「解説」から読む本

『<インターネット>の次にくるもの』不可避な未来をどう受け入れるべきか

訳者あとがき by 服部 桂

NHK出版2016年7月23日
〈インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則

作者:ケヴィン・ケリー 翻訳:服部 桂
出版社:NHK出版
発売日:2016-07-23
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ニューヨーク・タイムズはAP通信社に続いて、6月1日からインターネットの表記について、「Internet」を「internet」に変えると宣言した。ただ単に、最初の文字を大文字から小文字に変えるという話だが、つまりこれはインターネットが人名や会社名などを指す固有名詞ではなく、一般名詞になったということを公式に認めたことになる。APの編集者トーマス・ケント氏も「われわれの見解では、いまではそれは電気や電話のようにまったく一般的なものだから」とその理由を述べている。日本語では文字の大きさで名詞の種類を区別はしないが、インターネットがあまりに当たり前の存在になってきたので、いまでは「ネット」と縮めた表記が頻繁に使われて、それで話が通じるようになってきた。

インターネットが一般紙に最初に大きく取り上げられたのは、1988年の11月2日に「インターネット・ワーム」事件が起きたときだった。コーネル大学の大学院生ロバート・モリスが自己増殖するプログラムをネットに撒いて実験したところ、プログラムのコピーで一杯になって動かなくなり、「研究者の(特殊な)ネットワークにつながるコンピューターの1割に当たる6000台が停止した」とニューヨーク・タイムズ紙の1面で報じられたのだ。

当時のインターネットはまだ、69年に国防総省の高等研究計画局(ARPA)の資金で実験が始まったときの名称のまま「ARPAネット」と呼ばれていたが、ARPA以外のネットワークが徐々にできて相互につながるようになってきたことから、ネットワークとネットワークをつなぐという意味で、「インター」という文字を冠した「インターネットワーキング」という言葉が使われ始めたばかりだった。

しかし、コンピューターのネットワークというのはまだ特殊な専門家が扱うもので、新聞を読んだ多くの人は、なぜそんな事件が新聞の1面を飾るのかまるで理解できなかったに違いない。全部で6万台ものコンピューターがつながる不可解な存在だが、国防総省の息もかかっているし、ひょっとしたら核戦争につながるような大事件なのかもしれないと感じた人もいた。しかし現在はインターネットにつながるコンピューターが10億を超えている。当時まだインターネットは揺籃期にあったのだ。

「(われわれがなじみのインターネットは)創造されてからまだ8000日も経っていない」と本書の著者ケヴィン・ケリーは言う。ティム・バーナーズ=リーがウェブを発明してから、誰もが簡単にネットサーフィンできるようになり、さらにメールし、検索し、ショッピングし、日々の出来事をソーシャルメディアにアップできるようになったが、それは95年にウィンドウズ95が登場してネットブームが起きてから、たったの20年ほどの期間でしかない。

最初はどうやったら使えるのかも分からず、ほとんどの人は「モデム」とか「プロバイダー」という言葉の意味も分からず、「申し込みたいので、インターネットという会社の連絡先を教えてください」という問い合わせが新聞社にも寄せられた。当初はパソコンやキーボードが使えないと始めることはできず、モデムなどをつないで通信ソフトを細かく設定しなくてはならず、電話のダイヤルアップで利用するしかなく、ちょっと使うと毎月何万円もかかったため、新しもの好きやオタクのメディアと思われていた。まだ現在と比べるとオモチャのようなレベルで、ソフトも少なくセキュリティーは問題だらけで、ビジネスや公共のサービスには危なくて使えないとされていたが、いまでは誰もがネットを大して意識することもなく、スマホを使って日々の生活の中で使っている。

全世界のネットユーザーは32億人に達し、日本でも1億人以上が使っており、60兆を超えるページがあって増え続け、それが数時間でも止まったら世界中がマヒしてしまうほどの存在になった。そしてこれから、ネットをベースとしたAIやIoT(モノのインターネット)、ビッグデータ、VR、ロボットといったさまざまな次世代テクノロジーが本格化することで、われわれの仕事がコンピューターに置き換えられ、ネットが人間総体の能力を上回ってしまうと主張するシンギュラリティーという言葉も話題になっている。

