「解説」から読む本

『若い読者のための第三のチンパンジー 人間という動物の進化と未来』

解説 by 長谷川 眞理子

草思社2015年12月17日
若い読者のための第三のチンパンジー: 人間という動物の進化と未来

作者:ジャレド ダイアモンド 翻訳:秋山 勝
出版社:草思社
発売日:2015-12-12
  • Amazon
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • 丸善&ジュンク堂
  • HonyzClub

本書の著者のジャレド・ダイアモンドは、この本のもとになる書物を1991年に出版しました。私と夫は、それを読んで大変おもしろいと思いましたので、その翻訳を1993年に日本で出版しました。それは、『人間はどこまでチンパンジーか?』(新曜社刊)という題名で出版されました。本書は、それ以後の研究成果を取り入れて、内容を少しアップデートするとともに、読者をとくに若い人たちに絞って書き換えたものです。今回も、とてもおもしろく、楽しく、考えさせられながら読みました。

左から、テナガザル、ヒト、チンパンジー、ゴリラ、オラウータンの骨格

人間はどんな動物か?  

この本のテーマは、人間とはどんな動物か、ということです。人間は動物だけれども、ほかのいろいろな動物とは違って特別に偉いのだという考えは、かなり多くの人々が持っているようです。なぜなら、コンピュータやロケットなどを発明し、大きな都市に住み、言語を駆使して哲学的なことを考え、宗教を持ち、芸術を楽しむような生物はほかにいない(ように見える)からです。その一方で、人間が自分たちを特別な存在だと思うのは、人間の自己中心的な思考のせいであって、ミミズだろうがイチョウだろうが、どんな生物もそれぞれに特別なのだ、という考えもあります。

ミミズもイチョウもキリギリスも、確かにそれぞれ特別な存在です。生物はどれも、それぞれに素晴らしい特徴を持っているのです。だから、人間という動物も、種に固有の特別な性質を持っているのは当然なのですが、さて、その特別さは、たとえばミミズの特別さとは質が異なるような特別さなのでしょうか? 確かに、先に述べたように私たちは文明を築き、科学技術を発展させ、さまざまな高度な道具を駆使し、地球の生態環境を大いに改変しています。たった一種の生物が、地球生態系に対してこれほど大きな影響を及ぼすというのは、ほかに例がありません。  

では、それは、人間が他の生物よりも「偉い」ということなのでしょうか? そうとは限らないでしょう。私は、人間は特別な性質を備えた生物であり、その特別さは、他の生物の特別さとは少し異なるとは思いますが、それをもって人間が「偉い」と考えるのは、人間の自己中心的な思考のせいであろうと思います。ジャレド・ダイアモンドもそう考えており、人間のその特別さについて、科学的に検討してみようと考えました。その成果が本書です。

「人間とは何か?」という問いは、古くから哲学の中心テーマでした。ソクラテスもアリストテレスも、インドの仏陀も、中国の孔子も、近世ヨーロッパのヘーゲルもマルクスも、みんな、人間とは何かについて考えていました。しかし、人間という生物を動物の一員として自然科学的に探究し、その成果に基づいて考えようとするのは、伝統的な哲学ではありません。そのような科学は、自然人類学です。自然人類学は、ヒトという動物の進化の道筋をたどり、ヒトが動物として持っている特徴について、遺伝、形態、生態、行動などの側面から研究しています。では、この自然人類学が、人間とは何かを考えてきた哲学に対して何か大きな影響を与えたかというと、残念ながら、どうもそのように思えません。

また、ヒトの性質について研究する学問は、哲学と自然人類学だけではありません。心理学は、19世紀後半以降、ヒトの心の働きについてさまざまなアプローチで研究してきました。社会学は、個人としてのヒトではなく、ヒトの集団がどのような性質を持つのか、どのように動くのかについて研究してきました。文化人類学は、自然人類学とは異なり、ヒトの生物学的特徴ではなくて、ヒトが持っているさまざまな文化の様相について研究を重ねています。

本書でも取り上げられているように、ヒトは言語を持つということが、ヒトの重要な特徴の一つです。この言語については、言語学という学問があり、世界各国の言語の特徴やその共通性について分析してきました。また、ヒトが言語をどのようにして習得するか、言語とヒトの心はどのように結びついているか、という問題については、おもに心理学の一分野として研究されてきました。

