おすすめ本レビュー

『国際秩序』 キッシンジャーが語る世界史

村上 浩2016年7月12日
国際秩序

作者:ヘンリー・キッシンジャー 翻訳:伏見 威蕃
出版社:日本経済新聞出版社
発売日:2016-06-25
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イギリスが国民投票でEU離脱を決め、アメリカでは銃の乱射事件が頻発し、南シナ海の緊張は高まり続け、イスラム過激派は世界のあらゆる都市でテロにより多くの命を奪っている。当たり前だと思っていた秩序は、失われてしまうのだろうか。

不確実性がいやましている未来へより確実な一歩を踏み出すために、本書『国際秩序』は歴史という名の道標を与えてくれる。昨日までの世界はどのような思想に基づき設計されてきたのか、人類は何を求めて争ってきたのか、異なる価値観がぶつかり合う中でどのように秩序を保とうとしてきたのか。ヨーロッパ、中東、アジア、アメリカの歴史を振り返りながら、国際秩序のこれまでとこれからが考察されていく。

著者ヘンリー・キッシンジャーは、ニクソン政権で国家安全保障問題担当大統領補佐官、フォード政権で国務長官を歴任し、国際秩序の確立を超大国アメリカの中枢から追い求めてきた。国務長官退任後も世界の指導者達と交流を持ち、90歳を超える今でも大きな影響力を発揮し続けている。ベトナムやカンボジアをめぐるキッシンジャーの業績に関しては未だにその功罪が議論され続けているが、2014年にアメリカで発売された原書『World Order』には多くの賛辞が送られている。ヒラリー・クリントンも書評で本書を、多様な角度から世界を見る一助となり、21世紀に政治的合意を勝ち取る方法を教えてくると高く評価している。

21世紀は混乱の時代になってしまうかのようにも感じられるが、これまでのどのような時代にも、本当の意味でのグローバルな「世界秩序」など存在したことはない。全地球的とまでは言えないものの、多くの現代人が「国際秩序」として受けいれているものは、400年前にドイツのヴェストファーレン(ウェストファリア)で誕生した。国際秩序のグローバルヒストリーである本書は、国際秩序誕生の地・ヨーロッパからスタートする。

ローマ帝国以降のヨーロッパ秩序の特質は、多元主義にある。ヨーロッパ以外の中国やイスラムでは、群雄割拠の時代は動乱や軍閥という言葉のつきまとう、乗り越えられるべきもの、巨大な力によって平定されるべきものであった。ところが、「ヨーロッパは、逆に細分化で栄え、分裂をよろこんで受け入れた」のだ。これは何もヨーロッパ君主が多様性を尊重したわけではなく、彼らが他者に自分の意志を押し付ける力を持たなかったに過ぎない。神聖ローマ帝国皇帝も、中国皇帝やイスラムカリフよりずっと弱い政治基盤しか持ち得ず、意のままに操れる帝国官僚制度も存在しなかった。

結果としての多元主義の中では権力の綱引きが絶えることがなく、1618年から1648年まで続いた30年戦争時に、その混乱は頂点を極めた。全人口の約4分の1もの命が失われた30年戦争終結後には、全面戦争の再発はなんとしてでも避けなければならないという思いが、ヨーロッパ全土に広まっていた。そして、王国や宗教的権威ではなく、国家こそが主権を持つヨーロッパ秩序の単位であることが確認され、ヴェストファーレン条約が誕生した。加盟国の首都に代表者を常駐させるという、現代では当たり前に思える外交の枠組みも、このときに設計された。本書では、ヴェストファーレン条約がどのような交渉のもとで生まれ、運用され、歴史を変えてきたかが、次代を見据えた政治家たちの生き様とともに描き出される。

