「解説」から読む本

『外道クライマー』スーパーアルパインクライマー宮城

解説 by 角幡 唯介

集英社インターナショナル2016年4月2日
外道クライマー

作者:宮城 公博
出版社:集英社インターナショナル
発売日:2016-03-25
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宮城君から私のアウトルックの受信トレイに変なメールが届いたのは、もう4、5年ほど前になるかと思う。彼は、私が自分のブログに書いた北穂高岳滝谷第四尾根の登山の記事を読んでメッセージを送ってきたのだが、それがたしか、われわれの間に起きた最初の接触だった。

私が滝谷の四尾根を登ったのは5月の大型連休の話であり、春にこのルートを登るのはとくに珍しい記録ではない。それでも彼は一応「いい登山をしていますね」と社交辞令的な口上を書き、そのうえで私の記事を読んで自分もすぐに滝谷に向かったと記していた。

彼が興味を示したのは第四尾根ではなく、その途中で私が撮影した、より登攀的なC沢右股奥壁の氷壁の写真だった。たしかにこのC沢右股奥壁の氷はなかなか挑発的なルートで、氷自体はまだ登られていない可能性があるため私もブログに載せたのだが、宮城君は写真を見て瞬時にその魅力に反応し、すぐに滝谷に向かったというのである。

登攀自体はアプローチで雪崩の危険が高かったので中止したようだが、彼からのメールを見て私も〈えらく山に飢えた奴がいるもんだな。こういうオオカミみたいなのがいるから、自分が発見した氷を安易にブログで紹介するのは、やっぱり考えもんだな……〉とちょっと反省した記憶がある。自分が発見した氷を他人に登られるのは、山ヤとしては気持ちのいいものではないからだ。

とはいえ、この最初のやり取りで一番記憶に残ったのは、じつはメールの内容ではなく、彼が名乗っていた変名のほうだった。彼は宮城公博という実名ではなく、〈セクシー登山部〉の〈舐め太郎〉というわけのわからない名前を名乗っていたのだ。しかもメールには、滝谷から下山する際に撮影したという、氷壁を全裸でボルダリングする自身の破廉恥な画像が添付されていた。

何だ、この写真? もしかしてセルフタイマーによる自分撮り?

写真は一応正面からではなく背後から撮られていたので、身体中央の核心部こそ写っていなかったものの、セクシー登山部の舐め太郎という人物から唐突に送られてきた挑発的で品性の感じられない画像付き自己紹介メッセージに、私は数分の間、たじろいだ。すぐにグーグルでセクシー登山部を検索すると、短い登山報告とともに、基本的にネタは下品なのだが妙に思索的で読ませる、いつくかの身辺雑記が見つかった。

ブログのなかの舐め太郎は、真面目を装った記事のなかでは〈奈目太郎〉という畏まった表記を使用していた。

触らぬバカに祟りなしだな……。

そう判断した私は、とりあえず舐め太郎に一応、形式的な短い返事を出して、あとは放っておくことにした。

ただのバカではなく、本物のバカかもしれない

それからしばらく経って、当時、頻繁に一緒に山に登っていた後輩が「そういえば、あのセクシー登山部の人ってスゴイですね」と、テントのなかで舐め太郎のことを話題にしたことがあった。その後輩は、変なやつから接触があったぞと私が話すのを聞いて、時間を見つけてセクシー登山部のブログを詳しく読みこんだらしい。ブログの少し古い記事のなかにはネパールの山を単独登攀した記録が写真付きで載っており、通常レベルのクライマーが一人で登れるような山には見えなかったというのである。

下山してすぐにセクシー登山部のブログを読みかえしてみたところ、たしかに後輩が言及していたネパールの登山記録は存在していた。舐め太郎は上部で敗退こそしていたものの、写真の岩壁は巨大で激しく屹立しており、そこに単独で挑戦した時点で、彼のクライマーとしての実力と冒険家としての強靱な精神力を窺い知ることができた。

こいつはただのバカではなく、本物のバカかもしれない……。

セクシー登山部の舐め太郎という名が、知る人ぞ知るという感じで、登山界の深部でじわじわと語られるようになっていったのは、この頃だったと思う。どうも、すぐに裸になりたがる、とんでもなく登れるやつがいるらしい。いや、普通に登るときは裸じゃないらしい……といった、まさにヒソヒソと囁かれる雪男伝説みたいな感じだった。