さらに、経済学は、ヒトが行う経済活動についての研究を行う学問分野ですが、そもそもなぜヒトは「得をしたい、損をしたくない」と思うのかということも含め、現在では、心理学とも密接に結びついています。そして、これらのヒトが行うこと、考えること、思うことはみな、ヒトの脳の働きであるので、これらのすべてが脳科学、脳神経科学、認知科学という学問分野と関連しています。

つまり、人間とは何か、という問題に取り組もうとすれば、これほどのさまざまな個別の学問分野に踏み込み、それらの成果を統合せねばならないということです。でも、今、なかなかそのように大きな取り組みをしようとする学者はいません。みんな、自分たちの小さな専門分野の中にとらわれているからです。その昔、哲学は、確かにそのような学問的広がりを持った探究でした。だからこそ、長年にわたって、人間とは何かという探究は、哲学の主たるテーマだったのです。現代では、人間のいろいろな側面に関する研究が、それぞれに大変に深く専門化されてしまっているので、本当の人間の哲学をやろうと思えば、これほど多岐にわたる学問分野に踏み込まねば、できなくなってしまっていると言えるでしょう。

でも、だからと言って、人間とは何かを探究することが、ソクラテスの時代よりも格段に難しくなってしまった、ということはないと思います(一見するとそう思えるけれども)。古代ギリシャのソクラテスでも、現代の私たちでも、からだと脳の基本的構造に変わりはありません。つまり、今の私たちも、紀元前4世紀のソクラテスも、ハードの面では同じ脳を使って考えているのです。

それに対して現代では、この2000年の学問の発展の成果として参照するべき情報が、ソクラテスの時代に比べて格段に増えました。でも、いろいろな研究が進んだ結果、もう解決してしまったこともありますし、その方向で考える必要はないことがわかったということもあります。そして今ではコンピュータやインターネットがありますから、ソクラテスの時代よりも格段に多くの情報を格段に速く処理することができるはずでしょう。何も、それぞれの学問領域の細部にわたって知る必要はないのです。ソクラテスと同じ構造の頭を使って、ことの真髄だけを掘り出してつなげていけばよいはずです。確かにそれは難しいことではありますが。

「人間とは何かを探る」ことを教える  

ところが残念なことに、今の日本の中学、高校の教育では、人間とはどんな動物なのかを考える素材を提供する授業がほとんどありません。伝統的な国語、算数、理科、社会はあるものの、自然人類学や心理学、社会学、経済学などに関連した科目はほとんどありません。また、ヒトは生物ですが、生物の授業の中で、ヒトの進化についてはあまり深く語られていないのが現状です。一方、哲学に関連する授業はあるのですが、それと、ヒトの生物学との関連は、まったく見えてきません。

どういうわけか、今の中学、高校の生物では、メダカやクラミドモナスについては考えてみるけれど、私たち人間自身についてはあまり生物学的に考えない、ということになっているようです。私は、これは由々しきことだと考えています。

心理学や経済学は、全国の多くの大学に学部や学科があるという意味では、大学教育の大きな一部を占めています。今や多くの高校生が大学に進学するというのに、これらの学問のさわりの部分を高校で学ぶ機会はないのです。でも、現状の教育はどうでもよろしい。今教えられているどの科目ということではなく、いろいろな科目を統合する別の視点で、「人間とは何かを科学的に探る」というテーマ学習でしょうか? 本書は、そういう意味では、若い人たちに人間とは何かを考えるきっかけを与える教材として、とてもよいものであると思います。

人間は、生物界の中では本当にユニークな存在であり、地球生態系に大規模な影響を与える重要な存在です。なぜ人間はそんなことができたのか、それを可能にした人間の性質はどのようにして進化してきたのか、本書は、それについて一つ一つ検討していきます。しかし、一番重要なのは過去の話ではなく、その過去の経緯を知り、現状を知ることによって、それらの事実が人間という生物の将来をどう導いていくか、人間は将来どうなるか、ということの考察でしょう。それは、本書でも試みられていますが、次世代を担うみなさん一人一人が考えていくべきことなのです。

これからどうしようかと思えば、今がどうなっているのか、過去はどうなっていたのかを知らねばなりません。その探求は多くの努力を要求するものですが、あくまでも大事なのは、それらの知識を駆使して未来を創ることです。本書が、若い人たちのためにとくに造られた理由はそこにあるのです。

