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『思想的リーダーが世論を動かす』アイデアはこうして創られる

村上 浩2018年4月2日
思想的リーダーが世論を動かす ──誰でもなれる言論のつくり手 (フェニックスシリーズ)

作者:ダニエル・W・ドレズナー 翻訳:井上大剛
出版社:パンローリング
発売日:2018-03-18
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世界はアイデアに溢れている。限られた時間で優れたアイデアを伝えるTEDの動画を検索すれば、優れたプレゼンテーションを大量に見つけることができる。そのどれもが、世界を良い方向に変える力を持つかにみえる。象牙の塔に閉じこもっていた学者がビジュアルイメージを巧みに使いこなし、利益の追求に血眼になっていた起業家が平和への道を語る。TEDだけではない。ダボス会議サウスバイサウスウエストやその他のビッグアイデアを売りにしたイベントが、世界中で数え切れないほどに開催されている。アイデアで世界を動かそうとしている。世界平和や貧困のない社会が実現されていないことが不思議なほどだ。

このようなアイデア、思想は本当に世界を変える力を持っているのだろうか?革新的なアイデアは誰が、どのように生み出しているのか?ソーシャルメディアによって誰もが発言する力を授けられた21世紀で、学者は思想にどのような役割を果たすのか?

本書は、国際政治学者でありブロガーでもある著書が、現代の言論市場について、自らの経験を踏まえながら考察することでこれらの疑問に答えていく。本書での言論市場とは、「外交に関する知的生産物や意見の総称であるとともに、そうした思想を政策決定者や大衆がどの程度受け入れるかの度合い」のことであるが、その議論は外交だけに限られるものではない。著者の議論を追いかけていけば、あなたのタイムラインに流れてくる新しいアイデアは誰がどのように生み出し、どのように手元のディスプレイまで流通してきたのかも理解できるようになるはずだ。巻末には本書の持つ意味を日本の現状に照らし合わせながら教えてくれる、ジャーナリストの佐々木俊尚氏の解説があるので、最初にこの解説を読んで全体像を把握するのもよいだろう。

これまでの言論市場で中心的な役割を果たしてきたのは、批判的な目を持つ「知識人」である。知識人とは十分な知識や経験を備えた専門家であり、王様は裸だと指摘することで、政治家やペテン師に歯止めをかけてきた。知識人の代表は学者であり、彼らは主に同業者や政策担当者という専門家へのみ語りかけ、専門家以外からの評価以下はさして気にも留めない。

現在、言論市場は大きな曲がり角を迎えようとしている。それは、知識人よりも「思想的リーダー」が大きな影響力を持ち始めたからだ。思想的リーダーは、世界を解釈する独自の視点を創造し、多くの人にその世界観を共有するよう呼びかける。『フラット化する世界』のトーマス・フリードマンや『イノベーションのジレンマ』のクレイトン・クリステンセンはその代表核であり、自らのアイデアを幅広い場所でより多くの人に語りかけている。

知識人は確かな知識に基づく批判者であるが、思想的リーダーは自らの確信に駆動される創造者である。知識人から思想的リーダーへのパワーシフトの原因とその帰結への懸念が、本書の中核を成している。著者は以下のように主張する。

われわれは、知識人と思想的リーダーという分類を通して、現代の言論市場をより明確に理解することができるはずだ。そして本書の主張は、いまの言論市場は知識階級全体に恩恵を与えているものの、なかでも思想的リーダーが享受する利益は、それ以外の知識人をはるかにしのぐというものである。

思想的リーダーの優位性を高めているの、「権威の信用低下、アメリカの政治的二極化、経済格差の拡大」という3つのトレンドの同時発生である。権威の失墜は従来の知識人への疑念を呼び起こし、二極化はより大胆で断定的な物言いを要求し、超のつく富裕層は有り余る金で自らの信念に沿った思想のパトロンとなる。キャリアの階段を上るために権威に認められる必要があり、どんな質問にも「場合による」と返答しがちな学者にはかなりの向かい風だろう。