デジタル時代は、それ以前の工業時代に比べて時間の経過が何倍も早くなり、ドッグイヤーと呼ばれて物事の変化が激しくなってきた。その起点を探ろうと遡ると、30年前の80年代の世界的な通信自由化の時代に行き着く。それまでは企業を中心に「電子計算機」と呼ばれる大型コンピューターが使われていたが、オンライン利用はまだ一般的ではなく、通信速度も電話回線を使った300bps程度で、いまの100万分の1のレベルでしかなかった。

しかし徐々に安価で高速な回線が整備され、パソコンが登場することで初めて一般人がコンピューターに触れる環境ができ始めた。パソコンとモデムを使って電話回線でコミュニケーションができるパソコン通信というサービスが始まり、誰もが初めてメールを使ったりチャットをしたり、掲示板で論議できる環境が出現した。本書でも述べられているように、それは非常に大きなパラダイム転換であり、コンピューターが計算のためというより人と人をつなぐ道具であることが認識されるようになった瞬間だった。

もともと若い頃にはヒッピーでアジアをカメラマンとして何年もさまよい、コンピューターやハイテクを国家の手先として嫌悪していた著者はこの頃、60年代のカウンターカルチャーの急先鋒だったホール・アース運動で有名なスチュアート・ブランドと仕事を始めることで、WELLというパソコン通信サービスに関わるようになり、初めてテクノロジーが人間の役に立つと感じるようになった。

そしてそれからのパソコン革命を実際に経験し、90年代にはデジタル・カルチャー誌ワイアードの創刊編集長となり、ドッグイヤーで進むテクノロジーの進化に日々現場で立ち会うことになる。そして最初に、その大きな変化をまずOut of Control(『「複雑系」を超えて』アスキー)にまとめ、流動化したデジタル・テクノロジーが作り出す複雑でカオス的な世界を描き、次にその影響で変化するニューエコノミーを題材にしたNew Rules for the New Economy(『ニューエコノミー勝者の条件』ダイヤモンド)をビジネス界に送り、さらには本格化し始めたインターネットの形作るデジタル世界の本当の意味を求めて、宇宙の始まりから未来までをカバーする壮大な理論を構築したWhat Technology Wants(『テクニウム』みすず書房)を世に問うた。

 

前著の『テクニウム』では、テクノロジーを自己組織化する情報世界の基本原理と捉えて、壮大かつ深遠な宇宙観にまで論を進めた。テクノロジーを単なる人間の人工的な方便と考えるのではなく、生命世界の上位概念として宇宙の普遍的な要素とまで言い切った彼の論に、戸惑いを覚えた読者もいたかもしれない。

しかし今回書かれた本書は、われわれの身近なデジタル・テクノロジーとの付き合い方を個別のサービスなどを例に説いた、もっと親しみやすい内容だ。テクニウムという広く深い概念にまで行き着いた彼は、そこから再度現実に目を向け、日々進化するテクノロジーについてその意味を問い、どう付き合うべきかを具体的に考えた。

本書の原題はThe Inevitableで、不可避という意味だ。何が不可避なのか? それはデジタル化したテクノロジーが持つ本質的な力の起こす変化だ。それは水が川上から川下に流れるように、太陽が東から出て西に沈むように、この世界に普遍的な理でもある。彼はそれを12の力もしくは傾向に分けて、それぞれの力を順に説明していく。各章の表題は動詞の現在進行形で表記されており、(第1章で主張するように)動詞化する世界がまさにプロセスとして動いている姿を捉えようとしている。これらはデジタル世界の持つ根源的な性格を捉え、法則として読み解く重要なキーワードだ。

その12章を簡単にたどるなら、ネット化したデジタル世界は名詞(結果)ではなく動詞(プロセス)として生成し(第1章 BECOMING)、世界中が利用して人工知能(AI)を強化することでそれが電気のようなサービス価値を生じ(第2章 COGNIFYING)、自由にコピーを繰り返し流れ(第3章 FLOWING)、本などに固定されることなく流動化して画面で読まれるようになり(第4章 SCREENING)、すべての製品がサービス化してリアルタイムにアクセスされ(第5章 ACCESSING)、シェアされることで所有という概念が時代遅れになり(第6章 SHARING)、コンテンツが増え過ぎてフィルターしないと見つからなくなり(第7章 FILTERING)、サービス化した従来の産業やコンテンツが自由にリミックスして新しい形となり(第8章 REMIXING)、VRのような機能によって高いプレゼンスとインタラクションを実現して効果的に扱えるようになり(第9章 INTERACTING)、そうしたすべてを追跡する機能がサービスを向上させライフログ化を促し(第10 章 TRACKING)、問題を解決する以上に新たな良い疑問を生み出し(第11章 QUESTIONING)、そしてついにはすべてが統合され彼がホロス(holos)と呼ぶ次のデジタル環境(未来の〈インターネット〉)へと進化していく(第12章 BEGINNING)という展開だ。

