HONZ客員レビュー

『ロレンスがいたアラビア』

出口 治明2016年12月31日
ロレンスがいたアラビア(上)

作者:スコット・アンダーソン 翻訳:山村 宜子
出版社:白水社
発売日:2016-09-29
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ピーター・オトゥールが扮した「アラビアのロレンス」は、紛れもなく僕を映画好きにした1作だった。本書は、ロレンスに惹かれて「知恵の7柱」(東洋文庫)を始めとする関連書籍を読み漁っていた学生時代を思い出させてくれたが、それだけではなく他の類書にはない面白さがぎっしりと詰まっていて驚いた。

ロレンスがいたアラビアには、他にもロレンスと同じような境遇の尖った若者がいたのだ。アメリカ人イェール(スタンダード・オイルの情報員)、ドイツ人ブリューファー(学者でスパイ)、ユダヤ人アーロンソン(シオニストのスパイ組織の首謀者)である。本書は、いずれも20代から30代のこの4人の冒険家が織り成す、あの疾風怒濤の時代ならではの逸話満載の類まれな物語である。

物語は、英国国王に呼び出されたロレンスがナイト爵を辞退するところから幕を開ける。新たな映画が作れそうなシーンだ。そして4人の若者の夫々あまり幸せではない生い立ちが語られる。15歳のころ突然背が伸びなくなった内気なロレンス。情け容赦のない家庭に生まれた病弱なブリューファー。運命の糸は4人を中東に呼び寄せる。オクスフォード大学の考古学者ロレンスは、シリアの発掘現場で若者ダフウムと出会い、彼を通じてアラブ社会に惹かれていく。

やがて第一次世界大戦が始まりロレンスはカイロで軍務につく。オスマン朝のシリア総督ジェマル(とても魅力的な人物)がロレンスを除く3人と密接に絡み合う。何しろ戦時中のことで、外国人は大事にされるのだ。トルコのガリポリ上陸作戦でオスマン軍に敗退した英国は、アラブの蜂起に期待してメッカの太守フサインに将来のアラブ国家を約束する(マクマホン=フサイン書簡)。

偶然が重なりロレンスはアラビアに派遣されて、フサインの4人の息子と会い3男のフアィサルにリーダーの資質を見出す。2人は盟友となり以降アラブの戦いを引っ張っていく。しかし英国はシリアに執着するフランスと密かにサイクス=ピコ協定を結ぶ。30代のサイクスは「思いつきでうるさく主張して回る『貴族アブ』で嘘つき」であった。「歴史上これほど無頓着に、これほどの悲劇を引き起こした人物はほとんどいない」。

さらに英国はバルフォア宣言でユダヤ人にもユダヤ国家を約束する(これにもサイクスが絡んでいる)。この3つの約束により今日の中東紛争の混乱の種が蒔かれたのだ。ロレンスが母国の欺瞞とアラブの大義の間で板挟みになり苦悶を続けたのも頷ける。

アラブ軍は勝利を重ねてついにダマスカスに入場する。しかし、ロレンスはほとんど精根尽き果てていた。英軍のアレンビー将軍とファイサルは、ヴィクトリア・ホテルで運命の会談に臨む。通訳はロレンスが務めたが英国の背信が暴露されアラブ国家の夢は潰えた。ロレンスは翌日シリアを去り、2度と戻ることはなかった。

ロレンスが命を懸けて守ってきたアラブの大義は、最終的には、戦後、英仏首相のわずか5分の話し合いで灰に帰した。運命の非情と4人の若者の青春いや人生を懸けた戦いを、時を丁寧に追いかつ躍動感あふれる筆致で重層的に描き切ったこの上なく面白い歴史大作である。

ロレンスがいたアラビア(下)

作者:スコット・アンダーソン 翻訳:山村 宜子
出版社:白水社
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