「解説」から読む本

『土と内臓 微生物がつくる世界』

訳者あとがき

築地書館2016年11月15日
土と内臓 (微生物がつくる世界)

作者:デイビッド・モントゴメリー 翻訳:片岡 夏実
出版社:築地書館
発売日:2016-11-12
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本書の原題 The Hidden Half of Nature は「隠された自然の半分」という意味だ。それが示すとおり本書は、肉眼で見えないため長いあいだ私たちの前から隠されていた、そして今も全貌が明らかにはなっていない微生物の世界を扱っている。 

昨今、腸内フローラという言葉がちょっとした流行語となっている。腸内細菌の重要性は以前から言われてきたが、さらに一歩進んで、細菌の多様性やバランスが注目されるようになったということだろう。腸、特に大腸の内部は、人間にとってもっとも身近な環境といえる。そこでは数多くの微生物が生態系を築き、人体と共生して、食物を分解し人間に必要な栄養素や化学物質を作り、病原体から守っている。

それと同じことが、土壌環境でも起きている。腸では内側が環境だったが、根では裏返って外部が環境となる。そこに棲息する微生物は植物の根と共生して、病原体を撃退したり栄養分を吸収できる形に変えたりしている。さらに、微生物は細胞内でも動植物と共生していることがわかっている。太古の海で、あるとき捕食され他の微生物に取り込まれた微生物細胞が、生き延びて捕食者と共生関係を築くという常識を超えた事態が起きた。ここからやがて複雑な多細胞生物への進化が始まったのだ。

そうした微生物観は、決して古いものではない。コッホやパスツールらによる病原体の発見以来、長い間微生物は主に、撲滅すべき病気の原因とされてきたし、この見方は今も根強く残っている。病原体としての微生物という考え(細菌論)にもとづいてさまざまなワクチンや抗生物質が作られ、おかげで多くの人の命が救われたこともたしかだ。しかし抗生物質の乱用は薬剤耐性菌を生み、また体内の微生物相を改変して免疫系を乱して、慢性疾患の原因になっている。

同じことは土壌でも起きている。人類は有機物と土壌の肥沃度の関係に直感的に気づき、農地に堆肥や作物残滓などを与えてきた。科学者が、有機物に含まれる栄養分は植物の成長に寄与していないことを発見すると、化学肥料がそれにとって代わった。当初、化学肥料の使用で爆発的に収穫が増大したが、やがて収量は低下し、病気や害虫に悩まされるようになった。実は、土壌中の有機物は植物そのものではなく土壌生物の栄養となり、こうした生物が栄養の取り込みを助けて、病虫害を予防していたのだ。

このような進化史、科学史の流れから、微生物と動植物との共生関係、免疫との関わりについての新しい知見までの概観が本書一冊に凝縮されている。

著者のデイビッド・R・モントゴメリーとアン・ビクレー夫妻はそれぞれ地質学者と環境計画を専門とする生物学者で、土と環境のエキスパートではあるが、微生物学者や医師ではない。二人が微生物に関心を持つきっかけとなったのは、彼らの個人的な体験だった。そのいきさつは本文中に、臨場感あふれる筆致で描かれている。著者は新居の庭が植物の栽培に適さないことに気づき、土壌改良のために有機物を大量に投入する。それが予想以上の成果を収めたころ、アンががんと診断され、自身の健康と食生活に向き合うことになる。

この二つの経験を通じて、自分の身体と庭というもっとも身近な環境から微生物を捉え直し、実体験を医学、薬学、栄養学、農学など多分野の知見と融合させ、魅力的な物語に仕上げたのが本書だ。この本を読み終えたとき、私たちの健康や生活が隠された自然の半分なしには一日として成り立たないことが、改めて認識されるだろう。著者も言うように、それは私たちの一部であり、また私たちがその一部でもあるからだ。