ロンドンの貧困地区の中等学校で数学を教えていたイギリス人教師が、学校をめぐる旅に出た。OECD(経済協力開発機構)が実施しているPISA(学力到達度調査)で高得点をあげた国々を選び、学校を訪問する。この旅を通じたフィールドワークはユニークなものだ。PISAの成績上位国の学校で働く教師たちのメールアドレスをネットで探し、彼ら・彼女らの学校での手伝いをしながら、その教師たちの自宅に2、3週間滞在させてもらう。こうして、公式のルートで依頼したらあてがわれてしまいそうな「ピカピカの」学校ではないところに入り込む。さらには、教師たちの家族や友人との会話を通じて、「公式見解」とは異なる、その国の教育の実情に迫る。選ばれた国や地域は、シンガポール、上海、日本、フィンランド、そしてカナダである。
帰国後、彼女はクラウドファンディングで出資を募り、旅の記録を一冊の本にまとめた。それが本書『日本の15歳はなぜ学力が高いのか?── 5つの教育大国に学ぶ成功の秘密』( 原題は Cleverlands:The Secrets Behind the Success of the World’s Education Superpowers)だ。
明治10年代に日本を旅したイザベラ・バード(『日本奥地紀行』の著者)の例を引くまでもなく、 イギリス人女性の世界旅行記には定評がある。本書は、それに連なる、優れた(教育の)旅紀行である。旅の原動力は、なによりも好奇心だ。そして、それがもたらす成果は、出会いであり、驚きである。複数の国をまたがる旅を続けることは、自国とも、それ以前に訪ねた国とも、自然と比較を続けることを意味する。そして、比較を通じた発見は、旅人に新たな疑問と、考えるきっかけとを与える。
その疑問に答えるために、旅人は、さらに文献の世界に足を伸ばす。本書の見るべき点のひとつは、 優れた旅行記がそうであるように、旅での発見やそこで考えた事柄が、知識の世界と結びつけられるところにある。旅人は、教授や学習に関するさまざまな文献を漁る。それは旅をいっそう豊かにする情報つきマップのようなものだ。そして、既存の研究知と結びつけながら、自分で見たこと、聞いたこと、旅での発見を、そこで学んだ知の世界地図にマッピングしていく。読者は、教育をめぐる旅紀行を楽しく読みながら、自ずと学習や学力をめぐる研究知の世界に誘われていく。
この教育の旅紀行はさまざまな読み方が可能である。しかし何よりの醍醐味は、イギリス人教師という目を通して、訪ね歩く国々の教育の特徴が、具体的なエピソードを交えて生き生きと描かれているところにある。さらに、著者自身が教師であり、それぞれの国の教師の家に泊まりながらの旅であることから、自ずと教師という仕事への目配りも利く。教え方の特徴に留まらず、教師という職業が それぞれの社会でどのように位置づけられているか、働き方はどんな具合かが、親しみを込めて報告される。
比較を交えた教育の旅紀行の面白さは、各国の教育事情を伝えるだけではない。それを伝える際に、イギリス人教師という旅人の教育を見る目を通して、イギリスの教育界の「常識」が顔を出す。たとえば、われわれにはなじみ深い「アジア型」教育の風景に驚く著者の筆致に、驚くのにはそれなりの理由があることを読者は発見する。その発見を読者が一歩進めれば、そこからイギリスの教育の常識が浮かび上がる。
このような思考を加味した旅紀行の読み方は、私たちの常識を見直すときに有効となる。とくに日本についての章を読むときにはいっそうの効力を発揮する。イギリス人教師のレンズを通して日本を見たら、日本の教育はどのように見えるのか。その見え方に対する自分たちのわずかな違和感に気をつけながら、日本の教育についての旅紀行を読んでいくのである。
たとえば著者は、日本の教師から「私たちが長いあいだ教わってきた教育システムは、教師が一方的に教えるだけの教育でした」といった発言を引き出す。私たちにはなじみある物言いだ。ところが他方で著者は、イギリスの学校と比較した日本の教育の強みとして、「教師は、必要な知識を、まず教え」た上で、子どもたちに「自力で問題を解決する余地」を与えているとの観察を示す。日本人教師の目から見れば、「一方的に教えるだけの教育」に映っていた教え方が、イギリス人教師の目から見れば、それは「必要な知識」を与える上で不可欠のプロセスであり、しかも、日本の教師たちは、その上で、子どもたちに問題解決をする機会を促していると映るのである。
日本人の常識に照らせば、日本の子どもたちに足りないのは、問題解決の能力だったはずだ。長年「教師が一方的に教えるだけの教育」の弊害として指摘されてきた。だから、アクティブ・ラーニングの導入が目指された。文科省から見れば、子ども自身に主体的に考えさせる教育はまだ足りない。ところが著者は、このような教え方を通じて身につけた問題解決能力は、「数学で得点を上げるのに効果を発揮する」だけではなく、「たぶん、もっと全般的な問題解決のスキルにも有効だろう」とさらに一歩踏み込んで言う。
