人気ノンフィクション作家・高野 秀行と歴史学者・清水 克行による、異色の対談集『世界の辺境とハードボイルド室町時代』。第5回は「カオスでグズグズが室町時代の真実」について。室町時代を捉えるにはどのようなスタンスが求められるのか?(HONZ編集部)。
※過去の記事はこちら→第1回、第2回、第3回、第4回
高野 網野善彦さんという研究者はどんな方だったんですか。僕も学生時代に網野さんの本を読んで、面白いなあと思った口なんですけど。
清水 中世のイメージを革命的に変えた人だと思いますね。それ以前は、日本の中世は武士と農民の時代で、荘園は閉鎖的な村落で、人々はみんな自給的な暮らしをしていたというイメージでとらえられていたんですが、そうじゃなくて、非農業民を含むさまざまな人たちがうごめいていた社会だったんだというオリジナルな着想をもち込んで、注目されたんですよ。映画『もののけ姫』にも影響を与えていますよね。
高野 そうなんですか。
清水 あのたたら場で働いている、顔に覆面をしているような人たちとか、非農業民とか、教科書に出てこない人たちにスポットを当てたのは、間違いなく網野さんですよ。
網野さんの研究はスケールも大きくて、ミクロな庶民群像や偽文書なんかを取り上げる一方で、その中で人類の歴史が大きく転換するというようなマクロな議論もしているんですよね。鎌倉時代とか室町時代とか、そういうちまちました話じゃなくて。僕も学生時代に初めて読みましたけど、すごくビビッドな印象がありますよね。先に名前を挙げた藤木さんや勝俣さんと網野さんは同時期に活躍されて、一時代を築かれた方たちですが、あの世代の研究者はやっぱりすごいですよ。
高野 網野さんは突然出てきた人だったんですか。
清水 長い雌伏期間があります。あの方は研究所勤めをされた後、都立高校の先生を長くなさってたんです。その間にひたすら古文書を読み込んでいて、その努力のさまは学界でも半ば伝説化しています。だから研究者としての基礎体力がすごいんです。一見、突拍子もない説を唱えているように見えても、その背後に膨大なデータがあることが伝わってくるし、理論が骨太だから、みんな一目も二目も置いていたんだと思います。
それと、歴史学者って、史料に基づいたことしか書けないし、古文書の数は限られているので、いったんメディアでブレイクした後、だんだんネタが枯渇してきたり、同じエピソードを何度も書いたりしゃべったりしがちになるんですけど、網野さんが書いたり語ったりしている中には、いつも必ず何か新しいネタが入っているんですよ。その間もものすごい勉強しているっていうのもあるんですけど、やっぱり雌伏の期間が長い方が研究者として擦り減らないんだなあと思って。
高野 中世史のとらえ方って、結構、研究者によって違ったりするんですか。
清水 大きく分けて、中世を秩序立った社会と見るか、カオスと見るかという違いはありますね。政治史が好きな人は、天皇に収れんするような統治秩序を見いだそうとする傾向がある。僕が「中世は無秩序な社会だった」というふうに書くと、「そうじゃない。中世にも天皇制があって幕府があって、それなりに支配制度が覆っていたはずだ」と言われることもあります。まあ、それ以前に、ベテランの研究者から「日本が無秩序な社会だったことをことさらに強調して、一体何の得があるんだ」って食ってかかられたこともありますけど(笑)。
高野 個人の思想信条の領域に割り込んでくるんですか(笑)。
清水 無秩序では、論文のテーマになりにくいんです。ぐちゃぐちゃだったように見えるけど、実は一定のシステムが機能していたっていうふうに書く方が論文として締まりがいいじゃないですか。だから、そういう志向になりやすいんだと思います。
僕は、中世はぐずぐずでいいじゃないか、ぐずぐずが真実なんだと。一応、中央権力の支配はあったかもしれないけど、その言うことを聞いている人も聞いていない人もいたんだよっていう立場なんですけど。
高野 僕もね、室町時代は正直言って苦手だったんですよ。たいていの人はそうだと思うんですけど、何しろよくわからない。ごちゃごちゃしてるし。
清水 くっついたり離れたり、いまだによくわからないです。でも、わりとぐだぐだしていたのがこの社会なんだっていう、それを真実として受け入れないとダメでしょうっていうのが、僕のスタンスです。
※本書に掲載されている注釈については、割愛しております。
第1回:かぶりすぎている室町社会とソマリ社会・・・8月12日掲載
第2回:「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ーー未来が後ろにあった頃・・・8月15日掲載
第3回:信長とイスラム主義・・・8月19日掲載
第4回:伊達政宗のイタい恋・・・8月22日掲載
第5回:カオスでぐずぐずが室町時代の真実・・・8月26日掲載
第6回:今生きている社会がすべてではない・・・8月28日掲載