おすすめ本レビュー

お師匠さん、待ってましたっ!『文楽・六代豊竹呂太夫 五感のかなたへ』ひたすらに

仲野 徹2017年4月8日
文楽・六代豊竹呂太夫: 五感のかなたへ

作者:六代 豊竹 呂太夫
出版社:創元社
発売日:2017-03-21
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僕ね、文楽とか義太夫とかあんまり好きやないんです。怒られるのがいややから、越路師匠が怖いから修業してきたのかもしれません。

なんと正直なんだ。この言葉には、腰が抜けそうに驚いた。古典芸能に限らず、スポーツでもなんでも、トップレベルの人たちは皆、好きだから辛くてもやってこられました、というのがお約束だろう。しかし物は考えようだ。好きで続けられた人よりも、あまり好きじゃないのに修業できる人の方がえらいのではないか。さすが、我が師匠である。

三代豊竹英太夫師匠に数年前から義太夫を習ってきた。その英太夫がこの4月に六代豊竹呂太夫を襲名するのを記念して出版されたのがこの本だ。素人弟子の末席を汚す者として、襲名を盛り上げるためにHONZでレビューせねばならんと思った。しかし、HONZには、面白くない本をレビューしてはいけない、という鉄則がある。読み終わって安心した。むちゃくちゃ面白いのである。呂太夫師匠を知らない人にも、文楽を知らない人にも、間違いなく楽しんでもらえる内容になっている。

この本、伝記にしては少し変わったスタイルがとられており、呂太夫師匠のインタビューと、インタビュアーをつとめた文学者の片山剛氏による解説から構成されている。だから、冒頭のような正直な言葉が随所に出てくるのだ。とはいっても、伝記なので、話は出自から始まる。

お師匠さんは、目が見えなくなってからも迫力ある義太夫を語り続けた名人、人間国宝・十代豊竹若太夫の孫である。なので、幼き頃から義太夫語りをめざして精進して今日にいたられた。であったら、おもしろくもなんともない。若太夫は、文楽の先行きの暗さを考えてか、「義太夫語りになってもだめだから」と、二人の息子にはその道を歩ませず、呂太夫師匠の父親もサラリーマンになっている。

運命というのはわからない。そのお父さん、事情があって家を出て行ってしまわれたので、呂太夫師匠-当時は林雄治ちゃん-は、祖父・若太夫と共に東京で暮らすことになる。しかし、祖父は、我が子にもさせなかった義太夫を孫にさせるはずもなく、雄治少年も太夫になるつもりなど全くなかった。

小学一年生の通知表には「落ち着きが足りない」「じっくり学習しない」などと書かれるような子どもであったが、高学年になると急に成績が良くなった。その理由は、担任の先生に家庭教師をしてもらったから、って、反則ちゃいますのん…。大阪弁で語りたおして弁論大会で優勝したことなどもきっかけになったのだろう、成績はどんどん良くなり、小石川高校に進学。弁護士になるべく東大法学部をめざすも、二年続けて大学受験に失敗し、やさぐれ気味に小説家を志望するようになる。

ちょうどその頃、祖父・若太夫が亡くなった。そのお通夜の日、先代の呂太夫から「太夫になれ、君は声が大きいから絶対に太夫になれる。」と勧められる。鬱屈した気分に陥って、なんとかして東京を脱出したいと悩んでいた林雄治青年にとっては渡りに船だった。

修業みたいなもん適当にやっといて、やっぱり太夫はあきませんでした、というて、今度はもうどっかへトンズラして文学の勉強をしたらええやんか。

とりあえず東京を離れることさえできたならという不埒な気持ちで、義太夫語りへの道を歩み始めることになる。しかし、かたや勧める五代呂太夫の理由が声の大きさで、こなた勧められる林青年の理由が逃避行とは、お師匠さん、だ、大丈夫ですか、と思わずにはいられない。しかし、血は水よりも濃いのだろう、決して早くはない二十歳での入門であったが、周囲を見てこう思ったという。