ヒトにもっとも近縁な生物、チンパンジー  

私は、大学院の博士課程のときに、東アフリカのタンザニアで野生のチンパンジーの行動と生態の研究をしました。それは私の博士論文のための研究だったのですが、そのための資金は外務省の外郭団体である国際協力事業団(現在は国際協力機構)から出ており、私の仕事は、タンザニア西部のタンガニーカ湖畔に、野生チンパンジーのための国立公園を設立することでした。日本が大きな無償協力をして、数年がかりで、歩いてめぐる国立公園を造るための基礎データを提供することが仕事だったのです。

私は、先にお話しした自然人類学を専門とする、東京大学理学部生物学科の人類学教室に進学しました。私と一緒にタンザニアで調査し、同じく博士論文のための調査をした夫の長谷川寿一は、東京大学文学部心理学科の大学院生でした。自然人類学と心理学、分野は異なりますが、人間とは何かについて探究するという点では、同じ土俵の学問です。同じ目標を持ちながら、学問の方法も問題設定も異なる私たちは、互いに相手にないものを補完しながら、野生チンパンジーの調査という困難な仕事を行っていきました。

アフリカのタンザニアという国での調査は、決して楽なものではありませんでした。電気もガスも水道もなし。途中から小さな発電機で電球二個ぐらいはつけることができましたが、その発電機も石油がなければ動きません。ガスはないので、薪を燃やすか、登山者用のガスコンロを使うか。でも、ガスコンロも燃料がなくなればおしまいです。その意味では薪が頼り。水道はないので、毎日、バケツに二杯の水で料理と洗面をこなします。お風呂と洗濯は、広大なタンガニーカ湖ですます、という毎日でした。

チンパンジーは、私たちのキャンプにやってくることもありましたが、彼ら自身のなわばりの中を、毎日、季節の食べ物を求めて移動しています。彼らの一人一人の顔を覚えて個体識別し、彼らを追いかけ、その行動や社会関係を記述し、毎晩、その記録をまとめました。彼らが何日も見つからないこともあり、いったい今は何をしているのだろうと案じたこともありました。彼らがすぐそばでくつろいでいて、滅多に見られない行動を垣間見せてくれたこともありました。そうこうしているうちに、彼らの生活がだんだんに見えてきます。夫の長谷川寿一はおもに雄を追いかけ、私はおもに雌を追いかけ、それぞれの研究テーマを探究していきました。

チンパンジーは、私たちヒトともっとも近縁な動物で、私たちの共通祖先からこの二つが分かれたのはおよそ700万年前と言われています。この地球上に何千万種の生物がいようとも、私たちにもっとも近縁なのは彼らなのです。だからこそ、私たち人類学者や心理学者たちにとってチンパンジーを研究する価値があるのです。こんな「特権的な」動物であるチンパンジーを研究できるというのは、研究者にとっては素晴らしい「特権的な」機会でした。

しかし、野生のチンパンジーの行動と生態を調査していた2年半にわたって、私たちには、チンパンジーに対する親近感よりも違和感の方がどんどん増えていきました。それ以前に野生のチンパンジーの研究をしていた有名な研究者は何人もいます。彼らはみな、チンパンジーがいかに私たちヒトに近いかを強調していました。チンパンジーの母親がどんなに手厚く赤ん坊の世話をするか、おとなの雄たちがどれほど協力しあって獲物をしとめるか、などなど。でも、それはそうであるとしても、私たちには、「チンパンジーはまったくヒトとは異なる」という感じの方がずっと強烈でした。

その違和感が何だったのか、それを深く探究することは、結局はチンパンジーの研究をすることではなくて、ヒトとはどんな動物なのかを研究することだったのです。当時の私たちは、どのようにしてチンパンジー的な生き物からヒトが進化したのかをつなぐため、ヒトとチンパンジーとの進化的道筋をつなぐために、先達の研究と同じく、ヒトとチンパンジーの共通性を強調することに一生懸命になっていました。心の底ではこれは違うという違和感を抱きながらも、そのように研究の枠組みを置くようになっていたのです。

