『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと <効果的な利他主義>のすすめ』 訳者解説 by 関 美和

NHK出版2015年12月21日 印刷向け表示
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若者たちやシリコンバレーで拡がる効果的利他主義

では、効果的な利他主義者とは、どんな人たちでしょう? たとえば、哲学と数学を専攻してオクスフォードの大学院から奨学金をもらえたのに金融のキャリアを選んだマット・ウェイジ。ウェイジは「寄付するために稼ぐ」若者の代表例です。働き始めてわずか1年で1000万円を超える金額を効果的な慈善活動に寄付し、毎年収入の半分余りを寄付し続けています。

あるいは、不動産で成した4500万ドルの財産のほとんどを慈善活動に寄付して、堅実な暮らしを営むゼル・クラビンスキー。クラビンスキーは善意の第三者として腎臓の提供も行っています。

ホールデン・カーノフスキーとエリー・ハッセンフェルドは、20代の半ばに勤めていたヘッジファンドを辞め、慈善団体の効果を評価する〈ギブウェル〉という組織を立ち上げます。これは効果的な利他主義のムーブメントを大きく後押しするものになりました。

オクスフォードで哲学を学んだトビー・オードは、収入の2/3以上を寄付に回し、そのうえに途上国の貧困撲滅に絞った効果的な組織へ寄付する誓約を促すような、〈私たちにできること〉 という組織を立ち上げました。

寄付するお金のない、学生のクリス・クロイは、自分の腎臓を提供することに決めました。動物と数字を愛するハリッシュ・セスーは、「オタク文化と動物の権利運動が出合う場所」と題した〈カウンティング・アニマルズ〉というサイトを立ち上げています。

彼らのもっとも際立った特徴は、「チャリティを情緒でなく数字で考える」ということです。彼らに共通するのは、自分の寄付によって救える命の数、延びる寿命の年数、減らした苦しみの総量が多ければ多いほどいいという考え方です。また、救う相手の顔が見えるか見えないか、自分の興味や情熱に関係があるかないかにかかわらず、命の価値(または、苦しみの重さ)は同じと考えます。効果的な利他主義者は人助けに情熱を傾け、それを最大化することに大きな喜びを覚えています。彼らはその情熱を数字で表すのです。

読者の皆さんは、本書で紹介されている人たちを、かなり極端な(少々クレイジーな)例だと思われるかもしれません。ですが、こうした生き方を実践している人がかなりの数存在し、その数が拡大していることも事実です。

このムーブメントを支持する人たちの中には、シリコンバレーを代表する起業家たちもいます。先ほど挙げたピーター・ティールは2013年の効果的利他主義サミットで基調講演を行い、慈善分野の「隠れた真実」を探すよう、参加者に呼びかけました。今年(2015年)の夏には、サンフランシスコのグーグルキャンパスで「効果的な利他主義グローバル会議 (Effective Altruism Global)」が開かれ、400名の起業家やエンジニアや活動家が参加しています。講演者として参加したイーロン・マスクは、人工知能と人類滅亡リスクの軽減について熱く語りました(救える命の数を最大化するという点で、人類滅亡を回避することは、最大の効果的利他主義なのです)。

テクノロジーによって人類の可能性を伸ばそうと考え行動するピーター・ティールやイーロン・マスクにとって、エビデンスに基づいて世界をよりよい場所にしようと行動する効果的な利他主義者は、目的を同じくする同志のような存在なのかもしれ ません。マーク・ザッカーバーグが夫妻で保有するフェイスブック株の99パーセント(その時点の時価総額で約450億ドル(約5兆5300億円)に上るそうです)をチャリティに寄付すると先ごろ表明したのも、こうしたシリコンバレーの新しい動きのひとつだと見ることができるでしょう。

日本はチャリティ先進国?

ところでよく、日本にはチャリティの土壌がないと言われますが、それは事実でしょうか? 私は違うと思います。日本は1990年代半ばまで、アメリカをも上回る世界一の援助国でした。国連への分担金、世銀への出資金はアメリカに次いで世界で二番目です。また日本の呼びかけで2002年に始まった世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバル・ファンド)はこれまでに810万人のHIV感染者と1320万人の結核患者を治療し、マラリア予防のため5億張を超える蚊帳を配布してきました。このファンドの支援により1700万人の命が救われたと言われます。

では市民レベルではどうでしょうか? 途上国の子供にワクチンを提供する目的で発行される、ワクチン債の最大の購入者は日本の一般個人投資家です。これまでに1600億円を超える金額が、日本の一般市民から寄せられているのです。これは同プログラムへの日本政府の拠出をはるかに上回る金額です。このプログラムを通して、これまでに2億8000万人を超える子供にワクチン接種が行われ、500万人以上の命が救われたとされています。政府を通した援助にしろ、市民レベルの貢献にしろ、日本は世界最大級のチャリティ国家です。そして、「救った命の数」で考えれば、世界有数の「効果的な利他主義」国家と言えるでしょう。

とはいえ、私自身はバングラデシュに設立されたアジア女子大学支援財団の理事として資金集めを行う中で、日本企業や政府、また個人の寄付への姿勢に壁を感じないわけではありません。日本の大企業は確かに「社会的責任(CSR)」活動に多くのリソースを割いていますが、 そのリソースの大部分は、同じような環境関連の活動や災害援助に向かっているように思います。政府援助に関しては、バイラテラル(二国間支援)が主流です。個人の寄付もまた、すでに多くの寄付が集まっている災害支援のような分野に向かいがちです(これは日本に限らないことですが)。お金の集まるところにさらにお金が集まる構造になっていて、いずれの主体も、 投資に対するリターンをほとんど意識していません(これも日本に限らないことで、まさに本書のテーマのひとつでもあります)。

本書をどう読むかは、読者の皆さんの考え方や生き方によって、それぞれ違うでしょう。「効果的な利他主義」という新しいムーブメントを知るための知識本、とも読めますし、人間が他の人間(や動物)に負っている役割を示す道徳本、とも読めるかもしれません。功利主義をチャリティに当てはめるとどうなるかという思考実験として読んでも面白いでしょう。私自身は、ピーター・ティールの『ゼロ・トゥ・ワン』を翻訳した経験から、この本を慈善分野における「賛成する人がほとんどいない、大切な真実」を探るヒントとして、興味深く読みました。あるいは、ミレニアル世代を中心として着実に拡がっている、充実した人生のための新しいライフスタイルを紹介する本として読むと、また違う面白さがあるように思います。

この訳者あとがきを執筆中にパリでテロ事件が起き、130名を超える方々が亡くなりました。一方で、シリアではこれまでに20万を超える命が失われています。ネット上では「パリの人だけに同情を寄せること」への賛否両論も起きていますが、これもまた、本書のテーマである「身近な人の命も遠くの人の命も同じ重さを持つと感じられるかどうか」という命題を現実世界で試されているように感じます。本書が皆さんそれぞれの考えるきっかけになれば幸いですし、議論や行動のきっかけになれば、翻訳者としてこれほど嬉しいことはありません。

2015年秋  関 美和

あなたが世界のためにできる たったひとつのこと―<効果的な利他主義>のすすめ
作者:ピーター・シンガー 翻訳:関 美和
出版社:NHK出版
発売日:2015-12-19
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