多極間で巧妙にバランスを取る仕組みであるヴェストファーレン的考え方が、普遍性を持っているわけではない。同時代のロシアにとっては絶えることなく意志を競い合わせ、国土を拡大させることが国際秩序であり、イランのホメイニ師にとって国家は宗教闘争のための便利な武器に過ぎなかった。そして、イスラムの国際秩序とは、預言者ムハンマドの正統なる後継者たるカリフが統治する「ダール・アル・イスラーム(イスラムの家)」を拡大し、世界の果てまで平和をもたらすことに他ならない。互いに交じり合うことのない秩序と秩序はこれまでどのように対峙してきたのかを知ることは、秩序同士の対立を人類は乗り越えるための第一歩となるはずだ。

アジアの歴史的な国際秩序は、平等やバランスではなく、ヒエラルキーに基づくものであった。その中心には中国がおり、本書でも中国の描写に多くの紙幅が割かれている。戦後の米中関係をスタートさせたキッシンジャーは、「日露戦争調停以来ずっと-アジアに覇権が生まれるのを防ぐのが、アメリカの不動の政策だった」と述べている。アジアを語るパートでは、日本についても多くの言及がなされており、アメリカがアジアをどう見ているかを知り、オバマ政権のアジア・ピボット戦略が何を意味するかについても理解を深めることができる。

ヨーロッパから始まり、中東、アジアを経て本書の議論は、「すべての人類のために行動する」特殊な国であるアメリカにいたる。アメリカが世界で果たす役割の真意を最初に理解した大統領であるセオドア・ルーズベルトは、ノーベル平和賞記念講演で以下のように述べている。アメリカは孤立主義を乗り越え、国際問題に取り組むのだという強い意志が感じられる。

暴力がはびこる新しい荒々しいコミュニティでは、正直な人間は自分の身を護る必要がある。そして、安全を確保する他の手段が考案されるまで、コミュニティにとって危険な者たちが武器を持っているのに、武器を捨てろとその人間を説得するのは、おろかで邪なことだ。

グローバルな世界秩序の萌芽が見られた1948年から20世紀末までは例外的な時代だったのかもしれない、とキッシンジャーは振り返る。「アメリカの理想主義」と「力の均衡」という概念がうまく融合して世界を包み込むかに思われていたからだ。歴史はアメリカの理想主義を打ち砕き、インターネットに代表されるテクノロジーの誕生は、これまでの秩序の前提となっていたものの多くを変えてしまった。キッシンジャーは、最後に改めて、わたしたちに疑問を投げかける。

多様な文化を共通のシステムに転化することは、可能だろうか?

この本にその答えは書いていない。答えの出ない問いなのかもしれない。それでも、人類は諦めずにこの問いと向かい合う必要がある。

 

政治の起源 上 人類以前からフランス革命まで

作者:フランシス・フクヤマ 翻訳:会田 弘継
出版社:講談社
発売日:2013-11-06
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歴史の終わり』のフランシス・フクヤマが、近代国家がどのように誕生したかを上・下巻で語り尽くす。世界の基本単位として当たり前に受け入れている国家の誕生がどれほど稀なことであったかを思い知る。上巻のレビューはこちら。下巻のレビューはこちら。続編である『Political Order and Political Decay』の邦訳が待ち遠しい。

「全世界史」講義 I古代・中世編: 教養に効く!人類5000年史

作者:出口 治明
出版社:新潮社
発売日:2016-01-18
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ライフネット生命の出口会長が一筆書きで語る、グローバルヒストリー。バラバラに知っていた事件が、1つのストーリーとして繋がり合う感動を覚える一冊。成毛眞のレビューはこちら。鰐部祥平のレビューはこちら

ニクソンとキッシンジャー - 現実主義外交とは何か (中公新書)

作者:大嶽 秀夫
出版社:中央公論新社
発売日:2013-12-19
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ニクソンとキッシンジャーによるアメリカ外交が新書にコンパクトにまとめられている。アメリカでは昨年出版された、Niall Fergusonによるキッシンジャーの決定版的評伝『Kissinger: 1923-1968: The Idealist』が話題を呼んだ。