
出版社:講談社
発売日:2015-05-20
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Q:ウィリアム王子とキャサリン妃の第二子誕生に、保守党が予想外に善戦した総選挙と、このところイギリス関連のニュースが日本のテレビや紙面を賑わせていますね。その最中にタイミングを図ったかのように『ふしぎなイギリス』が刊行されました。用意周到に刊行時期を狙っていたかのように見えますが…。実際のところはどうなのでしょうか?

笠原:いえ、たまたまです。今から3年前になりますが、2012年春に2度目のロンドン赴任から帰国した後、特派員生活の集大成の意味を込めて、出版の準備を始めました。その際、イギリスから持ち帰った本や資料を読んで情報を整理するのに1年、原稿を書き上げるのに2年はかかるだろうと漠然と考えていました。ほぼそのスケジュールに沿った訳ですが、なんのことはない、最後は「締め切り」に間に合わせて仕上げたというだけです。

『ふしぎなイギリス』著者・笠原敏彦氏

Q:どうしてこの本を書こうと思ったのですか。

笠原:動機は2つあります。まずは、日本で一般的に認識されているイギリスの姿と、特派員生活を通して皮膚感覚で知ったイギリスの姿が、あまりにかけ離れていたことです。日本は明治維新以降、イギリスの産業や政治システムなどを学ぼうとその後ろ姿を追いかけ、近年でも、「2大政党制」や「マニフェスト選挙」などの模倣に熱心です。しかし、現地でイギリスの政治システムの実情を知ると、その社会的土壌の違いから日本に根付かせることは無理だということが、分かります。それでも懲りずに、日本がイギリスをモデルにしようとすることに、大きな違和感を持っていました。だから、まず、イギリスの「実像」を知ってもらいたい、という思いがありました。

もう一つは、イギリスがグローバリゼーションの最先端を行く国であり、どの先進国よりも、グローバル化がもたらす多くの「負の側面」に直面しているという現実です。格差拡大や移民急増による社会の不安定化、多文化主義の行き詰まり、民主主義の機能不全などです。こうした問題は、日本を含む各国で今後、深刻化していくことでしょう。現代のグローバリゼーションは、「自由」というOS(オペレーション・システム)で駆動するイギリスとアメリカ、2つの「アングロ・サクソン国家」が主導してきたわけですから、イギリスがその最先端を行っているのは当然です。そのイギリスが、様々な問題で悪戦苦闘闘しながら解決策を模索する姿を伝えたいと思いました。 

Q:シャーロット王女誕生にあやかって、大分県のサル山で生まれたメスザルがシャーロットと命名されました。こんなニュースが世を賑わすのも、イギリス王室に世界的な人気があるがゆえのこと。イギリス国民のみならず、世界中の人々が熱狂するのはなぜなのでしょうか?

笠原:イギリスという国が持っているブランド力の為せる業だと思います。そのブランド力とは、産業革命を興した国、大英帝国の栄華、ピーターラビットやふしぎの国のアリス、最近ではハリー・ポターというファンタジーの世界、シェークスピアやシャーロック・ホームズの文学的世界、ビートルズやローリング・ストーンズなどのポップカルチャー、サッカーやゴルフなどのスポーツを生んだ国という、諸々な要素が築き上げてきたものです。イギリスが持つこうしたソフトパワーが、多くの人々にイギリスへのちょっとした憧れを抱かせているのではないでしょうか。

イギリスという国が積み上げてきた文化的蓄積、歴史的に紡いできたストーリーがこの国のイメージを形作り、その歴史と伝統を象徴するのが、王室に他ならないということです。イギリス国内的にみれば、ウィリアム王子の成婚が外国でも大きな関心を呼んだように、対外的にアピールする王室は、国民にとってプライドをくすぐりもする。世界中で何十億人が結婚セレモニーのテレビ映像を見たといえば、国民は悪い気がしないでしょう。王室はある意味で、イギリスを世界に発信する広告塔の役割も果たしているのです。

