『ソーシャル物理学 「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学』 解説 by 矢野 和男

草思社2015年09月17日 印刷向け表示
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動的な特徴に隠された意味

しかし、一部の人にはこの議論の根本のところがわからないかもしれない。私がこれまでさまざまな場所で議論したところでは、以下の反対論が根深くある。

「人間に法則なんてないよ、もっとどろどろしたもので、国や文化によっても違うし、一律な議論しても意味ないさ。結局のところ、学者さんには理解できないところがあるよ」。

ここで「社会物理学」と「物理学」との類似性が重要な役割を果たす。物理学の基本法則(ニュートンの運動法則)には、速さの変化(加速度)という「動的」な特徴に普遍的な法則が現れる。すなわち、動的な特徴(加速度)に関しては、一見まったく異質に見える「リンゴ」と「月」にも違いはないのだ。もちろん月とリンゴでは、速さも動きもまったく違う。したがって速さそのものには法則はない。速さの変化=加速度に注目するとき、月とリンゴに普遍的に成り立つ法則が見えてくる。

ニュートン以前には、強い力を受けた物体が速く動くという素朴な見方が信じられていた。もちろん実際にはそんなことはない。強い力は大きな加速度になるが、速い動きには直結しない。それは状況(物体の質量や初期条件)による。

「社会物理学」も、社会ネットワークの中での「アイデアの流れ」という動的な成長プロセスの特徴(本書の中でいう「探求」や「エンゲージメント」、社会的学習など)に普遍法則があることを一貫して説いている点が重要だ。動的な特徴に関しては、国や時代によらないといっているのだ。一方で、上記物理法則がそうであったように、この法則は、国や時代により多様な現実が生まれるのをまったく妨げない。それは常に状況による。このような社会物理学による社会の理解は、従来の静的なルールや定常状態を前提にした議論を否定する。社会科学に物理が入ってくる必然性はこのあたりにある。より普遍性を高めた枠組みになっているのだ。

このような動的な世界の見方は、従来の静的な見方と対立する。マスコミ報道も、一般の人たちも、従来のステレオタイプなカテゴリ分けや静的な是非の議論を当然と思っている。

そこに新しいものの見方の枠組みを提示しているのが本書である。もちろん、社会全体のものの見方を変更するのは簡単ではない。ただし、そこに風穴を開けるのが、データによる定量的エビデンスであり、教授の提唱している社会的な信頼やプレッシャーを利用した介入技術である。

社会実験への執念

ペントランド教授は、単に法則性を見つけることでは満足しない。さらに社会を具体的に動かす介入方法についても、社会実験を通して深めている。その中には、人間に関する新しい洞察を与えてくれる結果がたくさんある。

私が特に刺激的に感じたのは「レッドバルーンチャレンジ」である(具体的なところは、本書の第7章を読んでいただきたい)。周りへの小さな親切を通して信頼を得たい、という人間の隠れた本能を促すシステムを創れば、300万人ものほとんど見知らぬ人々が、8時間という短時間に即興的に協力しあい、グローバルな問題を解決できることを証明した。

そこにあるのは、従来の階層組織での上司と部下の関係でもなく、売り手と買い手という取引関係でもない。もちろんマスコミと一般大衆のような関係とも違う。従来見たこともない大規模な協力の仕組みである。

ペントランド教授は、10年以上に渡り、大変精力的に実社会で実験を重ね、データを取得していった。本書にも紹介されているバッジ型のウエアラブルセンサ「ソシオメーター」やスマートフォンなどを使って、企業、病院、学生、地域などのデータを取得していった。ボストンでの実験に加え、途上国を含めた世界各国で新たな目的を設計し、データを取得している。

ここまで精力的に実世界で社会実験を行っている人は他にいないと思う。その構想力とエネルギー、そして人間を見る一貫した目にふれることができるのも、本書の魅力である。

一貫性

共同研究している期間に、私はボストンに出張して教授と話す機会がしばしばあった。その中で、特に印象に残ったことがある。

当時、我々はいろいろな場所において共同で実験を行っていた。それは銀行、病院、研修所、コールセンタ、大学など様々だった。当然のことながら現場が違えば、具体的な結果は異なる。ところが、ペントランド教授は、違う会社や業種だから違う結果が出て当然、というような思考をまったくしなかった。そのようなものの見方は微塵も見せなかったといってよい。

つねに、あらゆる現場での実験結果を統一して見ることのできる一貫した説明をしようとしていた。実験結果が増えるごとに、結果が増えるのではなく、すべてを貫く唯一の一貫した説明が力強さを増していくのである。読者は当たり前と思うかもしれないが、業種や国や地域が異なれば、結果は違って当然という見方が普通だった。それをまったく許さなかった。

この多様な実験結果に対する一貫性のある態度に、私は知らず知らずに影響を受けていた。最近の私の成果であり、幅広い企業で大きな関心を呼んでいる「ハピネス計測」(身体活動から個人や集団の幸福度を計測する研究)にも、これが活きていることに、この解説を書きながら初めて気がついた。ペントランド教授が本書で強調している、本人も意識してない影響の連鎖がここでも見られるのだ。

先日、私は研究チームの若手のメンバーから「矢野さんのハピネス論文のまとめ方がとても勉強になりました」といわれた。彼はその実験で大きな貢献をしたが、彼が出した結果がそれ以外の現場での実験結果と統合されることで、一つの実験だけでは見えない一貫性のある結論へと導かれたことに感心したようだった。

それこそ私が教授から影響を受けている部分だ。それはアイデアというより、ものの見方でありスタンスというべきものだが、教授が本書の中で「アイデアの流れ」というときの「アイデア」とは、このようなものを含めているのだろう。その「アイデア」が、ボストンのペントランド教授から東京の矢野へ、そして若い世代へと、社会のネットワークを伝わっていくのを目の当たりにしたのだった。

ソーシャル物理学: 「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学
作者:アレックス・ペントランド 翻訳:小林啓倫
出版社:草思社
発売日:2015-09-17
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