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『江戸の乳と子ども いのちをつなぐ』母乳神話は、どのように育まれてきたのか?

麻木 久仁子2017年2月24日
江戸の乳と子ども: いのちをつなぐ (歴史文化ライブラリー)

作者:沢山 美果子
出版社:吉川弘文館
発売日:2016-12-20
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22年前、娘を産んだ。が、体つきが細く胸の小さかった私は、母乳がほとんど出ずに悩んでいた。妊娠中から母親学級などで母乳について学ぶのだが、とにかく「母乳にまさる栄養はない、母乳にまさる愛はない」といわれる。しっかり母乳マッサージをして出産に備えましょうということで、まあ随分と強くもまれて、痛かったものだ。

そうやってできる限り準備したつもりでも、母乳はほとんどでなかった。初めて出る母乳=初乳には赤ちゃんを守る免疫が入っているというので、それだけでもと思うのだが、娘の吸う力では足りず、しまいには力一杯両手でしぼって舐めさせた。こんなことでは到底栄養が足りるはずもないので早々に粉ミルクを与えるようになったが、少しでも母乳も飲ませなくてはという強迫観念は胸にこびりついており、まず結構な時間、出もしない乳を吸わせてから哺乳瓶にしていたので授乳には2倍の時間がかかり、やっと終わったと思ったらもう泣かれ、夜も眠れず一日中おっぱいの事ばかり考えているようなありさまだった。

あるとき区から派遣された保健師が家庭訪問にきた。授乳の状況について聞かれたので正直に話すと、その保健師は私が仕事に戻りたいから母乳をやめて粉ミルクにしたのだと思ったらしく、「おかあさん、母乳は愛情なんですよ」という。だがその頃私の乳房は、毎日の母乳マッサージで青あざだらけだったのだ。「出ないもんは仕方ないでしょうが!」。もう来ないでくれと言い渡して帰らせた後、思い切り泣いた事が忘れられない。その日からきっぱり母乳をあきらめて、完全に粉ミルクにした。

赤子の目を優しく覗きこんで微笑みながら豊かな胸を吸わせる母親像は、いったいいつからこれほど世の母親たちを追い詰めるようになったのだろうか。愛情と母乳の量なんて、よく考えれば関係ないはずなのだが、なぜか母親たちはたっぷりの母乳という目に見える形で愛情を示す事を求められるのだ。

この本の表紙をみたときに思わず手に取ったのは、あの頃を思い出したからだ。「いのちのネットワーク」という帯のことばに引き寄せられた。そもそも子育ては、母親のみでするべきものではないはずだ。さまざまな形で関わりを持った人全てが、子どもを育み、鍛える。また、あのころ粉ミルクでの子育てをしながらよく「この時代でよかった。もし粉ミルクがない時代だったらこの子は死んでいただろう」と思った事も思い出された。まさに、粉ミルクがない時代、江戸時代に、母乳をめぐって母親たちはどれほど苦労した事だろうか。どんなネットワークが、それを支えたのだろうか。

乳の出は、母親の身体や精神の状態、また初産か否かなど、女の体と密接に関係していた。一人の女性についても、出たり出なかったりと、微妙に変化する厄介なものであった。そうした乳の出の不安定さのなか、乳不足や乳が出ない場合には、貰い乳、乳の代用品の摺粉、乳が出るよう乳薬を飲む、それでも駄目なら願掛けをするなど、様々な努力が払われている。

その一方では、乳が出すぎて困る女もいた。そこに乳を貰う、あげるというネットワークが作られていったのである。

意外にも「母乳」という言葉は近代になってからの言葉だという。子どもを産めば母乳が出るのは当たり前と思うかもしれないが、そんなことはない。今も昔も同じだ。乳の出が悪く難儀する母親はいる。また、出産の時に母親が命を落とす事も多かった。残された子どもに乳を与えることはできなくなる。粉ミルクという代替品がない時代には「母乳=実母の乳」にこだわっている余裕などなかったのである。まさに赤ん坊の命は様々なネットワークの中で「母の乳」「人の乳」「女の乳」をやりくりして繋がれていた。

本書では様々な資料をたどりながら、乳をめぐってつながる人々の姿を描き出している。村落共同体の中での貰い乳。乳母を斡旋するための口入れ業。母を無くした子を乳の出る家へ里子にやる武家。また、他の奉公より待遇や条件の良かった乳持ち奉公は貧しい女性たちの生活を支える面もあった。階級ごとにもさまざまなネットワークがあった。乳の重要性がネットワークを強くする。

しかし、同時に負の部分もある。乳の重要性は「乳の売買」を生んだ。貧しさの中で乳持ち奉公をすることは、奉公人の子から雇い主の子が乳を奪う事にもつながる。手当欲しさに乳が出ると偽って、あげく預かった子を死なせてしまうような事もあったそうだ。

掘り起こされた多くのエピソードから浮かび上がるのは「女性と子どもの命のもろさ」だ。そして、乳は文字通りの命綱でありながら、実に不確実なものであるという事実だ。乳を確保する事こそ、命をつなぐことであり、すべては待った無しの状況の中で行われるという厳しさだ。

やがて時代は移り、日本は近代化していく。医学や衛生環境、栄養状態の向上とともに少産少死社会へと変わっていくのだが、それと足並みを揃えるように「乳=実母の乳=母乳」といういわば「母乳イデオロギー」とでもいうようなものが登場した。母乳を与えられるかどうかが、実母としての資格を示すがごとく強調されるようになった。それは、ネットワークで育てられた時代から、家庭の中での閉じた子育ての時代へと移り変わっていく事でもあった。また、乳房を持たない父親の関わりが、子育てにおける重要性を失っていくする事にもつながっていく。

本書で「乳」をめぐって時代を見ていくと、授乳期のみならず、子育てそのものがネットワークを失っていった事を感じさせられる。今、ネットで「母乳」と検索すれば、子育てママたちの悲鳴が溢れている。さらに少子化が進み、母乳はますます精神的な意味合いを強くし、ママたちは途切れる事なく愛情を目に見える形にせよというプレッシャーにさらされているようである。失われる命が少なくなった時代の恩恵をただおおらかに享けて、のびのびと子供を育てることに、後ろめたさを感じなくてはならないはずがないのだが。

時代を超えて営まれてきた子育てという営みは、これからどこへ向かっていくのだろう。歴史の本としてだけでなく、いままさに悩みながら子育てをしているママさんにも、読んでほしい本であると思った。