「ジャーナリズムの危機」と言われるようになって久しい。
アナログの時代には、情報の送り手は少数で、情報の受け手は多数であった。このため、報道機関は購読料においても広告においても大きな収入を得ることができた。ところが、デジタルの時代が到来し、この構図は崩れた。誰もが安価ないし無料で情報を送り出せるようになり、情報の送り手は多数となったが、情報の受け手が一日に費やせる時間が24時間以上に増えることはない。情報の価格は値崩れし、多くの報道機関の経営が苦しくなってきている。
信頼のおける情報なくして、民主主義社会を成立させることはできない。ジャーナリズムは今後、いかなる方向に進むべきか。
本書は、起業ジャーナリズム(アントレプレニュリアル・ジャーナリズム)を主導してきたジェフ・ジャービス(Jeff Jarvis)が、近年の思索と実践をまとめたものである。その場限りのつじつま合わせではなく、長期的な視点に立って本質的にジャーナリズムを発展させたいと願う人にとって、本書は多くの知恵を得られる必読の書である。
ジャービスはノースウェスタン大学のメディル・スクール・オブ・ジャーナリズムを卒業。 ジャーナリズムの報道と経営の両面で豊富な経験を持つ。
報道面では、『シカゴ・トリビューン』、『サンフランシスコ・クロニクル』、『ニューヨーク・デイリー・ニューズ』などで記者、コラムニスト、編集者などを経験し、『TVガイド』、『ピープル』でテレビの批評家を務め、タイム社で現在も刊行されている『エンターテイメント・ウィークリー』を発案し初代の編集者として同誌を船出させた。
経営面では、アドバンス・パブリケーションズのオンライン部門の社長兼クリエイティブ・ディレクター、ニューヨーク・タイムズ社が所有時のAbout.comのコンサルタント、デジタル・ファースト・メディアのアドバイザリー・ボードのメンバーなどを務めている。
2006年に開学したニューヨーク市立大学(CUNY)大学院ジャーナリズム学科には準備段階から関与し、現在は教授兼起業ジャーナリズム・タウ・ナイト・センターの所長を務めている。
著作には、本書の刊行以前に『グーグル的思考 Googleならどうする?』(PHP研究所)、『パブリック 開かれたネットの価値を最大化せよ』(NHK出版)、Gutenberg The Geek(Kindle Single、未邦訳)がある。
ジャービスは実にエネルギッシュである。講演やコンサルティングで世界中を飛び回り、イギリスのガーディアンにコラムを持ち、BuzzMachineと題したブログを執筆し、ポッドキャストThis Week in Googleのホストを務めている。
より詳しいジャービスの経歴については、BuzzMachineのAbout Me & Disclosuresを参照されたい。
CUNY大学院ジャーナリズム学科のキャンパスは、マンハッタンの219番地西40丁目にある。かつて『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』の編集局があった建物で、『ニューヨーク・タイムズ』の現社屋も同じ西40丁目の8番街の角にある。
コロンビア大学大学院ジャーナリズム学科という著名なジャーナリズムスクールがあるニューヨークで、後発のCUNYが目玉の一つとして取り組んでいるのが起業ジャーナリズムである。ジャービスは、Kommonsというサイトで、起業ジャーナリズムをこう定義している(現在は公開終了)。
「新しい、持続可能な(sustainable)ジャーナリズムの会社を立ち上げ、運営する能力。それはベンチャーかもしれないし、大企業の一部門かもしれない。だが、ジャーナリズムの未来はイノベーション(革新)からしか生まれないし、私たちはジャーナリズムを存続させるための手立てを見つける必要がある。しかもそれは、新しいビジネス環境に見合ったものでなければならない。(中略)状況は根底から変わり、しかも後戻りはしない。私たちには成功モデルが必要だ。学生たちには、ビジネスの力学と技能、そしてメディアビジネスそのものについて教え、彼ら自身のビジネスを孵化させる手助けをしていく」
最初は一科目の授業として起業ジャーナリズム教育を行っていた。その後、タウ財団とナイト財団からそれぞれ300万ドルの助成金を得て、CUNY自身も400万ドルを集め、2010年に起業ジャーナリズム・タウ・ナイト・センターを開設し、研究と教育の両面で拡充を図った。前述の通り所長はジャービスで、ジャーナリズムと経営学(MBA)の二つの修士号を持つジャーナリスト、ジェレミー・キャプラン(Jeremy Caplan)が教育担当ディレクターを務めている。