そうすることをやめて、この違和感を意識して取り出し、ヒトとチンパンジーは連続しているが似たような種ではない、ヒトはチンパンジーとはまったく異なる性質をどうにかして進化させたからヒトになった、そのことを探究しよう、と考えるようになるには、私たちにとっても長い時間がかかりました。そうして現代に至る中で、ジャレド・ダイアモンドという人物の著作に出合ったのは、とても幸運であったと思います。

若い読者のための第三のチンパンジー: 人間という動物の進化と未来

作者:ジャレド ダイアモンド 翻訳:秋山 勝
出版社:草思社
発売日:2015-12-12
  • Amazon
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • 丸善&ジュンク堂
  • HonyzClub

ジャレドの人間探究  

ジャレド・ダイアモンドは、スケールが大きくてとても変わった研究者です。彼はもともと、基礎医学の中の生理学を専門とする研究者となり、その道で有名になりましたが、同時に鳥の観察の愛好家であり、そこから別の分野の研究に入り込んで、ニューギニアを中心とする生物地理学、そして鳥類の進化生物学の研究者ともなりました。私は、後者の顔を持つジャレドを知っており、二度ほどお会いしたことがありますが、前者の生理学者としての彼については、何も知りません。おそらく、生理学者としての彼をよく知る人々は、反対に、進化生物学者としての彼のことをほとんど知らないでしょう。

このように二つの異なる分野で活躍するようになるというのも、研究者の生活としてはまれなことですが、彼はさらに、本書に表されているように、人間の進化、その歴史、文明の来し方行く末についても、科学的な考察を行っています。そのようなことを考えるきっかけとなったのは、彼の他の著作によれば、ニューギニアで鳥類の研究をしているときに現地の人に聞かれたことに端を発するということです。

ニューギニアは、熱帯雨林におおわれた大きな島で、豊かで多様な自然と、多くの言語に分かれた、こちらも豊かで多様な民族文化を持っているものの、現代文明という点では遅れを取っています。現代文明の象徴のようなアメリカからやってきた研究者のジャレドを、森に案内してくれる現地の長老が、ある日彼に問いました。「なぜアメリカは発展して、ニューギニアは遅れているのか?」と。これに対し、ジャレドは真剣に考え始めます。発展している方がいいことだとか、発展していないのは遅れているとか、劣っているとか、悪いとかいうことではなく、「なぜ文明の進む速度には、世界の各地で差異があるのか?」という科学的な問いに答えようとしたのです。

本書のもとになった『人間はどこまでチンパンジーか?』という書物は、そのような探究をまとめた最初の一冊でした。その後、ジャレドは、『銃・病原菌・鉄』、『文明崩壊』、『昨日までの世界』といった著作で、一貫してこの問題を考え続けています。もともと進化生物学、生物地理学の素養があったので、対象を人間に拡張して、人類進化学、古環境学、育種学、言語学などを合わせ、人間とは何かについて考察しました。

そう、何度も述べたように、本書は、私たち人間とはどんな生き物なのかについて科学的に考察したものです。しかし、それは単に人間の生物学的な組成や進化の道筋を科学的に解説したということではありません。人間という生き物が、この地上で現在行っていることは何なのか、この先、人間はどうなっていくのかという、私たち一人一人の生き方に思いをはせる、いわば哲学的な考察に導くものです。自然科学の探究そのものは、価値観や哲学とは異なる舞台で、客観的な検証に耐えるものとして進んでいきます。しかし、その結果は、私たち自身がどのように生きていくべきかについて、大いに示唆を与える材料となるでしょう。その意味で、そういう含意を意識して書いたという点で、この著作は非常に大きな視野を持っていると私は思います。

よりよい社会を築くために 

本書が書かれた以後も、人類の進化史や脳の働きについては、どんどん新しい事実が発見されています。その意味では、本書でジャレドがまとめている人類進化史も、その他のヒトの性質に関する事実にも、今後さまざまな改訂がなされていくことでしょう。それが、科学の進歩というものです。

さて、そのような日進月歩の科学の進展はさておき、これまでに明らかになった大筋の部分から、つまり、もうこれ以上は改訂されない「実態」として認められる事実の集合から、人間について、何か哲学的な考察ができるでしょうか? 先にも述べたように、著者がもっとも重点を置いているのはそこでしょう。

