「解説」から読む本

『スパム[spam] インターネットのダークサイド』

解説 by 生貝直人+成原慧

河出書房新社2015年12月29日
スパム[spam]: インターネットのダークサイド

作者:フィン・ブラントン
出版社:河出書房新社
発売日:2015-12-28
  • Amazon
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • 丸善&ジュンク堂
  • HonyzClub

本書『スパム[spam] インターネットのダークサイド』は、スパムという現象を切り口にして、インターネットの影の歴史を描いた「テクノロジーのドラマ」である。インターネットを利用する全ての人々にとって、スパムを目にしない日は存在しないはずだが、その全体像を体系的に理解する機会はあまり存在しなかったのではないだろうか。本書はスパムを正面から取り扱い、歴史的背景や技術的要素、法的側面までをも含めて包括的に論じた、世界的に見ても稀有な書物である。

著者のフィン・ブラントン氏は、デジタル・メディア技術の歴史と理論の研究者であり、本書の元となった論文によりスコットランドのアバディーン大学近代思想センターから博士号を授与され、ミシガン大学インフォメーション・スクールで教鞭を執った後、2015年現在はニューヨーク大学スタインハート校メディア文化コミュニケーション学部の助教授を務めている。2013年には本書により、全米出版社協会が主催する専門・学術優秀出版賞のコンピュータ・情報科学部門賞を受けている。

誰もが世界に向けて容易に情報を発信できる、インターネット上の恵まれた情報環境における希少資源が、人々の注目(attention)である。インターネットに限らず現代の経済は、注目という資源、そしてそれが生み出す経済的な利益をめぐる競争であるということができる。インターネットは、人々の表現やコミュニケーションの機会を増大させると同時に、この注目をめぐる競争への参入コストをも大きく低下させてきた。

正当なマスメディアやインターネット企業のように、価値あるコンテンツやサービ スで人々の注目を集積して利益を得るのではなく、著者の定義するところの「情報テクノロジー基盤を使って、現に集積している人間の注目を搾取する」企てとしてのスパムに経済的な機会をもたらしているのは、まさにインターネットの構造そのものに他ならない。

スパムと聞くと、メールボックスを埋め尽くすスパムメールの洪水を想起する読者が多いだろうが、 本書が取り扱う対象としてのスパムは、電子メールだけに留まるものではない。シマンテック社の調査によれば、電子メール形式のスパムは2015年6月時点で全世界の月間メール流通量(約7000億通)の半分程度であり、常にメール流通量の90パーセント程度を占めていた2000年代後半(たとえば最盛期の2008年10月時点では、6兆3000万通のうち5兆8000万通がスパムであったとされる)と比べれば、いまだ膨大とはいえかなりの程度鳴りを潜めてきている。

本書の後半で描かれているように、むしろ近年では、検索エンジン、そしてソーシャルネットワークなどを通じたスパムが急速な拡大を見せつつある。スパムという現象は、インターネット上で人々の注目を集積するあらゆるサービスやメディアにおいて生じる、まさにインターネットのダークサイドそのものなのである。その意味で、本書の議論の射程はインターネット全体、さらには今日の情報社会全体に広がっている。

スパムには様々な対抗策が試みられてきた。米国の憲法学者・サイバー法学者のローレンス・レッシグが『CODEーーインターネットの合法・違法・プライバシー』で指摘したように、インターネット上の規制においては、法的規制のみならず、社会規範、市場、さらにはアーキテクチャと呼ばれる物理的・技術的条件が重要な役割を果たすことになる。

本書の三部構成の中で時系列に沿って描き出されているスパムの歴史においても、当初はオンライン・コミュニティにおける慣行のような社会規範が、しだいに CAN‐SPAM法をはじめとする法的規制が、さらに近年では、精緻なアルゴリズムとビッグデータに基づくスパムフィルタのようなアーキテクチャが、スパムへの対抗策として重要な役割を果たしてきた。そして本書が明らかにしていくように、それらの複数の規制手段がときに協調しながら、ときに反目し合いながら、スパムに対する規制の枠組みを形作ってきたのである。