2011年からは、履修者に修了証書を発行する起業ジャーナリズムのコースを毎年春学期(1月から5月にかけて)に開講している(CUNY大学院ジャーナリズム学科でジャーナリズムの修士号を得て、さらに起業ジャーナリズム・コースを修了した学生には起業ジャーナリズムの修士号も授与する)。このコースでは、最後に行われる自らの新規事業のプレゼンに向けて、全ての授業や個別指導が積み重ねられていく。短期集中で、プレゼンが近くなるにつれ胃が痛くなるコースである。
次の5つの科目を開講している。
①ビジネスの基礎
経営学の基礎を理論とケーススタディを通じて学ぶ。
②ニュースの新しいビジネスモデル
デジタル時代にふさわしいジャーナリズムの経営のあり方を研究する。
③ジャーナリストのための起業スキル
起業を成功させるための実践的なテクニックを学ぶ。
④新興企業でのインターンシップ
スタートアップのメディア企業でインターンを経験する。
⑤新規ビジネスの立案
受講生が自らの起業案を煮詰めて、最後にプレゼンする。
ジャービスとキャプランが合同で担当する授業には筆者も何度か参加したことがあるが、才気煥発のジャービスと練ったコメントを述べるキャプランが化学反応を起こし、思考を活性化するものになっている。
カリキュラムは毎年吟味して改善を加えている。当初は「技術イマージョン」と題して、デジタル技術の基礎的な知識を学ぶ授業も開講していた。やがて、ジャーナリストと技術者は分業で、ジャーナリストは技術者と会話が成立すればよいという考えに至り、そのかわりに「ジャーナリストのための起業スキル」を開講するようになった。
また、インターンについては、自らの起業案をブラッシュアップするのにより多くの時間を割くべきという考えから、希望者のみが経験するようになっている。
これまでのフェローのプロフィールは以下に記載がある。
2011─2014年:http://towknight.org/fellows/
2015年:https://docs.google.com/document/d/1BMuaneXeFN3_dabYntOz8vUx
D4rCYlw8gJwFh_iV-0E/edit?pref=2&pli=1#bookmark=id.la9s1cft6mau
2016年:http://www.journalism.cuny.edu/2016/03/introducing-the-2016-tow-knight-fellows/
日本からは、筆者が世話人になって、2013年に読売新聞社の栗山倫子、2014年に朝日新聞社の井上未雪が学んだ。さらに、2016年の今年は講談社の石井克尚が学んでいる。
これまでの事業案から、ここではサンプルとして5つほど紹介しておこう。
・Narratively
2012年のフェロー、ノア・ローゼンバーグ(Noah Rosenberg)のプロジェクト。ヒューマンストーリーを長文記事で掘り下げる。
・Skillcrush
2012年のフェロー、アダ・バーニア(Adda Birnir)のプロジェクト。ウェブデザイナーなどを目指す人のための、有料オンライン教育コース。
・Big Girls, Small Kitchen
2013年のフェロー、カーラ・アイゼンプレス(Cara Eisenpress)のプロジェクト。
小さなキッチンで手軽に美味しい料理を作るためのサイト。
・Bushwick Daily
2014年のフェロー、カタリーナ・ヒベノヴァ(Katarina Hybenova)のプロジェクト。クリエイティブな人々が集うブルックリンのブッシュウィック地区で建設的な議論を活性化させるオンライン・マガジン。
・NK News
2015年のフェロー、チャッド・オー・キャロル(Chad O’Carroll)のプロジェクト。北朝鮮に関する独立系ニュースサイト。
地の利を得て、起業ジャーナリズム・タウ・ナイト・センターは起業を志す人のハブの役割を果たすようになっている。起業家による事業案のピッチや起業ジャーナリズム教育のあり方など、様々なテーマでイベントも開催している。
