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「文明」の土台を知るために──『人類を変えた素晴らしき10の材料』

冬木 糸一2015年9月28日
人類を変えた素晴らしき10の材料: その内なる宇宙を探険する

作者:マーク・ミーオドヴニク 翻訳:松井信彦
出版社:インターシフト
発売日:2015-09-28
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本を読んでいる時の紙。家で、仕事場で、ショーケースで、どこにでも存在しているガラス窓。口に含むまでは固形物なのに口に入れるとすぐにとろけるチョコレート。構造物の基礎としてあらゆるところに存在している鉄筋コンクリート。身近で日々接しているというのに、あまりにも当たり前に存在しているのでその凄さや来歴を特段意識したりはしないものだ。

コンクリートとはいったいどのような性質を持っていて、どのような歴史を辿ってここまできたのか理解している人は多くないだろう。ガラスは当たり前のように雨風をしのぎそれでいて光を通し部屋を明るくしてくれる特質を持っているが、なぜガラスが透明なのか説明できるだろうか。紙が包装紙から切符、紙幣までさまざまな用途に使えるのはなぜなんだろう。

本書『人類を変えた素晴らしき10の材料: その内なる宇宙を探険する』はその書名の通りに、身近に存在している10の材料をメインとして、その性質はどのような化学によって成立しているのか、人類の歴史に現れたのはいつで、どのように発展を遂げてきたのかを解き明かす「材料科学」本だ。その上、最後にはこの先に何が材料に起こるのかまでを示してみせる。

『私たちはみずからを文明化されていると思いたがるが、その文明の大部分は物質的な豊かさのたまものなのだ。』という著者の言葉どおり、我々の身の回りの快適な生活を実現しているのは材料を「より効果的に使うにはどうしたらいいのか」を試行錯誤してきた先人の歴史の上に成り立っている。当たり前のように存在し使い捨てられるノートだって中国とタメをはれる(中国の歴史は伸び縮みするが)2000年の歴史と技術の粋を集めている。

鋼鉄、紙、コンクリート、チョコレート、泡、プラスチック、ガラス、グラファイト、磁器、インプラント材料と古くから存在する材料から近年現れた新たな材料まで取り込んで解説されていく本書を一通り読むと、自分が暮らしている「文明」の土台がこれまでよりもっと確かに感じられ、思っていたより奥深い世界に暮らしているに気がつくことだろう。

たとえば紙

たとえば我々が普段身近に使っている紙。紙と一言でいってもその使われ方は多様で、ノートとして使われることもあれば紙幣、写真、レシート、封筒、トイレットペーパーとその硬さも厚さも異なれば、折りたたむことが前提である包装紙と折りたたまれないことが前提の切符のように相反する要素を同時に満足させる。

用途を考えるとそれが全て同じ材質からできているとは思えないが、それが可能なのも、紙の材料であるセルロース繊維の性質のおかげだ。折ることが簡単にできるとともに、簡単にばらばらにならない強さがあり、小さな起点を元にきれいに引き裂くことも可能で、さらには厚みが増すにつれどんどん固くなり曲がらなくなる幾つもの特性を持っている。

材質からみていくと数々の「当たり前に目にして、不思議にも思わない状況」の理由がわかるようになる。たとえば安くて低級の機械パルプでできている紙の場合、そこにはリグニンというセルロース繊維をまとめる有機接着剤が残っている。リグニンは光が当たると酸素と反応して発色団が発生し、その濃度が高まっていくと紙が黄ばむ。

紙の劣化が進めば、揮発性有機分子が発生しこれは古びた本のにおいとなって漂ってくる。古本屋や図書館独特の匂いは化学的な崩壊が起こっている腐朽の匂いなのだ。

たとえばコンクリート

あらゆる場面で紙が必要不可欠なのはいうまでもないが、コンクリートも違った意味で現代文明にとってなくてははらないものだ。れんがで構造物をつくることはできるが、コンクリートの効率性には遠く及ばない。基礎だろうが柱だろうが床だろうがなんだって「流し込んで、打ち込んで作ればいい」「型枠」をつくれる構造物なら圧倒的速度と安さでもって建てることができる。

コンクリートを発明したローマ人はその先行者利益をしっかりと享受し、帝国のインフラ構築に活かした。水の中だろうが固まるので、水道や橋が建設でき、コンクリートの原材料をより遠くまで運ぶことができるようになった。首都ローマにはコンクリート時代を象徴とするパンテオンドームが建てられ、とっくにローマ帝国が崩壊して2000年以上の時が経つにも関わらずいまだに世界最大の無筋コンクリートドームとして存在している。

ローマ人は確かに素晴らしいドームをつくったが、無筋のコンクリートがひびに弱く全体の崩壊をまねく(引き裂こうとする力に流動的に対応できないため)問題を解決できなかった。ようやく19世紀に至って、人類は鋼鉄がコンクリート内部のケイ酸カルシウムフィブリルと結合することを発見する。安くて早い(うまくはない)鉄筋コンクリートの誕生である。

トン当たり一〇〇ポンドというコンクリートは、世界で断トツに安い建材である。そのうえ機械化向きで、さらなるコスト削減が可能だ。人手を一人とコンクリートミキサーを手配できれば、家の基礎、壁、床、屋根をものの数週間でつくれる。建物のどの部分も同じ構造物の一部なので、どのような気候下でも優に一〇〇年はもつ。基礎は家を浸水から守るとともに、虫やカビの攻撃を寄せ付けない。

たとえばインプラント

材料の進出は我々の外側だけではなく内側にも及んでいる。それはたとえばインプラント技術だ。人体は内部に挿入された材料に関して、大抵の場合拒絶反応を起こすが、チタンは受け入れられる。靭帯の損傷など、自力での再生が困難な場合こうした素材は重宝される。

人工股間関節など現代でも当たり前に使用されている驚きのインプラント材料、技術は多いが、「これから」という意味であれば楽しみなのは3Dプリンタだ。デジタル情報からまるで印刷をするように物体をつくり出す製造技術を使って、患者自身の幹細胞からつくられた気管の移植が2011年にはすでに行われている

まだ複雑な機構を持つ肝臓や腎臓、心臓といった各種臓器を育てることはできないが、これが可能となれば他者の臓器を移植しなければ命に関わる病気がより安価で、お手軽に治療できるようになる。今後10年、20年と時間を重ねていくうちに、各種器官を取り替えつつ生きることができるようになれば、死を克服するものではないにしても、90歳を超えてもサッカーを楽しむことができるような「生の充実」をはかるものとなるだろう。

材料科学とは

本書では今後材料科学の分野で起こりえる21世紀の課題として、「さまざまなスケールで構造を構築し、新素材を設計できるようになった」先に『あらゆるスケールで設計された構造を結びつけて人間サイズの巨視的な物にすること』を挙げている。

イメージしづらいかもしれないが、たとえばマクロスケールのタッチスクリーンとナノスケールの電子部品を組み合わせたスマートフォンであるとか、炭酸カルシウムの一形態である方解石を排泄するバクテリアを内蔵した自己治癒コンクリートのように「まるで生きた生物のように機能する動的な材料」の可能性さえ開けている。そうなったら、「生きていないもの」がもたらす多様性はこれまでよりずっと広く、豊かになるだろう。

身の回りに存在する数々の材料、その成立過程と内部構造への理解はそのまま我々のニーズや欲求の複雑な表現への理解と、これまで当たり前に見てきた景色を一変させる視点に繋がっている。本書は自分たちが立っている「足場」をより確かなものと感じさせる一冊だ。

※本稿はクロスレビュー。内藤順のレビューはこちら