うぬぼれと言われそうで、普通やったら黙っとくんですけど、その頃の正直な気持ちなんで、あえて言います。なんとなく才能があると思ってたんですよ。

さすがは我が師匠である。まいりました。この本、こういった赤裸々っちゅうかなんちゅうか、正直なコメントが満載で、人となりがわかりすぎる。

お師匠さんは、イエス・キリストの人生を義太夫にした『ゴスペル・イン・文楽』を作り、自ら語られるなど、敬虔なクリスチャンである。教義に深く惹かれて入信された、訳ではない。高校時代に番長に誘われて、断るのが怖くて教会に通うようになる。ここでも義太夫と同じく、適当に辞めるつもりでいたのだが、可愛らしい女の子が通ってくるようになったから、ずっと続けた。って、お師匠さん、だ、大丈夫ですか…、アゲイン。

しかし、その女子高生が、お師匠さんご自慢の奥様になられたのであるから、すべてよしである。義太夫でも宗教でも、なんとなく始められても、とことんいく、というのがお師匠さんの素晴らしい才能なのだ。座右の銘が「只管(ひたすら)」であるというのもうなずける。

紹介したここまでは序論みたいなもんである。本論では、入門してからの厳しかった修業、文楽への熱い思い、海外公演での嬉しい思い出、襲名を迎えての決意、そして、これからまだまだ続く太夫としての道、などなど、真っ直ぐにいろいろなことが語られていく。読むほどに、芸道というのは、かくも厳しいものなのかという思いが強くなるばかりだ。

古典だけではなく新作まで幅広く語られるお師匠さん、「チャリ場」と呼ばれる滑稽な場面では最高に笑わせてもらえる。しかし、幼き愛娘を亡くされた際の哀しいエピソードが物語るように、呂太夫師匠の語りの根底にあるのは、クリスチャンとしての「赦し」の心である。それがあるからこそ、苦難に満ちた場面や哀しくてたまらない場面では、情にあふれるその語りが観客の心を揺さぶるのだ。

呂太夫ってなんかすごい人やなぁと思っていただけただろうか。僭越ながら、弟子から見ても、ほんとうにユニークで素晴らしい師匠なのである。そのファンキーにして真面目な人柄が、この本で余すところなく紹介されている。しかし、残念ながら、その語りの素晴らしさは、文字で伝えることはできない。

文楽や義太夫に興味を持つきっかけ、通うきっかけなど、何であってもかまいはしない。このレビューで、呂太夫ってどんな人なんやろうか、おもろそうやんかと興味をお持ちいただき、この本をお読みいただけましたなら、そして、文楽の公演にお運びいただけましたなら、何よりうれしゅうございます。

斯くの次第にて、隅から隅までズズズイ~っと、御願い申し上げ奉りまするぅ。

六代豊竹呂太夫襲名披露公演は『菅原伝授手習鑑 寺子屋の段』。もちろん襲名披露口上もあります。ぜひ!!
国立文楽劇場:4月 8日(土)- 30日(日)、国立劇場小劇場:5月13日(土)- 29日(日) ともに第一部

 

一日に一字学べば……

作者:桐竹 勘十郎
出版社:株式会社コミニケ出版
発売日:2017-01-01
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文楽の人形遣い桐竹勘十郎さんの伝記。呂太夫師匠の伝記と読み比べてみるのも面白い。

義太夫を聴こう

作者:橋本 治
出版社:河出書房新社
発売日:2015-10-19
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あの橋本治による義太夫解説。表紙カバーは女義(女流義太夫)界のクールビューティーこと、三味線の鶴澤寛也さん。

浄瑠璃を読もう

作者:橋本 治
出版社:新潮社
発売日:2012-07
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同じく橋本治さんによる浄瑠璃解説。私的には、浄瑠璃と文楽を鑑賞するためのバイブルです。