実際に彼と面識を得たのは、登山仲間である群馬県のクライマー清野さんから紹介を受けたときだ。舐め太郎はキノポンという愛称で知られる、これまた登山界の名物男と一緒に、かの世界有数の登山家・山野井泰史氏が初登した一本岩というボロボロで危険な岩峰を登るため、群馬に殴りこみをかけにきた。ところが、キノポンが諸般の事情から登攀をドタキャンしたため、精神がいきり立って一本岩のようになっていた舐め太郎はその欲情のはけ口を失い、やむなく清野さんの山岳会の小屋に転がりこんできたのである。

清野さんはその後、舐め太郎と一緒に高さ100mの垂直の氷瀑が連なる米子不動の難ルート〈正露丸〉を登りにいったようで、後日、その印象をたずねたところ、「昔の素浪人のような男だ」との的確な人物評を語っていた。今は主君を失い落ちぶれているが、もともと剣の腕はたしかで、いつでも仕官できるように刀を研ぐのを忘れない、そんな江戸時代の浪人のようなクライマーだったという。そのあと、宮城君と何度か山に登る機会があったが、清野さんもうまいことを言うもんだと感心したものだった。

強い自己表現欲求と、珍しいほどの反骨精神

宮城君が登山家として特殊なのは内側からあふれ出てくる強い自己表現欲求と、いまどきの若者には珍しいほどの反骨精神をあわせもっているところにあると思う。彼から山に目覚めた理由を聞いて驚いたことがある。彼はセクシー登山部のブログにも頻繁に登場する風変わりな友人を題材にした映画を撮るために上高地を訪れ、それがきっかけで一人で登山を始めたというのだ。つまり彼は登山家ではなく、もともと表現者としてこの世界に登場していた。だから山は今も彼にとって表現の一形式でありつづけている。

もともと登山は、登ったラインやルートを示すことで自らの世界を提示するという表現的性格のつよい行為である。ヒマラヤの高山の氷壁に描いた一本の美しい登攀ラインは、下手な文章や音楽よりもよほど人の心に訴える力を持っている。表現というのは自己を外の世界につなぎとめるアンカーロープみたいなもので、表現することで「私」の行為や思想は客観的に実体化され、私自身が世の中に定位されていく。登山行為もまったく同じで、それを文章なり写真なりで発表するということは、自己満足を越えた自己実現欲求の裏返しなのである。

宮城君はこうした登山が持つ表現的性格に、登山家として誰よりも自覚的である。最初は私も見落としたが、よくよく考えてみると、セクシー登山部のブログもまた彼の表現欲求と反骨精神が見事に映し出された作品だといえる。裸にハーネスだけつけて巨大な氷瀑を登る行為は、一見、バカバカしいように思えるが、しかし単純にスゴイので、「こんなことやって死なないの(逮捕されないの)?」というレベルでわれわれの常識を揺さぶるには十分だし、お上品に洋服なんか着なくてもこんな氷瀑は登れるのだということを示すことで、彼は世界の深層を巧妙に覆いかくしている世間的な欺瞞や建前を突き崩そうとしている。

那智の滝 登攀に感じた敗北感

そんな叛逆児としての彼の一面が顕著に現れた一件が、本書の冒頭に記された那智の滝登攀だった。

彼らが逮捕されたとき、私はたまたま結婚前の妻を連れて穂高岳に山登りにいっていた。夏山の登山客でこみあう穂高岳山荘に立ち寄り、知り合いの山小屋関係者にあいさつしたとき、その人から「佐藤裕介が那智の滝に登って捕まったぞ」と知らされた。携帯電話のヤフーニュースの記事には、3人のなかで対外的実績がずば抜けている佐藤裕介だけが実名で報じられており、他の2人の名前は書かれていなかった。しかし、もともと宮城君から〈ゴルジュ感謝祭〉に誘われていたけど断った経緯のあった私は、この冒険の扇動者が佐藤裕介ではなく宮城公博であることを瞬間的に直感した。

たしかに佐藤裕介も大西良治も登山界の常識を打ち破り、その領域を押しひろげてきた希代の登攀者であることに間違いはない。しかし那智の滝登攀はそれとは少し性格がちがう。このような挑発的な態度を登山というせまい世界にだけでなく、広く世間一般にたいしてさし向けるような登攀を考えつく不届き者はセクシー登山部の舐め太郎以外に考えられなかった。

