HONZ客員レビュー

『みんな彗星を見ていた』

出口 治明2015年11月6日
みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記

作者:星野 博美
出版社:文藝春秋
発売日:2015-10-06
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僕は日本の歴史の中では室町時代から安土桃山時代にかけての300年が一番好きだが、とりわけ16世紀に東と西が出会ってからのキリシタンの1世紀は興趣をそそる。若桑みどりが名作「クアトロ・ラガッツィ」に描いた時代だ。何かに興味を持った時、「外堀から埋める」タイプの著者は、あの時代の音楽からと思い立ちリュートを習うというタイムスリップの妙案を思いついた。

1549年にザビエルが鹿児島に到着、イエズス会が日本で布教を開始する。82年に巡察師ヴァリニャーノが4人の天正遣欧使節を連れて長崎を出港したが、その直後本能寺の変が起こりキリシタンに理解のあった信長が逝去、90年に帰国した時は秀吉が伴天連追放令を発布していた。1614年、家康による宣教師の大追放(マカオとマニラへ)。そして44年が記録に残る最後の殉教となる。

前半のキリシタンの繁栄期ではなく禁教令以降の迫害期に興味を覚えた著者は、痕跡を求めて長崎への旅を始める。長崎に13あったといわれる当時の教会はすべて破壊され、偶然に発見されたサント・ドミンゴ教会の地下遺構が唯一往時を偲ばせる。原城跡を訪れた日にあまりの不便さから車の免許を取ろうと考えた著者は隠れキリシタンの里、五島で自動車学校に通った。処刑地の放虎原、宣教師を閉じ込めた鈴田牢。長崎の繁栄を導いたキリシタン大名第1号、大村純忠の旧領内を車で走ると、キリシタンの遺跡がことごとく冷遇されている事実が判明する。同じ日本人が加害者であった後ろめたさなのか、キリシタンの世紀は知ろうとすればするほど全体像が見えにくくなるのだ。交易の利権を狙う家康など為政者やお互いに争う南蛮諸国の思惑、先行したイエズス会とドミニコ会など托鉢修道会の争い。背景もかなり複雑だ。

禁教令の後、最盛期に30万とも40万ともいわれた当時の日本のキリシタンの大多数は棄教した。しかし、頑なに信仰を守った人々もいた。現時点における福者・聖人は435人、殉教者は4000名前後。だが、記録に残っていない殉教者は4万人に近いともいわれている。近世では日本ほど多くの殉教者を出した国はないという事実には、改めて驚愕させられた。ローマ教会は列聖・列福制度を持っているので、神父たちは必死に殉教者の記録を残し殉教者の遺品は聖遺物となった(言葉は非常に悪いが、日本は聖遺物という財宝の山だったのだ)。

教えを請う日本の信者のために死を賭して大海原を渡ってきた神父たちの痕跡を求めてスペインに足を伸ばした著者は、生まれ故郷では、誰もが彼らのことをよく知っていることに驚く。キリシタンの歴史を冷遇する日本との大きな違い。そして、著者を快く迎えてくれた村の神父はアフリカからきた黒人だった。著者は気づく、「私は、殉教というむごい結末ばかりにとらわれていた。しかし天に召される前、(日本の信徒と)お互いに心を通わせる幸福な瞬間があったはずだと」

IS(イスラーム国)による斬首と火あぶりは、キリシタンを弾圧した4世紀前の日本人の姿と同じ(しかも我々ははるかに残酷だった)という指摘も傾聴に値する。時間と空間を超えて思索し続ける著者のタイムスリップの旅は、星がとぎれることがないように、きっと終わることは永遠にないのだろう。