さらに、ジャービスの発案に基づき、CUNY大学院ジャーナリズム学科は2015年にソーシャル・ジャーナリズムのコースを開設した。こちらは、コミュニティが抱える問題を解決するのを助けるサービスを提供するジャーナリズムの発展を目指している。一年間の受講でソーシャル・ジャーナリズムの修士号を授与し、ディレクターはミズーリ大学で博士号を得たキャリー・ブラウン(Carrie Brown)が務めている。
このコースについて詳しくは、こちらをご覧いただきたい。
筆者はかつて、ジャービスにあまり良い印象を持っていなかった。人を食ったところもあり、
うさんくさくもあり、CUNYに移籍した時はこんな人が大学教員になるとはと思ったもの
であった。
だが、接する機会を重ねるにつれ、筆者はジャービスを真面目すぎるジャーナリズム研究者だと考えるようになった。筆者とジャービスとの対話を交えながら、まずジャーナリズムの報道面、ついで経営面の順で、ジャービスの思索を吟味してみたい。
ジャーナリズムには様々な側面があるが、ジャービスは本書の第16章で述べている通り、ジャーナリズムを広義ではコミュニティが知識を広げ、整理するのを手助けする仕事とし、狭義では市民の生活に良い影響を与えるために努力することと考えている。そして、デジタルの時代には記事を送り出すだけではジャーナリズムは不十分で、コミュニティの生活に資するサービスを提供する必要があるとする。
ただし、誤解のないように補足しておくと、ジャービスはコンテンツが無意味になったとか、コンテンツのクオリティがどうでもよくなったと考えているのではない。ジャービスは極めて知的な人物で、低レベルの記事を量産するデマンド・メディアからのアドバイザーの依頼を断っている。コンテンツはジャーナリズムの手段の一つとして今後も有効だが、ジャーナリズムのミッションは公共奉仕にあるとジャービスは言いたいのである。
より有効なサービスを提供するためには、読者をマスとしてとらえるのではなく、読者一人一人のニーズをきめ細かく把握する必要がある。ジャービスがグーグルを高く評価するのはこの点にある。
筆者はジャービスに「それほどグーグルが好きなら、グーグル本社の近くに住んでみたいと思うことはないか」と聞いたことがある。ジャービスの答えは「アメリカにおけるメディアの首都はニューヨークであり、同市が起業の中心地として発展してきているのを誇りに思っている。また、シリコンバレーの文化は自己中心的なところがある」というものだった。サービスは不便な状況を改善するために新規ビジネスを立ち上げるというシリコンバレーの発想でもあるが、ジャービスの目にはシリコンバレーは公共性が欠けていると映っている。
主張が伴ってこそジャーナリズムと考えるジャービスは、アメリカの新聞の客観報道よりも、アメリカよりも事実と意見の区別にこだわらないイギリスの新聞を好む。「小さな男の子の正義のために立ち上がるのがジャーナリストだと信じている」とジャービスは語る。
取材に基づいてファクトを積み上げるのは重要なことだと確認した上で、ジャービスは客観報道はアメリカのメディアにおける神話であるとする。第二次世界大戦後にアメリカの新聞で客観報道が普及したのは、テレビが登場して新聞の数が少なくなる中で、より多くの読者に受け入れられる方法論であったからだという。
ジャービスは「民主主義は騒がしいものだ」との考えに立つ。物事を様々な視点から観察し議論することは有意義であり、彼がBuzzMachineのAbout Me& Disclosuresでここまで自己開示するのも、立ち位置を読者に知ってもらった上で、自らの見解を吟味してほしいからだそうだ。
ジャーナリズム研究者は口を開けば「ジャーナリズムの公共性」と唱える。他の分野の研究者からは十年一日でワンパターンだと言われることもある。そう言われても、政府の腐敗を放置しておけるのかと言えば放ってはおけず、ジャーナリズム研究者はジャーナリズムの公共性の重要性を愚直に訴えていくのが重要だと筆者は考えている。
とはいえ、硬派な報道を志すジャーナリストは少なく、硬派な報道に対して関心を示す読者も少ない現実を鑑みると、ジャーナリズムの研究をしていてもむなしいと思うことも少なくない。
だが、ジャービスの議論は極めてポジティブである。今という時はジャーナリズムにとって好機だととらえ、読者に対する信頼は厚く、読者とジャーナリストとの共同作業に大いに可能性を見出している。