ここから先は恐らく、人間心理の深い部分に関わることだと思います。突き詰めれば、物心がついたばかりの子どもたちがなぜ、プリンスやプリンセスのお伽噺の世界に惹かれるのかということです。人々が権威を畏怖し、なぜセレブ的なものに心惹かれるのかということです。理性的なものの対極に位置する、人間心理の深い部分に関わることではないでしょうか。

Q:常々疑問に思ってきたのですが、世界の範たる議会制度を生み出し、ノーベル賞受賞者を多数輩出し、きわめて理知的かつ合理的な思考を持っているイギリス人がなぜ、前近代の象徴ともいえる君主制をいまだに支持し続けるのでしょうか。近代合理主義と君主制はおよそ両立しうるものとは思えませんが……

笠原:イギリスは保守的な国です。「保守的」が意味することは、漸進的な改革をよしとする、ということです。この国では、名誉革命(1688年)を経て現在の立憲君主制の基礎が確立されますが、その要諦は、国家の「権威」と「権力」を分離することです。国王が、「権威」を代表し、首相(内閣)が時々の「権力」を担う。イギリスは、今年800年を迎えるマグナカルタ(大憲章)制定以来、王権を徐々に制限し、最終的に国王から「権力」を切り離したという歴史的経緯があります。まさに、漸進的な改革の帰結が現在の「君臨せずとも統治せず」という立憲君主制なのです。 

また、歴史的な教訓から身につけた共和制への懐疑心も、関係しているようです。イギリスでは、清教徒革命(1649年)で国王チャールズ1世を処刑し、クロムウェル率いる共和制へ移行しましたが、その政府は独裁色を強め、共和制の実験はわずか11年で失敗しています。また、フランス革命がその後の独裁政治につながったことを「反面教師」にしてきたとも説明されます。

イギリス人にとっては、立憲君主制が合理的かどうかという前に、漸進的に改革を進める中で制度として機能してきたという自負がある。戦争に負けて、外国に統治制度を変えられることもなかった。現在の立憲君主制は、経験主義を重んじるイギリス人のバランス感覚が鍛え上げてきた制度と言えるのではないでしょうか。

Q:象徴天皇制を敷く日本と同様、エリザベス女王が実際の政治に与える影響は形式的・儀礼的なものですが、それでも、日本に比べると、ある局面においては深く関与する余地が残されているように感じました。実際、スコットランド独立の住民投票の直前のエリザベス女王の発言が投票結果に影響を与えたといわれています。政治との関わり合いは、英国王室と日本の皇室ではどのような違いがあるのでしょうか?

笠原:まず、イギリスは立憲君主制ですが、国民主権の国でも国王主権の国でもありません。その在り方は「議会主権」と呼ばれる独自なものです。簡単に言うと、議会が制定した法律は国王も含め何人も否定できないという制度で、国王主権と国民主権の中間的な制度だと説明されます。一方で、政府は「女王の政府(国王の政府)」と呼ばれ、首相は国会開会中、毎週一回、女王に謁見し、時々の時事、外交問題を報告しています。この場で女王と首相が何を話し合ったのかは、決して明るみにでることがありません。ここからは推測になるのですが、例えば、女王がある政策に不満な場合、何度も似たような質問を繰り返したり、沈黙したりすることなどで、自らの考えを首相に示唆することは可能です。「政治への不介入」が大原則ですから、さすがに直接的な見解の表明はないのでしょう。しかし、女王が反対していると悟った首相が考えを修正する可能性は否定できません。

一方で、大きな決断を行う際の首相は孤独であり、首相によっては、決して表に漏れない女王との謁見は、良き「相談の場」となっている、という声もあります。メージャー元首相は、毎週の謁見は「健全な」政府運営に死活的に重要だったと振り返っています。女王は歴代12人の首相と毎週の面会を繰り返し、毎日、政府文書や外交機密に目を通しています。言ってみれば、戦後イギリス政治の細部を知り尽くしている、「生き字引」とも言えます。ですから、首相の考え方次第では、女王との謁見を心強く感じる場面があってもおかしくないのかな、と想像してしまいます。いずれにせよ、女王は、この2人きりの謁見という「ブラックボックス」を通して間接的に政治に影響を与えることは可能のように思えます。