本書の第一部にあたる1970年代から1994年の期間において、スパムという言葉で呼び表されていた対象は、私たちが現在イメージするものとは少なからず異なる。スパムという言葉は「反復、過剰、邪魔を問わず、望ましくないメッセージという商業主義以前の意味で」用いられており、必ずしも 商業的意図の有無や、違法性といった要素が含まれたものではなかった。

当時のコンピュータ・ネットワーク上のコミュニティは、現在のインターネットと比べれば格段に小さく、研究者や政府機関関係者 といった比較的同質性の高い人々で構成されたものであった。そこでのスパムへの対応は、主としてコミュニティで共有される慣行や規範によって担われており、著しい逸脱に対しては、時には本書の言葉でいう「シャリヴァリ」、つまり「時間を問わずコレクトコールをかける、『脅迫ファクス』、着払いでピザを注文する、料金不足の郵便を送る、怒り、卑猥、罵倒のメールを大量に送る、コンピュータへの不法侵入、親、同僚、友人へのいやがらせ」すらも行なわれるといったような、私的なルール形成と維持のメカニズムが中心的な役割を果たしていた。

第二部の1995年に至り、インターネットの全面的な民間開放を経て、状況は大きく変容する。インターネット利用者の爆発的な増大は、スパムに多大な経済的機会を生み出し、商業的意図を持った広告メールがスパムの主役としての位置付けを占めるようになる。さらには「ナイジェリア 419」や 「スペインの囚人」に代表される詐欺行為を目的としたスパムメール、そして検索エンジンという新たな注目の集積をターゲットとしたスパムといったように、スパムの種類も急速な多様化を続ける。

このような環境の中では、もはやコミュニティの規範による対応は十分に機能しえず、政府による介入、すなわち法的な規制が不可避になる。米国では2003年に連邦初のスパム規制法であるCAN‐SPAM法が制定され、送信元等のヘッダー情報の真正性、広告メールであることの明示、受信拒否した者への送信停止(オプトアウト)手続の確保などの義務がスパム業者に課せられることになる(日本でも2002年に特定電子メールの送信の適正化等に関する法律(特定電子メール法)が制定され、広告宣伝メールの送信について、表示義務等が課されるとともに、受信拒否をした者への送信を禁じるオプトアウト方式の規制が導入された。また、 2008年には同法が改正され、原則としてあらかじめ同意した者に対してのみ広告宣伝メールの送信が認められるオプトイン方式の規制が導入されるなど、迷惑メール対策が強化されてきた)。

そして2003年から始まる第三部においては、ポール・グレアムによって考案されたベイジアンフィルタに代表されるスパム・フィルタの普及が、CAN‐SPAM法との(歴史的偶然ともいうべき)相乗効果を得ることにより、「合法的な」ビジネスモデルとしてのスパム送信に対して壊滅的な打撃を与えることに成功する。しかし同時にそれは、スパムという行為を、ほぼ全面的に違法な領域に移行させることをも意味していた。

フィッシングやマルウェア配布を目的としたスパムは増大を続け、そしてさまざまなスパムを通じて拡大するボットネットは、それ自体がスパム行為をはじめとしたサイバー犯罪の土台となるのみならず、2007年のエストニアへの大規模なサイバー攻撃に象徴されるように、インターネット上における「軍事」的活動のツールとしての性格すら帯び始める。スパムを技術的に遮断しようとする取り組みと、それを何とかしてくぐり抜けようとする、そもそも最初から法律を守るつもりのない、スパム行為者のあいだでのアーキテクチャをめぐる技術的競争が、第三部の主題となる。

スパムは、インターネットとそれに対する規制枠組みのグローバル化の例証ともなっている。スパムは法的規制の及びにくい小国や離れ小島を経由して送信され、国境を越えて大量に流通するために、送信者に対する法的規制には限界がある。その点でも、法的規制の持つ地理的な限界に依存しないブロッキングやフィルタリングのようなアーキテクチャによる規制は、今後もその重要性を増していくことだろう。しかし、スパムへの技術的対応は、インターネットのアーキテクチャを「不自由」なものへと改変してしまうリスクも内包している。

