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『マーケット進化論』不完全さと向き合った人々の物語

峰尾 健一2016年3月9日
マーケット進化論 経済が解き明かす日本の歴史

作者:横山 和輝
出版社:日本評論社
発売日:2016-01-20
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律令制の時代から昭和初期にかけて、市場経済が形成され、洗練されていくプロセスが書かれた1冊だ。要所を辿りながら、1200年以上の時間を一気に駆け抜ける。まんべんなく触れるのは難しいので、時代を絞って紹介していきたい。

著者によれば、戦国時代は日本経済史のなかでも特殊な局面であるという。全国レベルで資源配分を管理する存在もいなければ、全国一律の基準で市場経済を見守ることのできる存在もいない。この環境は、領国支配における様々な問題が生まれる要因となった。

支配が及ぶのは領国内に限られるため、領国外の商工業者を誘致しなくては必要な物資を賄えない。だが、彼らはもともと同業者組合である座に属し、戦国大名の意向ではなく座のルール(座中法度)に則ってそれぞれビジネスを行う存在であった。そうした問題に対する解決策として、楽市楽座などの優遇策が実施される。本文中で引用されているグラフには、1550~1580年代における市場法の制定数が、それ以前の約300年と比べて突出して多いことが示されていた。

通貨の信用という問題もあった。当時は中国製の銭が多く流通していたが、種類がバラバラだったため、銭を選り好みして特定の銭に通用力を与える「撰銭令」が出されていた。この御触れ自体は室町時代から繰り返し出されていたそうだが、戦国大名の場合はあくまでローカルルールに過ぎない。領国支配と同じ地域内でしか貨幣に通用力を与えることができないため、「悪貨が良貨を駆逐する」危険性がより高まる。

富士参詣に来た人々の賽銭を通じて、領内で悪銭とされた銭が持ち込まれるケースもあったそうだ。こうした問題は、大名同士の同盟にまで関わってくる。たとえば武田氏と後北条氏、結城氏は、歩調を合わせて撰銭令を出していた。

一方で「良貨で悪貨を駆逐」するような作戦も実行されていた。金山や銀山の開発である。銅銭の中国銭よりも貴金属的価値が高い金貨や銀貨を鋳造し、これに通用力を与えることで悪貨を排除しようとしたのだ。ローカルルールという弱点を逆手に取ったようなこの方策を取った例としては、上杉氏や毛利氏などが挙げられている。

時代は下って江戸の世になると、経済活動はぐっと活発になる。石高制のもと、大阪で形成される米価の動向が人々の暮らしに影響するようになった。そうした状況の中、金融は加速していく。米を買い受ける際に蔵屋敷が発行した米切手は証券として流通し、大阪・堂島米会所の帳合米市場では先物取引も行われる。幕府にとって、米価の維持は政策上の最優先課題であった。

他にも銀行の前身であり、徳川政権下の市場経済の根本を支えた両替商の働きや、処理能力を遥かに上回る数の金銭トラブルに関する訴訟への対応など、徐々に環境が洗練されていく様子が伺える。文明開化以前に用いられていた仕組みからは、後に作られる制度の源流がいくつも見受けられた。

市場の働きをどこまで信用するのか。最もフェアな落としどころはどこなのか。他の様々な歴史と同じく、市場経済の歴史もまた試行錯誤の繰り返しであった。市場の機能を活かす市場設計は、長い時間の中でいかに模索されてきたのか、その裏にどんな苦労があったのかが本書には書かれている。

 

制度設計あるいは市場設計などと言葉を使うのは簡単なことです。しかしながら実際に政策として遂行する際には、様々な利害関係を調整しなくてはなりません。市場設計の歴史は、いかにして利害調整に成功したか、あるいは失敗したかをめぐる物語でもあります。

 

さらにそれは、仕組みを設計する側だけでなく、時に制度の恩恵を受け、時に制度に翻弄された人々の物語でもある。新しい仕組みが作られ、改良され、次々と生まれ変わっていく様子からは、経済活動のダイナミックさも伝わってくるだろう。本書は行間から人々の生き生きとした営みが伝わってくる歴史ノンフィクションでもある。

歴史が苦手な人でも、中学や高校で習った知識の断片があれば問題なく読める。そもそも教科書では断片的に書かれている経済史だが、それらが1本の線で結ばれることで、暗記していた歴史の知識もつながってくる。扱うテーマの割にとても平易に書かれていて、読む方としては嬉しいのだが、その分「何を書くか」「どこまで書くか」の取捨選択は大変だったに違いない。

歴史の流れに沿って人々の営みとともに振り返っていくと、堅いテーマも何だか身近に感じられる。読みながら、「マーケット」という言葉を解きほぐされるような気分になった。