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『アリエリー教授の人生相談室 行動経済学で解決する100の不合理』

著者まえがき&内容の一部紹介

早川書房2016年5月11日
アリエリー教授の人生相談室──行動経済学で解決する100の不合理

作者:ダン・アリエリー 翻訳:櫻井 祐子
出版社:早川書房
発売日:2016-05-10
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私の人生を合理的に解釈すると、こんなふうに説明できるかもしれない。私が人間の性質を観察し、省みることができるようになったのは、あのやけどと、今も続く後遺症のおかげなんだと。

私は体表の7割にIII度熱傷を負ったせいで、3年ほどの入院生活を強いられ、ティーンエイジャーらしい生活を奪われ、日々強烈な痛みに苛まれ、医療システムの機能不全にくり返し苦しめられた。また体の大部分にやけど跡が残ったために、人の集まる場では疎外感をもつようになった。こういう要因のせいで、人生というものをよりよく観察できるようになったし、 またそれは社会科学を研究するきっかけにもなった(と私は合理的に解釈している)。

誤解しないでほしいんだが、私はケガをしてよかったなんてみじんも思っちゃいない。あれほどの痛みと惨めさに意味があっただなんて、とても思えない。それでも、ケガに伴う複雑な経験や、病院で過ごした時間、大きなやけど跡と障害を抱える生活があったからこそ、人生というものを、まるで顕微鏡で覗くように客観的に見られるようになった。

そしてこの視点をとおして、人間の苦しみを観察できるようになった。これまで私は苦難を乗り越えて成功した人たちや、屈してしまった人たちを見てきた。ありとあらゆる医療措置を受け、人とのちょっと変わったやりとりを経験してきた。病床という、日常から離れたところにいたために、周りの人たちが普通の生活を送る様子を観察し、人間の習慣について考え、私たちの行動の裏にある理由についてあれこれ考えることができた。

退院してからもやけど跡や痛み、へんてこな医療矯正装置、それに全身を覆う圧迫包帯のせいで、普通の生活から離れたところで暮らしているという感覚は消えなかった。それまであたりまえのように思っていた現実に再び足を踏み入れてからは、日常的な行動にも目を向けるようになり、私たちがどんなふうに買いものや車の運転、ボランティア、同僚とのつき合い、リスク行動、けんか、軽率なふるまいをするかといったことも考えるようになった。そしてもちろん、恋愛生活をつかさどる複雑なしくみに、いやでも気づかされた。

この視点をもって、私は心理学を学ぶようになった。まもなく私生活と研究生活が深く絡み合うようになった。痛みを和らげるためのプラセボ薬を投与された経験から、痛みを伴う治療に期待が与える影響を解明するための実験を行ったり、入院中に受けた嫌な診断を思い出して、患者に悪い知らせを伝える一番よい方法を考えようとした。

個人と職業人の境界をまたぐテーマはほかにも多くあり、そうするうちに自分の意思決定や周りの人たちの行動について、多くのことを学ぶようになった。これは今から25年以上前のことで、それ以来私は自分の時間のほとんどをかけて、私たちがどういうところでまちがいを犯すのか、私たちの意思決定や行動を改善し、よりよい結果を得るにはどうすればよいのかに焦点をあてながら、人間の性質への理解を深めようとしてきた。

私はこういったテーマで何年も学術論文を書いていたが、そのうちに自分がどんな研究をしていて、それにどんな意味があるのかということを、もっと砕けた、あまりアカデミックでない方法で書き始めた。私の研究が、自分の苦しい経験をもとにしていると書いたからだと思うが、多くの読者がいろんな葛藤を打ち明けてくれるようになった。自分の経験が社会科学でどう解釈されているのかを知りたがる人もいたが、自分の抱える問題や意思決定に関する質問が大半を占めていた。