著書は3つ目の格差拡大が最も言論市場を変化させ、金銭的魅力が知識人を思想的リーダーに変貌させていると指摘する。オックスフォードとハーバードで受賞歴もあるほどの歴史学者の『文明』などの著書で知られるニーアル・ファーガソンは、ビジネススクールの仕事から手を引き講演活動に精を出しているのは、お金のためだと認めている。思想的リーダーとしての成功は、あらゆる人を惹きつける。言論市場は、アイデアを即座に換金できる「思想産業」に転換しつつあるのだ。

本書は思想的リーダーを無根拠なきアイデアを大声で売り歩くただの悪者として描いているわけではないが、彼らの犯した失敗は数多く取り上げられている。『貧困の終焉』の経済学者ジェフリー・サックスは自身の主張ほどに貧困を撲滅することはできなかったし、クリステンセンの破壊的イノベーションは、その全てが無に帰した訳ではないが、過大な評価で大きな混乱をもたらしたことが明らかにされている。また、思想的リーダーの誤謬を明らかにしていく過程で学者やウェブがどのような役割を果たしてきたかも丁寧に解説されている。

ソーシャルメディア隆盛の現代で、アイデアの創出者を知識人だけに限定することなどできないし、またすべきではない。このような状況を受けて、学者たちも純粋な学問の追求以外にも視野を広げ始めている。国際レベルで活躍する学者たちが、ブログやツイッターで自説をアピールすることは珍しいことではなくなった。パブリックスペースでの活動が学会でマイナスに評価されることはもはやないのだという。ただし、「ソーシャルメディアで繰り広げられる論争のなかに、議論に値するものはただの一つもない」とう状況を理解しておかなければならない。

本書では他にも言論市場で重要な役割を果たしているシンクタンクやマッキンゼーなどの民間セクターの変化についてもしっかりと紙幅が取られている。近年生み出された経済関連の思想の中で最も重要なものの1つであるBRICSという言葉を生み出したのは、民間企業のゴールドマンサックスであり、彼らは巧みにこのアイデアをお金に変えた。Gゼロのキーワードで一躍有名となったイアン・ブレマー率いるユーラシアグループのように、政治リスク分析も商品になる。テクノロジーは多くの制約を解き放ち、新たなアイデアがあらゆる場所から湧き出るようになったのだ。もちろん、民間企業は巧みにそのアイデアをマネーに変換している。

思想産業では破壊的イノベーションが起こることなく、大きな影響力を持つ専門家が長年影響力を行使し続けているという。その結果、言論市場は機能不全に陥っている。著者は、過去の言論市場が良かったと言っているわけではない。今も昔も言論市場に問題はあるが、現代の問題はなかなか厄介だというのである。この状況を少しでも良いものにするために、著者は最後に知識人たちに様々な形で提案を行い、目先の利益にとらわれず学究生活を送るためのエールを送っている。思想の創造者ではなく消費者である多くのわたし達が、次々と生み出されるアイデアにどのように向き合うべきかについても考えさせてくれる一冊である。

国際秩序

作者:ヘンリー・キッシンジャー 翻訳:伏見 威蕃
出版社:日本経済新聞出版社
発売日:2016-06-25
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外交政策に通じた知識人の中で最も影響力のある1人とされるキッシンジャーによる、国際秩序にまつわるグローバルヒストリー。レビューはこちら

暴力の人類史 上

作者:スティーブン・ピンカー 翻訳:幾島幸子
出版社:青土社
発売日:2015-01-28
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世界はどんどん平和になっている、という強力なアイデアを上下巻の大ボリュームで検証していく。ピンカーも間違いなく現代を代表する思想的リーダーだろう。レビューはこちら

サピエンス全史 単行本 (上)(下)セット

作者:ユヴァル・ノア・ハラリ (著), 柴田裕之 (翻訳)
出版社:河出書房新社
発売日:2016/9/8
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ハラリはこの一冊で現代で最も重要な思想的リーダーの1人となった。フィクションを作り出す人類という強力なコンセプトで、人類の歴史が振り返られる。レビューはこちら