こうした著者の観察を、日本の教育への称賛だと手放しで受け取る必要はない。では、ここに示される日本の教育の見方・見え方のギャップから何を読み取ればよいのか。たしかに日本人の目から見れば、アクティブ・ラーニングの導入は、「まだ足りない」が出発点にある。それでは「教師は、必要な知識を、まず教える」を犠牲にすることなく、「まだ足りない」と「行き過ぎ」の境界線をどのように引けばよいのか。
こうした見方・見え方のずれは、ある種の教え方や学び方(暗記学習についてのコラムも参照)を、 そのうわべだけ見て否定し、それとは反対のやり方を改革と称して導入しようとする日本の教育政策に疑問を提示する。何を問題と見るか。何がうまくいっていて、何がうまくいかないのか。旅人の観察には、もちろん疑問をつけたくなるようなところもある(たとえば日本の教師たちが時間的な余裕 を与えられているという指摘など)。それでも、一部の誤解を含め、そのように見えてしまう「旅人の目」を意識的に活用することで、常識とは異なる視点──うまくいっているとか、いっていないといった判断基準自体の相対化──を読者は得ることができるだろう。視点の相対化のエクササイズとして、本書を読む楽しみ方である。
この教育旅紀行は、訪ねた国々の明るい面を見つけるだけの記録ではない。たとえば、イギリスを含め、訪問した国々に共通する課題として、教育の不平等が言及される。不平等のあらわれ方にも、それぞれの国や地域の特徴が反映する。さらにはそれを解決しようとするアプローチにも違いが出る。
この点で、旅を通じた著者の発見の一つは、能力によって子どもたちを早期に分けて教育することの(悪)影響である。イギリスやアメリカ、あるいはドイツなどと違って、今回訪問した国々では、15、16歳までは共通の教育を提供していた。さらには、市場での競争を中心原理とした教育(イギリスのリーグテーブルに依拠した学校選択のような仕組み)とは異なるアプローチが取られていた。そのことで、他の国々に比べれば、教育の不平等をある程度抑制していた。新自由主義への警鐘を鳴らしたかったのだろう。新自由主義的な教育改革発祥の国・イギリスから来た旅人ならではの指摘で ある。
さらに、とくにアジアの国々や地域では、個人主義の行き過ぎを抑制する価値や制度が不平等の拡大を抑えることに貢献していると著者は見る。もちろん、その裏返しとして、アジア型教育の問題点や限界にも触れられる。だが、ロンドンの貧困地区で教えた経験を持つ著者は、個人主義や自由主義 のアプローチが、権利や機会、さらには自由を誰にでも公平に与えるわけではないことを熟知している。
そこから、著者は次の疑問を投げかける。個人や個性の抑圧という面があるにしても、それは教育だけのせいか、それともそれぞれの国の文化や政治の仕組みによるのか。はたして議論の分かれるところである(ちなみに日本について著者は、教育だけに限らず「みんな同じことが尊ばれる国」「箱から外に出るような考え方をさせようとしない」国と見る)。この冷静な線引きをしないまま、主体性や個性を尊重する教育を急ぐ改革を実施すればどんな結果が出るのか。教育改革は不平等を拡大させないのか。少なくとも「知識を教える」ことをやめて、「スキルを教える」ことに専念するアプローチはうまくいかないと著者は見る。
では、何が必要なのか。何ができるのか。あるいは何を見誤ってはいけないのか。それをまとめたのが、17章「高い成果と公平性を実現するための五つの原則」と18章「PISAで高得点を取らせる代償は?」である。これらについては、読者がじっくり考えながら読み解くことをお勧めする。
すぐれた旅の紀行文を読み終えた後、読者はまるでそれらの場所を自分で訪れた気分になる。旅を同伴した気分だ。クレハン女史の教育の旅紀行も、私たちを教育の旅に連れ出してくれる。「かわいい子には旅をさせよ」の諺のごとく、疑似体験とはいえ、旅は人の成長を促す。人の視野を広げ、見たこと、聞いたことが、自分のいつもいる土地とは違った景色を見せてくれるからだ。そして旅から帰った後には、見慣れた自分の土地の風景も違って見えてくる。
その違いに気づいたら、もう一歩だけ、自分でその風景の見え方の違いを考えてみる。なぜ以前には見慣れていたのか、見慣れたことで何を見過ごしてきたのか。それを振り返ってみる。こうして疑似体験の旅を、自分なりの思考とつなげることで、日本の教育の見え方は違ってくるはずだ。だから、本書を読み終えた方も、これから読む読者も、読み終えた後で本を少しだけ置いて、違った風景を見 る地点を探してほしい。そしてそこから、自分の見慣れた風景を見回してほしい。少しだけ自分で考えてみてほしい。
そんな教育の旅、思考の旅に連れ出してくれる旅紀行を、お楽しみあれ。
オックスフォード大学教授 苅谷剛彦