私はできるだけ多くの質問に答えるようにしていたが、そのうち誰もが関心をもちそうな質問が交じっていることに気がついた。そういうわけで、2012年にウォールストリート・ジャーナルのコラム「アスク・アリエリー(アリエリー先生に聞いてみよう)」という場で、一般的な質問に対する回答を、質問者の許しを得て公開し始めた。君がその手にもっているのが、 そのコラムを加筆修正したものと、今回のために書き下ろした回答を集めた本だ。何より、才能豊かなウィリアム・ヘイフェリのすばらしい挿絵が、私の回答を深め、広げ、よりよいものにしてくれている。

紹介はここまで。この合理的解釈はさておき、私のアドバイスは果たして有益で、正確で、 役に立つだろうか? それは実際に読んで判断してもらおう。

不合理な君のダン・アリエリーより

⇒次ページより本書の内容の一部を紹介します。

人に頼まれると断れない 

親愛なるダンへ

この間昇進してから、自分の仕事とまったく関係のないことを次から次へと頼まれるようになりました。同僚や会社全体のためにはたらくことが大切なのはわかっているけれど、そのせいで時間をとられて自分の仕事ができないんです。うまく優先順位をつけるにはどうしたらいいですか? (フランチェスカより)

そうしてみんなは、やることリストをすっかり片づけてから、 幸せに暮らしましたとさ

これぞ成功の呪いだね。昇進は喜ばしいが、昇進したらしたで、いろんなお願いごとや煩わしいことが増えるのに気がつく(おかしな話だが、次に昇進するころにはそんなことはすっかり忘れていて、昇進するたびにあらためて驚くんだ)。

君の質問に戻ろう。たぶん、君の新しい生活はこんな感じなんじゃないかな。毎日、気のいい同僚たちにいろんなお願いごとをされ、できることなら助けてあげたいと思う。それにそういう頼みごとは今すぐではなく、ずっと先、たとえばひと月後に何かをしてほしいというものが多い。

君はまだスカスカのカレンダーを見て、自分にこういい聞かせる。「ひと月あとなら予定がガラ空きだし、断れるわけないじゃない?」。でも、それはまちがっている。実のところ、予定が空いているんじゃなく、細かい予定がまだ決まっていないだけなんだ。そしてその日が来ると、その余分なお願いごとがなかったとしても、やるべきことがありすぎて手一杯の状態だ。そのとき初めて、引き受けるんじゃなかったと後悔する。

これはよくある問題だ。そこで、望ましい優先順位を守るための簡単な方法を3つ教えよう。

1つめとして、何か頼みごとをされるたびに、「来週だったらどうするか」と考えるんだ。 その場合、君は予定表を見て、新しいお願いを入れるためにほかの約束をとり消すべきかどうか考えるよね。ほかの予定をとり消してでも時間をつくろうと思えるなら、引き受ければいい。 でも、ほかの約束より優先するつもりがないなら、きっぱりノーといおう。

2つめの方法として、何か頼みごとをされたら、予定表を見てその日に動かせない予定が入っていた──たとえばその日は出張だった──ことに気づいたと想像してみる。そのとき、君はどう感じるだろう? 残念だと感じるなら、頼みごとを引き受ければいいし、逆に引き受けられなくてホッとするなら、断ってしまおう。

最後の方法として、英語のなかでもとびきりすてきな言葉を使う練習をしてみよう。それはキャンセル・エレーション、つまり何かがキャンセルされたときに感じる高揚感だ〔キャンセレーションにかけている〕。このツールを使うには、いったん頼みごとを引き受けたあとで、それがキャンセルになったと想像するだけでいい。もし喜びを感じるなら、それがキャンセル・ エレーションだ。その場合、どうすればいいかはわかっているね?

 

会議中のマルチタスクはバレない? 

親愛なるダンへ

いつもSkypeやGoogleハングアウト〔ビデオ通話〕の下らないテレビ会議に、かなりの時間をとられています。その時間を利用してメールに返信することにしていて、 誰にも見られないようにカメラをオフにして、音も聞かれないようにとても静かにタイプしているんです。でもキーボードを叩く音が端末の振動を通じて伝わるようで、私が会議に集中していないことをみんなが知っているんじゃないかと不安です。何かアドバイスはありますか? (クリステンより)

あたしと電話しながらマルチタスクしてるんじゃないでしょうね?