このニュースを聞いたとき、私は得もいわれぬ妙な嫉妬心を感じた。なぜか、やられた、その手があったか……という敗北感を覚えたのだ。

もとより私は、もう20年ほど登山を続けているものの、登山によって何かを表現しようと思っていないので登山家ではない。だから那智の滝の登攀を考えついたこともなかったし、そもそも私に那智の滝を登れるだけのクライミング能力はない。だから純粋に登攀的観点から私は彼の行為に嫉妬心をいだいたわけではなかった。そうではなく冒険的行為と社会との関係のあり方に一石を投じるようなことをやってのけたことに、同じ表現者として彼に嫉妬を感じたのだと思う。

あれの何がすごかったのか。それは彼らが那智の滝を登ることで、登山行為が本来抱えている原罪を露骨にあぶりだしたことにある。

登山の反社会性とは?

どんなに行儀の良さを装ったところで、登山をはじめとする冒険行為一般は、反社会的であることから免れることはできない。山が趣味なら誰でも経験があるだろうが、登山を真面目にやると土日は必ず山に行かなければならないわけだから、結婚や家庭生活をまともに維持するのは難しいし、また海外遠征をするとなると、まっとうな会社勤めも困難になる。こうした社会生活との表面的な摩擦は枚挙にいとまがないし、また、遭難したら救助費用などで世間に迷惑をかけるという論理にも一応の説得力がある。

第一に山を登るということは、山に登らない場合よりも死の可能性が高まるのだから、その時点で社会と反目しあう性質をかかえている。安全登山などという交通標語みたいなお題目は、世間の常識と調和していることを装ったゴマカシ、欺瞞にすぎず、登山や冒険とは本来、危険で自立的な行為をさすのだ。

そもそも、それ以前の問題として登山や冒険とは本質的に社会の外側に出て行こうとする行為なのだから、その姿勢の時点で社会に背を向けていることになる。たとえば北極圏で冒険旅行をするときは大体イヌイットから「やめろ、死ぬぞ」と諫められるが、それは私の旅がイヌイット社会が共有している常識の外側に向かう行為だからだ(逆にいえば、もしイヌイットから反対されないようなら、それは冒険ではない、という理解も可能だ)。

作家の平野啓一郎がどこかで、赤信号で横断歩道を渡る者は、信号が変わるのを待っているほかの者を否定している、という趣旨の文章を書いていたが、それと同じことが冒険にもあてはまる。冒険により社会の枠組みの外側に向かう決断をした者は、決断をせずに内側にとどまった者を切り捨てている。登山や冒険には必ず非登山者、非冒険者からの「なぜそれをやるのか」という質問が付きまとうが、その事実こそ登山の反社会性をある意味で物語っているだろう。社会の内側の人たちから説明責任を求められるような行為を反社会的であると言わずして何と言おう。

もちろん現代ではほぼ全員の登山者や冒険者が、こうした冒険の本質には目をつぶるか、気がつかないふりをするか、あるいは行為の意義を必死に抗弁して、社会に対して調和を保とうとする。ルールを順守し、許可を取得し、挑戦することは素晴らしいことなのですと本心ではどうでもいいと思っている意義を語り、本来なら社会の外に向かうはずの冒険行為を社会の内に留まるスポーツ的行為に変質させて、社会適合者であることを装っているのだ。

しかし本心をあかすと、われわれ登山者、冒険者には、そうしたルールや規則を煩わしいと感じているところがあるし、できれば誰にも管理されていない地球の最果てで自由に、純粋に山や自然と対峙したいと望んでいる。そしてその登山者、冒険家が内側に抱える根源的な自由への欲求と、自由であればあるほど満足感が高くなるという登山の本質は、管理された社会のモラルとはどうしても齟齬をきたす。

あふれ出る冒険的表現者としての性格

那智の滝登攀の特徴は、こうした冒険者、登攀者の根源的欲求をむき出しにし、われわれが普段つけている社会適合者の仮面などまやかしだと暴露したうえで、俺たちの行為って突きつめた場合、最終的に社会のルールとそぐわないんです、という本音を露骨に提示して登ってしまったところにある。もちろん法的には犯罪者だ。しかし、登山的な倫理から言うと、どうなのだろう。登りたいから登る。誰も登ってないから登る。そこに自由がある。この道徳律は登山的観点からすると完璧で、一分のスキもない。