筆者はジャービスに「あなたの議論はニューヨークのインテリには受けるかもしれないが、日本では中川淳一郎著『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)という本が人気を呼んだこともある」と話を振ったことがある。
ジャービスは書名に一瞬笑みをうかべたものの、すぐにシリアスな表情になり、「もし、同僚の市民を信頼し尊敬していないのなら、民主主義と市場経済を信頼していないことになる。市民の上に立つとか、自分は市民より優れていると考えるのは、あまりにエゴイスティックだ」と力説する。こうした考えから、ジャービスは一方的に講演するのを好まず、参加者と対話しようとする。また、司会を務めるとなると、自らマイクをもって会場を所狭しと動き回り、質問者のもとに馳せ参じる。
筆者はジャービスほどには理想主義に徹することはできないのであるが、このぶれない理想主義こそがジャービスの多彩な活動の原動力になっている。
ジャービスの理想主義はジャーナリズムの経営面においても一貫している。
どうしても貧すれば鈍するため、近年は少しでも収入が得られる案が出てくると報道機関はそれに飛びつく傾向がある。
だが、ジャーナリズムの営みを貶める方策に対しては、広告会社やマーケターたちがもっともらしい理屈を振りかざしても、ジャービスが心を動かされることはない。授業で詳細に分析し、視察を重ねてもである。例えば、近年アメリカで流行しているネイティブ広告(日本で言うところの記事体広告)については、記事と広告の境界が曖昧になるため「羊の皮を被った狼」と手厳しい。
そもそもデジタル革命はまだ始まったばかりである。グーテンベルクが印刷術を発明してから、世界初の新聞が創刊されるまでに150年という時間がかかっている。一方、世界初のウェブブラウザがリリースされてからは、まだ20年しか経っていない。デジタルにふさわしいジャーナリズムのビジネスモデルが完成していなくても、何ら不思議ではない。
こうした認識からジャービスは、ジャーナリズムのミッションが何であるかを常に念頭に置いて、新たなジャーナリズムを創造すべしと説く。しかもそれをビジネスとして発展させよと主張する。実にハードな目標設定である。
ジャーナリズムは公共性を追求するのにもかかわらず、NPOではなくビジネスとして展開すべきとジャービスが考えるのは、寄付金だけではジャーナリズムを支えるのに十分な金額に達しないからである。また、何らかの意図に基づく寄付は「タダほど高いものはない」事態になることもあるという理由もある。
さりとて、ジャービスは記事の課金については、『ニューヨーク・タイムズ』、『ウォール・ストリート・ジャーナル』、『フィナンシャル・タイムズ』は成功したが、これは三者がハイブラウな報道機関ゆえの例外で、ほとんどの報道機関では課金は難しいと考えている。
さらに、ジャービスはマス広告の将来についても悲観的である。
となると、とりあえずは、近年はレガシー・メディアと呼ばれることの多い既存の報道機関の経営は立ち行かなくなることになる。
ジャービスはレガシー・メディアを潰すべしという立場ではない。事実はその逆で、彼は既存の報道機関に大変な愛着を持っている。だが、現行の規模で経営を続けていくのは不可能であるから、重要な機能は残してそうでない機能は縮小せよと訴えている。その一方で、起業ジャーナリズムの努力を積み重ねていくうちに、いずれは従来とは異なるジャーナリズムが機能するようになるだろうとジャービスは考えている。
そして、現在のジャーナリズムはユニークユーザー数やページビュー数といったマスメディアの発想で動いているが、今後はコミュニティの目標達成にどれだけ貢献できたかで成功を測るべきとする。
はたして、ジャーナリズムの理想と経営の現実を両立できるデジタルジャーナリズムのビジネスモデルを生み出せるかどうかは分からない。だが、うまずたゆまず努力をしていかなければ、ジャーナリズムが枯渇していくのは確かである。筆者はジャーナリズムの経営面に関するジャービスの議論に全面的に賛成である。
本書を読み、自らも起業ジャーナリズムに取り組んでみたいと思う読者もあるであろう。
残念ながら、日本の大学における起業ジャーナリズム教育は貧弱な状況にある。筆者は日本マス・コミュニケーション学会の研究発表会でワークショップを開催し、起業ジャーナリズム教育の充実を訴えたこともあるが、新設コースの設置には結実していない。
