「昔は良かったよねー」とぼやき、ノスタルジーという名のお花畑に住む老人や、世にはびこる非科学な通説を統計を使って切り捨ててきた謎のイタリア人、パオロ・マッツァリーノ先生。今回ぶった切る対象が生きた時代は「昔は良かった」と懐かしむこともできない2500年前の中国。「昔は良かった頃の偉大な人」で、もはや誰も突っ込むことができない「孔子」と彼の言動をまとめた『論語』に敢然と切り込んでいる。
孔子について詳しくなくても、親孝行しろだとか、人を見た目で判断するなとか、自分がされていやなことは他の人にするなとかは聞いたことがあるだろう。元ネタは孔子の言葉とされる。そのような今でも流通する有り難いとされる言葉を連発していたらしい孔子だが、本書を読むと印象は一変する。
長年にわたって染みこんだ政治思想や道徳観、歴史ファンタジーによって『論語』の解釈は歪められてきましたー中略ー本書はありのままの孔子の姿をお届けします
ありのままとは何なのか。論語の内容説明や社会学的なアプローチで読み進めるうちに、明らかになるのだが、結論から言うと、憎めないダメおじさん。それこそが孔子の真の姿だというのだ。
ぶっちゃけて、いいましょう。後世に残るような業績は、何ひとつとしてありません。なにも結果を残せなかった、ダメおじさんが、死後に伝説を捏造され、偉人・聖人としてまつりあげられ、儒教関係者たちに都合よく利用されてしまった뗙それが歴史的に正しい孔子の実像です。
信じられない人も多いと思う。国の要職に就き、礼法を説き、戦場では大軍を率いて一騎当千の活躍をした孔子がポンコツで社会人失格のダメ親父とは!
実は、後世伝えられているほど、孔子の一生は明らかになっていない。紀元前552年頃生まれ、職を転々とした後、50代で役人になるも、数年で退職。その後、弟子たちと14年の放浪の旅に出る。再就職を目指すもできず、帰郷後に私塾を開き、紀元前479年頃に亡くなった。確かな事実はこの程度だという。大臣になったとか、司法長官のような要職に就いていたとかは現在の研究では否定されている。
では、何をしていたのか。弟子には道徳や思想を教えたわけではなく、就職に役立つ、宮廷儀式や葬礼作法を教えていた。現代で言えばマナー講師、就職予備校講師のような存在で、自身もマナーの専門家であると触れ回り、就職活動をしていたという。
孔子が当時変人扱いされたのはマナー講師や就職予備校講師にも関わらず、「礼法を広めることで、国を良くします。私が王になります」と真顔で説いていたところ。現代日本ならば「マナーで日本を変えます。ワシ、総理大臣になっちゃいます」と街頭演説をしているようなものとか。孔子が当時、孔子(笑)のような存在で、就職活動に連戦連敗で誰にも相手にされなかったのもうなずける。
自分の就職活動はうまくいかないが、弟子の中には役人に採用される者もちらほら。孔子は喜びつつも嫉妬を隠さない。役人になった一番弟子が朝廷の仕事で帰宅が遅くなり、遅いじゃないか、何してたんだと愚痴る孔子。自分がリストラに遭って仕事も見つからず暇をもてあましている無職男が、家計を支える妻がパートからの帰りが遅くなるとぶち切れているのとこれでは変わらない。「政務があり」と答える弟子に対して「おまえの仕事は政務ではない事務だ!政務だったらワシに相談がないわけではないか!」と切れる孔子。もうマジなのかネタなのかわからない。聖人君子にはほど遠い。
孔子が残した有名な言葉も一人歩きした感が強く、実は矛盾だらけとか。
「為政第二」では「四十にして惑わず」、ワシは四〇歳で迷いがなくなったと自慢しているのに、「憲問第十四」では、惑わないのが君子の条件だが、ワシまだそうなっていないよ、と謙遜する。「公冶長第五」では、悪いことや恨みを忘れて根に持たないことを勧めておきながら、「憲問第十四」では怨みには怨みをもって報いよ、と弟子に復讐を焚きつけています。
他にも、困っている人を助けろと言ったかと思えば、他人に親切な人に対してバカ正直になるなと言ったり、礼で大切なのは精神だと指摘しておきながら、数ページ後に最近は礼の形がなっていないと激怒したり。論語は孔子の孫弟子が編纂したもので、本人が書いた物ではないとはいえ、発言の一貫性は皆無なのだ。
ぼけていたのかもしれない。ぼけていなければ、著者がいうように、その場その場で適当なことを言っている居酒屋でくだを巻いているオッサンと変わらない。まさか居酒屋で愚痴ってるオッサンが後世に思想家として持ち上げられるとは孔子自身も思いもよらなかっただろうが。
腕っ節が強かったと伝えられる孔子伝説もいかがわしい。2メートル超の大男で内面だけでなく、外見も格好位良いらしい孔子だが、論語から透けて見えるのはザ・ヘタレ。荒くれ者を説法しに行ったら、逆に論破されてしまい、命からがら逃げ帰ったり、役人になった弟子が他の国への武力攻撃を相談しにきたら、「そんなんしたらマジやばいって」と情けないくらい叫んだり。また、幾度となく暗殺されかけるが、これも常識的に考えれば、怪しい。著者が言うように、誰も相手にしない無職男の命をだれが必死になって幾度も狙うのだろうか。
20億円の制作費を投じて2010年に中国で公開された、超エンタメ映画『孔子』。孔子を演じたのは香港のスター俳優のチョウ・ユンファ。だが、ほんとうの孔子は高い志がありながらも、身が危なくなれば「勘弁してくださいよ」とちびってしまう。弟子に嫉妬して、言っていることも場当たり的。どうみてもチョウ・ユンファよりも出川哲朗だと著者は突っ込む。史実を無視したイケメン俳優を使ったから大コケしたと言いたげである。
孔子のイメージをぶっ壊しまくる著者だが、事実をねじ曲げる孔子信者が嫌いなだけで、孔子には親しみを感じていると繰り返す。だめな感じがいいじゃないか。一緒に酒を呑みたくなるじゃないか。暴力のにおいがそこら中に漂っている戦乱の世の中で、皆が礼儀をわきまえれば平和になると真顔で説き続ける。誰にも相手にされなくても政治家になるという夢を諦めない。一途な思いとあきらめの悪さこそ魅力ではないか、人間くさいじゃないかと説く。何だか遠い存在だった孔子を近くに感じるではないか。『論語』に弟子たちがヘタれエピソードをあえて盛り込んだのも、きっと、聖人君子の孔子でなく、ちょっとダサい孔子が好きだったのだ。出川哲朗が視聴者に愛されているように。