君は状況がよくわかっていないようだね。みんな自分のキーボードの音がうるさくて、君がタイプしていることになんか気づいちゃいないよ。それでも誰かに聞かれるのが心配なら、タブレットを手に入れるんだね。

 

専門家のくせに説明が意味不明

親愛なるダンへ

この間ある有名な学者の講義を聞いたんですが、彼が専門分野のごく基本的な概念さえうまく伝えられないことに驚き、不思議に思いました。あんなに高名な専門家が、あそこまで下手な説明しかできなくていいんですか? それが学者の条件とでもいうんでしょうか? (レイチェルより)

気を楽にもって。あなたは有名な作家よ。誰もあなたに自分以外の話なんか期待してないから

私がときどき授業でやるゲームを紹介しよう。数人の学生に何か曲を思い浮かべてもらい、 何の曲を選んだかはいわずにそのリズムで机を叩いてもらう。次に、自分がリズムを叩いた曲名を正しく当てられる学生が何人いるか予想してもらう。たいてい、半数くらいは当たるだろうと予想する学生が多いね。それからリズムを聞いた学生たちに曲名を当ててもらうが、正しく当てられる人はほとんどいないんだ。

つまり、私たちは何か(選んだ歌など)をよく知っていると、その知識をもたない状態を想像しにくくなるんだ。これを「知識の呪縛」という。この傾向は誰にでもあるが、学者の場合はとくにひどい。なぜだろう? 学者は同じテーマを何年もかけて細部にわたって研究するから、その研究テーマの世界的な専門家になるころには、領域全体を単純で直感的に理解しやすく感じるんだね。こうして知識の呪縛にとらわれると、そのテーマは誰にとっても単純でわかりやすいと思いこんでしまう。

というわけで君が目の当たりにした現象は、たしかに専門家の必要条件なのかもしれないよ。

 

結婚する意味が分からない 

親愛なるダンへ
今の彼とは結構長くつき合っているんだけど、周りから結婚するのかとうるさく聞かれるの。彼とは相性がバッチリで、とても愛し合っているけど、結婚する意味がわからなくて。このまま事実婚で幸せに暮らせばいいじゃない? この大げさなしきたりには、生活費を節約できること以外にどんな意味があるっていうの? (ジャネットより)

お手当をくれるなら、医療手当と歯科手当にしてね

私はこのテーマの研究はしたことがないが、君が考えるのに参考になりそうな話をさせてほしい。

私は19歳ごろ、当初隔離されていたやけど病棟から、一般のリハビリセンターに移された。 このセンターには、手足切断から麻痺、頭部外傷まで、いろんな傷を負った患者がいた。そのなかに、爆発物の専門家として従軍し、地雷解体中に重傷を負ったデイビッドがいた。彼は片方の手と目を失い、足を負傷し、ひどい傷痕が残っていた。彼が数カ月前からつき合っていたガールフレンドのレイチェルにフラれると、私を含めセンターの患者はみな憤慨したものだ。 「彼女はなんであんなに不誠実で浅はかなんだろう? 2人の愛なんかどうでもいいっていうのか?」ってね。興味深いことに、デイビッドは彼女の立場を理解し、私たちほど彼女の決断を責めなかった。実際、レイチェルの肩をもったのは彼だけだった。

今ふり返ってみると、レイチェルの選択が正しかったかどうかはわからないが、そこには君の質問に答える手がかりがありそうだ。彼女の行動を考えてみてほしい。君は腹が立つだろうか? もし二人の交際期間がもっと長かったなら、彼女に対する気もちは変わるだろうか? 2人が婚約していたら? 事実婚なら? 結婚していたらどうだろう? またこれらの状況で、 君がレイチェルの立場にいたらどんな行動をとるだろう? そして君のパートナーは、レイチェルの立場にいたらどうするだろう?