このため、我こそはという方は、これまでの3人に続きCUNY起業ジャーナリズム・コースに志願してほしい。世界中から集まる留学生とともに議論を重ねながら事業案を練っていく作業は、非常に得難い経験である。ご連絡をいただけば、筆者も留学のご相談に応じる。
とはいえ、そう言われても留学する余裕はないという方がほとんどであろう。その場合は、キャプランが構築した無料のオンラインコースで、起業ジャーナリズムの基礎的な考え方を学ぶことを薦めたい。また、キャプランがアメリカ大使館の招きで2013年に来日した際の講演の一つの要約が、東洋経済オンラインに「デジタルジャーナリズム時代の、5つの教訓」として掲載されている。
一方、書籍を求める方には、マーク・ブリッグズ(Mark Briggs)が著したEntrepreneurial
Journalism: How to Build What’s Next for News (CQ Press)が好適である。
さらに、起業ジャーナリズムも含めて、デジタルジャーナリズムの代表的な論客としては以下の研究者がいる。
・エミリー・ベル(Emily Bell) コロンビア大学大学院ジャーナリズム学科教授兼タウ・デジタルジャーナリズムセンター所長。
タウ財団はコロンビア大学にも助成金を出している。CUNYの起業ジャーナリズム・タウ・ナイト・センターとタウ・デジタルジャーナリズムセンターは関心の重なる部分もあるが、前者は経営、後者は技術により重点を置いている。
ベルは『ガーディアン』のデジタル部門のディレクターを経て現職。現在も同紙にコラムを執筆。
・ジェイ・ローゼン(Jay Rosen) ニューヨーク大学アーサー・L・カーター・ジャーナリズム研究所准教授。
1990年代はシビック(パブリック)・ジャーナリズムの研究者として活躍した。シビック・ジャーナリズムは、ジャーナリズムは情報を伝えるだけでなく、公共問題についての議論を活性化し、市民が行動を起こすのを助けるべきだとする。その後、ローゼンが2003年に立ち上げたブログPressThinkは今も続いている。
・クレイ・シャーキー(Clay Shirky) ニューヨーク大学ティッシュ・スクール・オブ・アーツのITPプログラムと同大のアーサー・L・カーター・ジャーナリズム研究所の准教授。
元々はジャーナリズム研究者ではなかったが、社会変革のツールとしてソーシャルメディアの可能性を追求するうちに、ジャーナリズムの公共性に関心を持つようになった。シャーキーの個人ページは http://www.shirky.com/。翻訳された著作に『みんな集まれ! ネットワークが世界を動かす』(筑摩書房)がある。また、シャーキーの横顔については筆者の「ソーシャルメディアは社会を変革するツール」と題したインタビュー記事(日経ビジネスオンラインに掲載)を参照されたい。
・ダン・ギルモア(Dan Gillmor) アリゾナ州立大学ウォルター・クロンカイト・スクール・オブ・ジャーナリズム・アンド・マス・コミュニケーション教授。
1994年から2005年まで、ギルモアはシリコンバレーの日刊紙『サンノゼ・マーキュリー・ニュース』のコラムニストを務めた。ギルモアの同紙サイトでのブログは、既存メディアのブログとして最も初期に属する。ギルモアの個人ページはhttps://dangillmor.com/。翻訳された著作に『ブログ 世界を変える個人メディア』(朝日新聞社)、『あなたがメディア! ソーシャル新時代の情報術』(朝日新聞出版)がある。
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なお、『ニューヨーク・タイムズ』の歴史研究から出発した筆者は、ジャーナリズムの歴史を学び、ジャーナリズムの古典に親しんだ上で、起業ジャーナリズムに取り組むのが望ましいと考えている。歴史をひもとけば、一見すると新しいと思える試みが過去にもあったことを知るようになる。また、例えば『ニューヨーク・タイムズ』の歴史を描いたゲイ・タリーズ著『王国と権力 ニューヨーク・タイムズをつくった人々』(上・下、早川書房)を読むのと読まないのとでは、ジャーナリズムに関する議論の厚みが大きく異なってくる。
深く考え、凝縮された記述を積み重ねるジャービスの議論は、再読三読に値する。本書が広く読まれ、高い志をもってジャーナリズムの発展を目指す人が増えるのを切に願う。