本書の「結論」部で述べられているように、「スパム行為者による現存のインフラの使い方は、それを根絶しようと思えば、われわれのテクノロジーを妨げるにせよ、 テクノロジーの設計の元になる価値に逆らうにせよ、高い値段を払って変化を加えなければならないようなものなのだ。/われわれがそうした帰結を受け入れて生きる気になっていたら、いかなる種類のスパムも根こそぎにされた、ほとんどまったく存在しないネットワークを実現することもできただろう。 それは……注意深く仕様を定めたシステムのテーマパークになるだろう」。

米国のサイバー法学者ジョナサン・ジットレインが『インターネットが死ぬ日ーーそして、それを避けるには』の中で警鐘を鳴らしているように、スパムやウィルスのようなリスクを技術的に抑制してインターネットの安全・安心を追求することは、それ自体として正当なものではあるが、その副作用として、インターネットの自由な技術発展と創造の連鎖を可能にしてきた「生成力」(generativity)を奪い去る危険性をも有している。

インターネットが自由であり、誰もが情報を発信できる空間でありつづける以上、その不可避のコストとして、スパムは存在しつづける。スパムそのものによる注目の不当な搾取、そしてスパムを通じて直接的・間接的に引き起こされうるサイバー犯罪やサイバー攻撃といった情報社会の深刻な脅威への対応のために、インターネットの自由をどこまで対価として差し出すべきなのかという困難な選択は、今後も形を変えて我々の前に現れつづけることだろう。

本書が冒頭で指摘する通り、スパムはインターネットの発展と変貌の歴史の中で、その質量を見込むことなしには銀河の挙動を理解することのできないダークマターとでもいうべき位置付けを占めてきた。 そしてスパムという概念は、社会的・技術的環境と人々の価値観の変化の中で、常にその意味するところを変えつづける。

2015年の現在、ソーシャルネットワーク上で友人の投稿に混じって表示される広告ポストや、ライフログ・ビッグデータを利用して高度化と増殖を続ける行動ターゲティング広告に対して、「まるでスパムのようだ」という感覚を抱くようになってきてはいないだろうか。そのような新たな情報配信手段の拡大は、インターネットの成長にとっておそらくは不可欠であり、そして多くはサービスの対価として注目を支払うことを利用者が同意している(あるいはさせられている)という意味では正当なものでもある。

しかし現在、そのような絶え間ない注目の支払いから個々人の意思で逃れることがきわめて困難になりつつある中、「人間の注目を搾取する」ものとして認識され、変化しつづけるスパムの概念に飲み込まれることを避けられなければ、人々はそのプラットフォームから徐々に離反し、インターネットを形作る支配的なアーキテクチャは、またその姿を変えていくことになるだろう。

再び本書の「結論」を引くとすれば、「画面で消費されるわれわれの注目と有限の生活の範囲を尊重するメディアプラットフォームを構築できるか」ということが、今あらためて問われている。変化しつづけるスパムをいかに理解し、定義し、そして対処していくのかという問いは、インターネットの自由と規制、さらにはアーキテクチャとプラットフォームのあり方を考える上での試金石となっているのである。 

生貝 直人
東京大学附属図書館新図書館計画推進室・大学院情報学環特任講師。東京藝術大学総合芸術アーカイブセンター特別研究員、科学技術振興機構さきがけ研究員等を兼任。日米欧の情報政策、文化芸術政策。著書に『情報社会と共同規制』など。

成原 慧
総務省情報通信政策研究所主任研究官。東京大学大学院客員研究員。専門は情報法。インターネット上のアーキテクチャによる規制と表現の自由について研究。

スパム[spam]:インターネットのダークサイド

作者:フィン・ブラントン 翻訳:松浦俊輔
出版社:河出書房新社
発売日:2015-12-25