これに対し、第2次世界大戦後の日本では、言うまでもなく、天皇はあくまで国家の象徴であり、イギリスのような立憲君主制ではありません。

Q:本書には知られざるイギリスの姿が多数紹介されていますが、なかでも私が驚いたのは、イギリスでは、政権交代が文字通り一夜にして行われることでした。投票日の翌日には首相官邸の主が入れ替わる。しかも、その交代の仕方が凄い。次期首相であっても、エリザベス女王との謁見を経て首相に承認されるまでは、一民間人として扱われて、バッキンガム宮殿に向かう車両には、警官による護衛もつかない。一方で、長らく首相の座にあった人物でも、官邸を去った途端、警官による護衛もなくなり、自家用車での帰宅を強いられる。形式的であっても、国家元首の信任があってこその権力という原理原則が徹底的に貫かれている。これはすごいと思いました。

笠原:イギリスで総選挙により政権が交代する場合、投開票日の翌日に首相官邸の主が入れ替わりますが、この事には何ら合理性はなく、慣習を踏襲しているだけです。背景には、2大政党の野党側には「影の内閣」があり、絶えず、政権を担う準備を整えているという事情があるのでしょう。いつでも政権交代が可能という緊張感が、2大政党制を機能させる原動力です。多くの政治家はこのやり方を馬鹿げていると感じながらも、伝統を重んじる「極めてイギリス的なやり方」だと受け止めているようです。

なぜ、こういう制度が定着したのかは知りませんが、選挙結果が出て与党が敗北すれば、国民の信認をなくしたということで、速やかに政権交代することは、駆け込み的な政策を阻止するという点も含めて、ある意味で理屈が通っているのかもしれません。いずれにせよ、イギリスの政治システムは、儀式を重んじる議会開会式のセレモニーや下院議長の選出など、ドラマ仕立てで国民にその歴史や意味を伝えるようにできています。政権交代というドラマも、イギリスという国家の継続性を象徴する国王を中心に展開します。選挙に敗れた首相は、国王に謁見して辞職すれば「ただの人」になり、国王に承認されて首相になれば、「権力」を得ることになる。ただ、その権力は「一時的なものに過ぎない」ということを、政権交代のドラマは示しているのです。

Q:英国王室の問題とも重なりますが、合理主義的なイギリス人が、生まれながらにして特権を得る貴族を認めているのはなぜでしょうか?生まれながらにして階級が違う貴族を、なぜイギリス人は許容しているのでしょうか?

笠原:イギリスの貴族層の主流派は、フランスにいた北欧系のノルマン人がイギリスを征服したノルマン・コンクエスト(1066年)の際に、ギョーム公(ウィリアム1世)に仕え、武勲を挙げた人たちの末裔です。ただ、イギリスには貴族は存在しますが、階級制度は存在しません。国民に今も残るのは、長い歴史の中で植え付けられてきた「階級社会」という意識です。ブレア政権時代の上院(貴族院)改革で世襲貴族が自動的に議席を引き継いできた制度が廃止され、貴族らの制度的な特権はもう残っていません。この改革により、イギリスはようやく「市民平等」の社会になったと言えるのかもしれません。

それではなぜ、今日に至るまで、イギリス人が貴族を許容してきたのかという点です。まずは、イギリスではアンシャン・レジーム(旧体制)を完全に破壊するフランス革命のような市民革命が起きなかったことが大きいのではないでしょうか。イギリスの支配体制は、閉鎖的な貴族社会だけでなく、新興ブルジャワを「ジェントルマン層」として上流階級に吸収することで、ある種のガス抜きを図ってきた。限定的ながら「開かれた支配層」という柔軟なシステムを持ったことも、貴族制度の存続に貢献してきたようにみえます。