私が思うに、君がレイチェルをどれだけひどいと思うかは、レイチェルとデイビッドがどんな関係かによって変わるんじゃないかな。また、重傷を負ったばかりのパートナーに君が添い続けるかどうか(そして君がケガをした場合に、パートナーが添い続けてくれるかどうか)も、 やはり二人の関係によって大きく変わると思う。このことから得られる教訓は何だろう? デイビッドとレイチェルが結婚していた場合に君の見方が変わるなら、「健やかなるときも病めるときも」を公に宣言することは、君にとって実は意味のあることなのかもしれないね。それに君自身が結婚すれば、2人の関係に対する見方が変わるんじゃないだろうか。

いうまでもなく、結婚は2人の関係をくっつける魔法の強力接着剤なんかじゃない。でも結婚は、お互いへの献身と長期的な関係を促す重要なきっかけになることがある。とくに、避けられない不運に見舞われたときがそうだ。

だから、何が何でも結婚すべきだとはいわないが、この伝統が人と人との長い絆をどんなふうに強めているのかを考える価値はあると思うよ。

 

割り勘の一番いい方法は?

親愛なるダンへ

仲間で食事に行くとき割り勘する一番いい方法を教えて。 (ウィリアムより)

部屋全体を見渡せる場所に座って、あとから来た人に先に料理が運ばれないかどうか見張ることにしているのさ

これは友情、社会正義、経験の最適なデザインという複雑な問題の絡む、実に重要な質問だ。 割り勘の方法は、基本的に三つある。各自が自分の飲み食いした分を支払う方法、勘定を頭割りにする方法、そして一人が全員の分を支払い、支払う人をもち回りにする方法だ。私が一番気に入っているのはもち回り式で、二番めが頭割り、そして一番好きじゃないのが各自が飲み食いした金額を支払う方法だ。理由を説明しよう。

自分の分だけ支払うやり方だと、誰もがにわか会計士になって、自分の飲み食いした分をレシートから探して値段をメモし、せっせと足し合わせなくてはならない。おまけにこの腹立たしい会計処理のせいで、せっかくの夜が台無しになってしまうんだ。経験をどのように終えるかは、経験全体の記憶を大きく左右するから、その夜全体が暗い影に覆われてしまう。

頭割り式は、全員の食べる量が(ほぼ)同じときはうまくいく。でもたとえそうだとしても、 クレーム・ブリュレがどんなにおいしかったかを思い出す代わりに、スージーがメインディッシュをあんなにガツガツ食べたのに払った額が同じだったことを思い出しながら夜を終えるのがどんな気分か、想像してほしい。

最後の(私のお気に入りの)方法は、誰か1人が全員の分を支払い、毎回支払う人をもち回りにすることだ。同じメンバーで比較的頻繁に外食するなら、これはずっとよい解決策になる。なぜか?

まず何より、人におごってもらうととても幸せな気もちになるが、この方法ではおごってもらう人の数が最大になるからだ。二つめの理由として、全員の食事代を支払う人は大金を払ってガックリ来るが、おごってもらった人たちの喜びを足し合わせると、ネガティブな感情を補ってあまりあるからだ。経済用語でいうと、社会的厚生が高まったということになる。そして3つめとして、おごる人自身も与える喜びを感じられるからだ。

たとえば友人同士のジェイデンとルカが、行きつけの中東料理店に行ったとしよう。勘定をきっかり頭割りにする場合、それぞれが10単位の惨めさを感じるとする。でもジェイデンが2人分払えば、ルカは0単位の惨めさと、おごってもらう喜びを感じる。また支払い額が増えるにつれて感応度は逓減するから、ジェイデンが感じる惨めさは20単位より小さく、15単位くらいかもしれない。 そのうえジェイデンは大好きな友人におごることで、幸せ度が高まるかもしれないのだ。

それじゃ、食事に行くメンバーが毎回同じでない場合はどうする? そういうときでも、この方法をとる価値はあると思うよ。誰かが時たま損をしてがっかりすることはあっても、全体として見たときの喜びはそれを補ってあまりあるからだ。

アリエリー教授の人生相談室──行動経済学で解決する100の不合理

作者:ダン・アリエリー 翻訳:櫻井 祐子
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