おそらく彼らの行為を知ったとき、内心共感した登攀者は多かったはずだ─それを言うと社会から指弾されてブログが炎上するので皆口をつぐんだが。たぶん宮城君は、こうした反社会性を内在させたむき出しの登山的道徳律を社会にたいしてぶつけてみたかったのではないか。その意味でこの登攀は、社会的に断罪され、クライミングとしても失敗したが、表現としては成功した。なぜなら彼らの登攀が、こうした反社会性を志向する登山とはいったい何なのかという自省をわれわれ登山者自身に促したからだ。

そう、われわれはこの一件で、自分たちが志向している登山という行為が犯罪とされた彼らの登攀とじつは何も変わらない地平にあることに気づかされたのである。少なくとも私はそう捉えた。

本書はタイのジャングルにおける長期間の探検的沢登りの話を中心に、台湾のチャーカンシーや称名廊下の遡行、それに冬期称名滝、冬期ハンノキ滝登攀という、ここ数年、宮城君らが成し遂げ、登山界に瞠目をもって迎えられたビッグクライムの様子が描かれているが、この一連の行動の文章のなかにも、彼の冒険的表現者としての性格は何ら変わることなくあふれ出ている。

彼にとっての「山」は森の風が爽やかに吹き抜け、陽光が燦々と降りそそぐ明るい岩壁にはない。ドロドロでぐちゃぐちゃのなかで瀑風に脅え雪崩に流されながら、文字通り汗みどろ血みどろ泥みどろウンコみどろになって、その果てに摑んだ生の一滴のなかにある。宮城君が用いた品性や良識を一切無視したPTAによって回収を命じられそうな文体は、彼のそうした行動と思想を見事に表しており、そのいわば〈行文一致型〉の文章により、読者は彼がなぜそうした山登りを志向するのか、その行為の始源にまでもっていかれる。

宮城君を、いったい何と呼んだらいいのだろう

アルパインクライマーとしてもトップレベルにあるにもかかわらず、沢登りに固執しているところがまた、いかにも反骨者である宮城君らしい。日本の登山界には昔から〈一番偉いのが冬期登攀で、二番目が普通の岩登りで、三番目が沢登りで、誰でもできるのがハイキング〉みたいなヒエラルキーが厳然として存在してきたが、宮城君はあえて下から二番目である〈沢ヤ〉を前面に押し出すことで、このくだらないヒエラルキーをぶち壊しにかかっている。

実際、この本のなかで描かれている遡行、登攀は、いずれも10年ほど前までは想像すらできなかったものばかりだ。宮城君一派は、ヒマラヤや海外のビッグウォールでも十分通用する(というか佐藤裕介はその分野の世界のトップクライマーなのだが)登攀技術と経験と創造性でもって、従来は登攀の対象とされなかった谷底の暗黒空間で極限的なクライミングを実践している。

それはヒマラヤの技術的に難しくない未踏峰を登るような、残された人跡未踏地をあさる、いわゆる〈落ち穂拾い〉的な登山とはまったく性格を異にする行為だ。台湾や称名などは彼らの登攀能力があったからこそ見えてきたラインであり、先人たちの挑戦のすえに登山界の総体的な能力が向上した結果、人類が足跡をのこせる空間領域がじわじわと広がり、現時点で到達が可能となったその最先端部、と理解したほうが適切だろう。

もちろん王道ではない。宮城君の行為はどこか進化の系統樹で本筋からはずれて枝が途切れて絶滅していく生物種の危うさを思わせる。かなりギリギリのところを行っているのはまちがいない。が、だからこそ、地球の表面に刻まれた無数の襞(ひだ)のもっとも奥深くの、ジメジメとした薄暗い皺(しわ)の深淵でひそやかに展開されているこの行為こそ、近代アルピニズムが現時点で到達した達成のひとつともいえる。

もはやこれは沢登りとか、アルパインクライミングとか冬期登攀などといった、従来の固定化されたカテゴリーで呼び表せる登り方ではない。

いったい何と呼んだらいいのだろう。

やっぱりスーパーアルパインクライミングだろうか……。

外道クライマー

作者:宮城 公博
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