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アルツハイマー病のすべてがわかる!『記憶が消えるとき-老いとアルツハイマー病の過去、現在、未来』

仲野 徹2016年1月14日
記憶が消えるときーー老いとアルツハイマー病の過去、現在、未来

作者:ジェイ イングラム 翻訳:桐谷 知未
出版社:国書刊行会
発売日:2015-11-25
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いまや、アルツハイマー病という疾患名はあまねく知られている。しかし、何がアルツハイマー病の原因なのか、どんな人がなりやすいのか、そして治療は可能なのか、となると、ほとんどの人は知らないだろう。恥ずかしながら、医学部で病理学を教えている私もよく知らなかった。研究が日進月歩であり、その原因や治療法についてはまだ確定的なことがわかっていないからだ、と、とりあえずの言い訳から始めたい。

アルツハイマー病は、いうまでもなく、認知機能の低下と人格の変化を伴う認知症の一種である。認知症の6割をも占めるとされる疾患であるが、ドイツ人医師アロイス・アルツハイマーがチュービンゲンで1906年に、最初の症例アウグステ・Dを報告してから何十年もの間、全く興味をひかなかった。それには二つの理由がある。一つは、アウグステ・Dが46歳での発症、初診時51歳であったことから、若年性の特殊なタイプの認知症であり、よくある老年性の認知症とは違うと考えられたこと。もうひとつは、老年性の認知症は脳血管の動脈硬化が原因であると考えられていたことである。

アルツハイマーは極めてすぐれた医師、いや、医学者であった。アウグステ・Dの脳組織の顕微鏡的な観察から、脳の神経細胞が減少していることと共に、プラークという沈着物が細胞外に存在すること、神経細胞内にタングル(神経原繊維変化)という異常が認められること、を記載している。そしてこの二つは、アルツハイマー病の特徴であるとともに、その原因であると考えられている病変なのだ。

両者の蓄積は、ある意味では、老化の過程そのものだ。三十代から四十代にかけて、すべての人において、ある程度のプラークとタングルが蓄積し始める。しかし、必ずしも、アルツハイマー病を発症するレベルに達する訳ではない。このように、何十年にもおよぶ過程の結果としてもたらされる疾患であることが、アルツハイマー病を理解する難しさのひとつである。

プラークもタングルも、アルツハイマー病に密接に関係していることは間違いない。しかし、いずれが主因であるのかは、膨大な数の論文が発表されているにもかかわらず、まだ結論が得られていない。遺伝性のアルツハイマー病ではまずプラークの元となるアミロイドの蓄積から始まるとか、タングルの認められないアルツハイマー病があると聞くと、プラークが原因であると考えたくなる。しかし、一方で、タングルの蓄積が認知症の程度に相関する、と聞くと、タングルが重要かという気がしてしまう。

一般的には、『アミロイド・カスケード仮説』-アミロイドの蓄積によるプラークの形成が閾値を超えるとカスケード(滝)のように脳の損傷が引き起こされるという考え-が有力だが、この、プラークとタングルのどちらがより重要か、というのは、単なる学問的な興味にとどまらない。なぜなら、アルツハイマー病の治療のターゲットをどちらにすべきか、という大問題につながるからだ。アルツハイマー病の発症を完全に防げなくとも、たとえば10年遅らせることができれば、高齢社会における介護などの負担額を劇的に減少させることができるはずなので、その治療法の開発は極めて重要な課題なのである。

アミロイドのタンパクを「ワクチン」として投与して免疫反応を引き起こし、アミロイドからできているプラークを消失させてみよう、という試験的な治療がおこなわれた。いいニュースは、何人かでプラークの減少あるいは消失が認められたこと。悪いニュースは、そのような反応を示した人であっても認知症が改善しなかったこと、そして、さらに悪いニュースは、6%の被験者において脳炎が認められたことだ。現在、より早期の患者に対して、アミロイドに対する抗体投与というより安全な方法で、プラークの形成を抑制し、アルツハイマー病の進行を抑制できるかという治験がおこなわれている。

ここに書いたような、アルツハイマー病の歴史、成因、治療だけではない。認知症研究の歴史、アルツハイマー病になりやすい遺伝子、老化の生物学、今では否定されたアルミニウム犯人説、などなど、アルツハイマー病をめぐる数多くのテーマがとりあげられている。ひとつだけ、誰もが興味を抱くであろうトピックを紹介しておこう。それは、修道女の研究から得られたものだ。

678人の修道女の人生と脳を対象にした老化研究が1986年に始まったが、その中で驚くべき例が見つかったのだ。節制につとめる修道女には長寿者が多い。シスター・メアリーも百一歳まで生きた、それも認知症とはまったく無縁に。しかし、その脳標本はプラークとタングルにびっしりと覆われていた、あのアウグステ・Dと同じように。アルツハイマー病は、プラークとタングルの存在だけでは説明できないのである。まるでちゃぶ台返しではないか。

もうひとつ、この研究からわかった不思議なことは、二十歳のころに書いた文章と何十年もたった後のアルツハイマー病の発症に相関関係があるということだ。成人した頃の、ひとつの文章にどれだけの情報を簡潔に集約するかという「情報密度」の高さが、高齢になった時の認知能力と一致する、というのはいかなる理由なのだろう。

余談になるが、アウグステ・Dの標本は、なんと、二つの世界大戦を経て、1997年にミュンヘンで見つかった。アルツハイマー病の名を世に出してくれた恩人であるクレペリン-クレペリン検査のクレペリンだ-の元へとアルツハイマーが送った標本が残っていたのである。まったく知らなかったが、この標本の発見には東京都神経科学総合研究所の神経病理学者・藤澤浩四郎が大きく関与している。藤澤は、アウグステ・Dの標本は極めて貴重な情報をもたらすはずだから、見つかる可能性が低くとも探すべきだという粘り強く主張し、それをうけての発見だったのである。もちろん、その標本は、最新の方法をもって再解析された。面白い本には、すばらしいサイドストーリーも描かれている。

最後に、この本がきわだって優れているのは、できるだけ専門用語を用いずにわかりやすく解説しているところだ。それも、正確さをそこなうことなしに。著者は研究者ではなくてサイエンスライター。専門家は、どうしても細かなところに気がいってしまって、なかなかこうは書けない。もって他山の石としたい。 
 

アルツハイマー―その生涯とアルツハイマー病発見の軌跡

作者:コンラート マウラー 翻訳:新井 公人
出版社:保健同人社
発売日:2004-10
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アルツハイマー医師とアウグステ・Dのことを知りたい人にはこの本。
 

100歳の美しい脳―アルツハイマー病解明に手をさしのべた修道女たち

作者:デヴィッド スノウドン 翻訳:藤井 留美
出版社:DHC
発売日:2004-06
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 残念ながら絶版ですが、修道女スタディーをおこなったデヴィッド・スノウドンの本。