それと、イギリスの貴族は、特権には義務が伴うという「ノブレス・オブリージェ」の精神を体現し、社会に奉仕、貢献することで、国民から許容されてきた面もあります。第1次世界大戦で多くの貴族の若者らが最前線に立って自らの命を犠牲にしたというエピソードは、昔ながらの貴族精神を知る上で有効なのではないでしょうか。また、イギリスの庶民にとっては、貴族とは別世界の人々であり、貴族社会に無関心だったとも言われます。

成文憲法を持たないことや、古い制度が残っていることなど、概括して言えば、イギリス社会には、「壊れていないなら、直す必要がない」という気風があるように思います。

Q:英国は移民社会といわれますが、こうした移民が英国王室の支持基盤になっていることにも驚きました。英国的な伝統とも無縁である移民がなぜ王室を支持するのか、これも不思議です。

笠原:分かりやすく言えば、こういうことです。今、イギリスでは、反移民を掲げる「英国独立党(UKIP)」という政党が勢力を伸ばしています。仮に、UKIPが政権に参加するような事態を想定すれば、移民社会にとっては悪夢でしょう。時々の総選挙で誕生する政権や政治家は、移民にとっては必ずしも信頼できない。しかし、女王は、その不安定な政治を超越して存在することで社会に安定感を与えている。これは、移民に限ったことではなく、イギリスの完全小選挙区制の下では、得票率30%超で単独政権が可能になります。これは、国民の6割以上が支持しなくても政権与党になれることを意味します。与党を支持しない国民から見た場合、国王という、政治権力を越える権威が存在することが、イギリスという国家にある種の安定感を与えている、という解説を聞いたこともあります。

移民社会、多民族国家のイギリスにおいて、イギリス人とは誰かを突き詰めていくと、「女王の下に集う人々」という緩やかなものです。移民を受け入れてきたイギリスは、国王を頂点とする「オープン・アイデンティティ」の国とも言えるでしょう。だから、移民には王室支持者が多いのです。

Q:英国王室と階級社会への支持は、21世紀に入っても強固のように思われますが、何かのきっかけで、英国民の支持を失う可能性はないでしょうか?

笠原:十分にあります。エリザベス女王の時代には、恐らく、そういう事態が起こらないと思いますが、チャールズ皇太子が王位を継承した場合、国民の支持をどれほど得られるかは不透明です。皇太子はダイアナ元妃との離婚や、政治的な発言などが不評で、必ずしも、国民の人気は高くない。しかし、王室全体として見れば、チャールズ皇太子の後継者であるウィリアム王子の人気は高く、王室存続へのセーフティ・ネットになるかもしれません。

イギリスの王室が存在できている根拠は極めてシンプルで、国民の支持があるからに過ぎません。その基盤は永久に保証されたものではありません。法律的な手続きには詳しくありませんが、国民投票が実施され、「廃止」が賛成多数になれば、廃止されるはずです。エリザベス女王を国家元首にいただくオーストラリアでは過去に、共和制に移行することの是非を問う国民投票が実際に行われています。結果は、現状維持でしたが。

いずれにせよ、「エリザベス女王後」のイギリス王室に、試練が訪れる可能性は十分にあるでしょう。

笠原敏彦(かさはらとしひこ) 毎日新聞編集委員兼紙面審査委員。1959年福井市生まれ。東京外国語大学卒。1985年毎日新聞社入社。京都支局、大阪本社特別報道部などを経て外信部へ。ロンドン特派員(1997~2002年)として、ブレア政権の政治・外交、ダイアナ後の英王室、北アイルランド和平などのイギリス情勢のほか、アフガン戦争、コソボ紛争などを現地で長期取材。2004年米国務省のIVプログラム(研修)参加。ワシントン特派員(2005~2008年)としてホワイトハウス、国務省を担当し、ブッシュ大統領(当時)に同行して20カ国を訪問。2009~2012年、欧州総局長(駐ロンドン)。滞英8年。共著に「民主帝国 アメリカの実像に迫る」(毎日新聞社)など。 
ふしぎなイギリス (講談社現代新書)

作者:笠原 敏彦
出版社:講談社
発売日:2015-05-20