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認知力が生み出す虚構の力!『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』すべては7万年前に始まった。

鰐部 祥平2016年9月8日
サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

作者:ユヴァル・ノア・ハラリ 翻訳:柴田裕之
出版社:河出書房新社
発売日:2016-09-08
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私たちは自らをホモ・サピエンスと名づけた。自分達を「賢い人」と呼ぶ私たちは、アフリカ大陸で捕食者に怯える、取るに足りない動物であった。なぜ、その取るに足りない動物である「サピエンス」が現在のような食物連鎖の頂点に立ち、地球を支配するような存在になったのどろうか。

15万年ほど前に東アフリカで細々と暮らしていたサピエンスは7万年ほど前になると突如、地球上のあらゆる場所に侵入し、他の人類を絶滅に追い込む。それ以前のサピエンスは複雑な道具を作る事もなく、他の人類に対しこれといった強みを持っていなかった。解剖学的には8万年前の人類と今の人類の間に大きな違いは存在しない。見た目は同じだが太古のサピエンスは脳の構造が私たちと違っていたと推測されている。およそ7万年前を境目にしてサピエンスの認知的能力に劇的な変化が起きたのだ。

「認知革命」がなぜ起こったのかは、最新の研究でもわかっていない。理由はともあれ、認知革命により私たちが手に入れた最大の武器とはなにか。それは想像力だ。「気を付けろ、ライオンだ」という言語を操れる人類は他にもいたが、「ライオンはわが部族の守護霊だ」と話すことが出来る人類はサピエンスだけだ。この想像力のおかげでサピエンスは複雑な社会を形成することが可能になった。

次の人類のターニングポイントは農業革命だ。1万ほど前に植物の栽培と動物の家畜化が始まり、人類は定住生活をするようになる。私たちは農業革命の果てに生まれた繁栄の上で生活しているので、農業の誕生を単純に進歩ととらえてしまいがちだ。だが、必ずしもそうではないという。そもそも、初期の農民は健康状態や栄養状況のどれをとっても、狩猟採集生活者よりも劣悪な状況だった。出土した骨からもその差は歴然としている。狩猟採集民は一日わずか数時間の労働で十分な食料を手にすることが出来た。自然の様々な食材を手にできたので、単一、または少ない種類の作物に依存していた初期農耕民のように、飢饉に見舞われることも稀で、栄養のバランスもとれていた。

ではなぜ、人類は農耕という生活様式を選んだのか。様々な状況や説が書かれているが、一番、目から鱗だったのは、小麦が人類を奴隷化したのではないかという話だ。小麦はあまり競争力の強い植物ではなく、中東のごく限られた地域に自生する弱い立場の草にしかすぎなかった。それが今では225万キロメートルも地表を覆っている。これは日本の面積の6倍に相当する。小麦の視点から見れば人類を利用する事で生存競争に勝利したように見えるではないか。

むろん人類も恩恵を受けている。農耕は単位面積あたりの土地から多くの食物が手に入る。そのおかげで多くの人口を賄えるようになる。進化の通貨がDNAの二重螺旋の複製だと考えるなら、初期農民は確かに勝利したことになる。ただし、種としての繁栄は必ずしも個人の幸福に直結したわけではない。農民個々人は、長い歴史の多くの期間を飢饉の恐怖と栄養不足と重労働という苦みに直面し続けた。

農業革命で人口の増加が始まると、複雑な教義や体系をもった社会や宗教が生まれる。第一部で説かれた認知革命により虚構を生みだす力がそれを可能にした。虚構による社会秩序と文化は、見ず知らずの多くの人々を束ね、協力させる事を可能にした。法人や株式会社、貨幣、法律、国家、帝国など、これら全てが虚構の上に成立している。

しかし、ここにも負の側面がある。虚構は想像上のヒエラルキーと差別を生み出す。またキリスト教や民主主義、自由主義経済から共産主義まで、人類は様々な脱出不可能な虚構の牢獄をも生み出した。これら想像上の秩序は私たちの心の中に存在しているが、巧みに物質世界にも織り込まれており、私たちの欲望までも支配している。そして、この想像上の秩序は「共同主観」により支えられているために、一度に多数の人間の意識を変えなければ、変化を起こすことはできない。

また、変化を起こせたと思っても、より大きな共同主観にからめ捕られているだけなのだ。例えば、神に選ばれた王家を滅ぼしたとしても、神が与えた権利による自由、平等という虚構がそこには待ち構えているといったように。現代にまで続く終わりなきイデオロギー論争の原点は、認知革命と農業革命にまで遡る事が出来る人類の宿痾なのだ。

もうひとつの大きなターニングポイントは科学革命だ。それまでの社会を支えていた宗教と言う虚構は、古代の聖人や預言者は全ての事を知っているという仮定の下に成立していた。コーランや聖書を紐解けばそこに答えがあり、それ以外の考えを持つ事は神の教えに逆らうことなのだと弾劾された。しかし、科学革命はそのような神話を否定し「私たちは世界の事を何も知らない」と認めることで成立した。むろん科学も神話と完全に断行できたわけではない。だが私たちは新たな力を手にする。本書ではなぜ、無知を認め科学革命を起こすことになったのが、中国人やアラブ人ではなくヨーロッパ人であったのかという点も深く考察されている。

近年の科学の発展は目覚しいものがある。最近ではネアンデルタール人を復活させようという動きがあるという。また遺伝子操作により「非死」の人間をも生み出す研究がなされている。またDNA操作により今までに存在する事のなかった種を私たちは生み出している。

それだけでなくDNA操作により、人類の「第二の認知革命」が起こる可能性すらあるというのだ。そうなれば将来の人類は今の人類とは全く別の存在になると言っても過言ではない。虚構という力で文化を形成し発展してきた私たちは、無知を認めることで新たな力を手にした。そして、その力は生物すらも自由に改良する事ができる。これは虚構の存在である「神」に人類が限りなく近づきつつあるということだ。この力は人類をさらに発展させるかもしれない。だがそれがすぐに個々人の幸福に結びつくかはどうかはわからない。農業革命がすぐに個人の幸福に直結しなかったように。

私たちが生み出した文明の発展と構造を見事なまでにわかりやすく解説している本書は、間違いなく今年読むべき一冊だ。

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

作者:ユヴァル・ノア・ハラリ 翻訳:柴田裕之
出版社:河出書房新社
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出版社:イースト・プレス
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出版社:原書房
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出版社:早川書房
発売日:2016-04-22
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シンギュラリティは近い [エッセンス版]―人類が生命を超越するとき

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出版社:NHK出版
発売日:2016-04-26
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