邦題は『〈インターネット〉の次に来るもの』とした。デジタル・テクノロジーの持つ力の不可避な方向性とは、まさに現在われわれが(仮に)〈インターネット〉と呼んでいるものの未来を示すものだからだ。しかし、われわれは現在、デジタル世界の水にどっぷりと浸かった魚のように、このデジタル環境が何であるかについて深く考えられないでいる。著者は未来予測をするというより、むしろ過去30年の経験を反省して距離を置くことで、〈インターネット〉という名前に象徴されるデジタル革命の本質を読み解こうとしているのだ。

ワイアードの初代編集長でありながら、当初ネットは超多チャンネルのテレビになると信じたり、商売には使えないし、ウィキペディアなどのアマチュアが書く百科事典は成立しないと考えたりした失敗談を織り込み、われわれがネット出現時にいかにその本質を見誤っていたかを鋭く説く。確かに30年前には海のモノとも山のモノとも分からない〈インターネット〉が、メディアを大きく変え、政治経済や社会全体のありとあらゆる基盤を変えてしまうことなど誰も想像できていなかった。そう考えるなら今後30年経ったとき、ドッグイヤーで進化した〈インターネット〉の姿をどう考えればいいのか? われわれが過去30年を振り返って、現在との差異を理解することで、未来の生じるかもしれない新たな変化(差異)について思い巡らすことができるのではないか。

前作の『テクニウム』で、デジタル世界を最も深く理解するビジョナリーとしての評価を確立した著者が、その後の新たなアイデアを自身のブログやニューヨーク・タイムズなどの大手のメディアに発表し、それを基に続編を書くことを公言していたので、われわれはずっと注目してきた。そして昨年に草稿ができた段階で、英語版に先行して中国語版が出され、発売前に15万部の予約が入るほどの人気を博した。

また今年6月の発売に先行して、テキサス州オースチンで毎年3月に開催されているいま最もホットな音楽、映画やデジタルメディアの祭典SXSWでは、ケヴィン・ケリーが本書について語るセッションが設けられ、主催者の一人で有名なSF作家ブルース・スターリングのセッション参加者を大幅に上回る観客が詰めかけ会場から溢れた。本書は発売と同時に、ニューヨーク・タイムズやウォールストリート・ジャーナルのベストセラーの上位にランクインし、夏休み読書特集にも一押しの本として紹介されている。

本書に書かれている展望は、今後の問題点もカバーしているものの、未来についてかなり楽観的な見方をしている。これからのネットが開く世界は前向きな話ばかりではなく、ウィキリークスや炎上事件などに象徴される旧体制や社会との確執や、プライバシー、セキュリティーなどの新たな問題の火種も含んでいる。欧米では、ネット社会の未来について、世界中の利用者のデータや仕事を収奪する新たな植民地主義だと懸念する声も聞かれる。デジタルの可能性に期待を寄せるアメリカの読者の中にも、いくぶん戸惑う意見があることも確かだ。しかしケヴィン・ケリーは長年の経験から、悪いことより良いことが僅かに上回っており、こうした世界を理解することでより良く未来に対処できると信じている。

物事を遠くから観察するだけでその善悪を断罪したり抗ったりするのではなく、まず虚心坦懐にその姿を受け入れて理解することこそ、問題に立ち向かう最良の生き方であることを彼は理解している。東洋を深く愛する彼だからこそ持てる視点であり、それはまるで禅の高僧の言葉のようだ。

有名なパーソナル・コンピューターの命名者でもあるアラン・ケイが言ったように、「未来は予測するものではなく発明するもの」であるなら、本書が述べるように「最高にカッコいいものはまだ発明されていない。今日こそが本当に、広く開かれたフロンティアなのだ。……人間の歴史の中で、これほど始めるのに最高のときはない」と考えることで、われわれは誰もが同じスタート地点に立って、この混迷した時代にきちんと前を向いて未来を変えていくことができるのではないだろうかと思う。

2016年6月22日 服部 桂

〈インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則

作者:ケヴィン・ケリー 翻訳:服部 桂
出版社:NHK出版
発売日:2016-07-23
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