この問題についても、本書で取り上げられているたくさんの話題についてそれぞれ検討していくことはできますが、私は、人間が他の人間に対して示す共感と暴力について取り上げたいと思います。本書でも示されているとおり、ヒトは歴史的に、自分が所属するのとは異なる集団に出あったときに非常に極端な暴力をふるい、相手を殲滅することすらもしばしば行ってきました。アフリカ、南北アメリカやオーストラリア、タスマニアの先住民に対して西欧人がとった態度がその典型です。さらに、自分と同じ集団に属する他者に対しても、その人たちが異なる考えを持っている、異なる神を信じている、異なる生活習慣を持っている、などということを根拠に彼らを攻撃し、殲滅しようとすることは、各地で数えきれないほど起こってきました。

しかも、それは遠い過去の出来事だけではなく、現代社会でも起きています。20世紀における共産主義と資本主義のイデオロギー対立はもとより、2010年代にはいった現代でも、なぜキリスト教徒とイスラム教徒が反目しあわねばならないのでしょうか? この問題は、「宗教的信念」の問題なのでしょうか。それとも、一部過激派が置かれている社会経済的な問題なのでしょうか。この問題について、生物学的な人間の理解は関係がないのでしょうか? キリスト教かイスラム教か、なぜあの特定の過激派か、というのは文化や社会経済の問題かもしれませんが、それらが何にせよ、人々の集団を二つに分けて対立を作り、他者を攻撃するという傾向自体には、何か、ヒトという生物が持っている生物学的性向が関係しているのかもしれません。

そんな傾向があるということを認めると、困ったことになると思いますか? 人間がそんな傾向を生物学的に持っているのであれば、それは直せない、だから、将来に希望がなくなる、それは困る、というように。でも、それは違います。こんな風に考えるのは、その道筋が間違っています。

人間にとって「不都合な真実」はたくさんあります。癌という病気は、生物の細胞の再生と不可欠に関係しているようなので、ヒトという生物が長生きする限り、この魔物を排除することはできないようです。だとしたら、癌の正体を研究するのを躊躇しますか? また、ヒトの暮らしの快適さは、そのヒトの集団が消費するエネルギーと比例するごとくに強く関連しているようです。と言うことは、地球上の誰もが快適な生活を求める限り、地球温暖化と環境破壊とは必然であるように思われます。では、人類集団のエネルギー消費に関して詳細は知りたくないと思いますか?

それでも、これらの「不都合な真実」を回避して、人類の幸福を追求したいのであれば、これらを客観的に研究し、因果関係を明らかにするしか道はないでしょう。同様に、人々が互いに争い、殺し合うことを止めさせようとするならば、その原因と、それにかかわる人間心理の研究をしなければならないでしょう。たとえ、私たちヒトという動物の心に、見知らぬ他者をヒトとは見なさず、動物以下の存在として暴力的に扱うことができるようにさせる心理基盤があったとしたら、それを科学的に明らかにした上で、それをそうではないようにさせる手だてを科学的に考案できるはずです。電気もガスも水道もコンピュータも、私たちは直面する困難を克服する手段として発明してきたのですから。

一方で私たちは、ずっと遠くに住んでいる会ったこともない人々の窮状を知ると、その人たちの悲しみを自分のことのように感じ、共感する力も持っています。この共感の感情の基盤を研究すれば、社会の暴力を減らす手だてを作る助けになるかもしれません。

これからよりよい社会を築いていくために知恵を絞り、英知を集めなければならないのは、若い世代のあなたたちです。私たちも、これまでそれなりに一生懸命考えてきました。でも、これからの社会をよりよいものにしていくためには、若いエネルギーが必要です。そのために、若いみなさん一人一人が、人間をめぐるたくさんのことに疑問を持ち、探究したいと思い、一つ一つ、そのような疑問を解決するよう知恵を絞っていって欲しいと思います。

この本は、人間という動物はどんな動物で、どんな点で他の動物とは違っているのだろうという疑問をテーマにしていますが、最終的には、私たちがこれからどんな社会を作っていけるかを探究するための材料を提供しているのだと思います。みなさんで、この先を考えてくださることを願ってやみません。  

総合研究大学院大学副学長・教授 長谷川 眞理子

若い読者のための第三のチンパンジー: 人間という動物の進化と未来

作者:ジャレド ダイアモンド 翻訳:秋山 勝
出版社:草思社
発売日:2015-12-12
  • Amazon
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • 丸善&ジュンク堂
  • HonyzClub