幅広い選書と奥深い視点で、早くも話題になっている『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』。先日、東京堂書店 神田神保町店で行われた刊行記念イベント「面白い本を読んだら誰かと話したい!」において、著者のお二人と一緒に登壇させていただきました。書き手としてよく知られるお二人は、読み手としてどのような一面を持つのか? そして本を語り合うことの面白さはどこにあるのか? 白熱したイベントの模様をダイジェストでお届けします。(聞き手:内藤 順)
ーー今回の新刊『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』では、読書会という形式に至ったわけなのですが、どのような経緯でこうなったのでしょうか?
清水:すでに2年前くらいの話になるのですが、驚くことに、当事者の記憶が全部違うんですね。誰が言いだしっぺなのかよく分からないんです。みんなそれぞれ言うこと違ってますもんね。
高野:みんなが押し付けられた、と(笑)。
清水:そう。みんな被害者、全員が被害者なんです。何なんでしょうね(笑)。
高野:ただ直接的には、『ゾミア』という本がありまして、これがすごくインパクトがあったんですね。アジアの山岳地帯に住んでいる人たちは、これまで文明から取り残された人たちだと考えられていたのですが、実はそうではなくて自ら文明を捨てて、国家から逃げて山の中に入っていったという話なんですが、めちゃくちゃ面白かった。
この本があまりにも画期的だったので、清水さんが読んだら一体どういう感想を持つかを知りたくなったんです。そこで同じ歴史家として、でも世界史じゃなくて日本史の専門家として、どう思うかと聞いたら、清水さんも面白そうですねと返してきたのがきっかけです。
清水:もともと、1冊目(前作『世界の辺境とハードボイルド室町時代』)を当てたからといって安易に2冊目を出すのはやめようというのが、高野さんの意見だったんですけど。
高野:それは確かにそうなんですよ。1冊目のあと、すぐに「続編は?」って声もあったんですけれども、2匹目のドジョウだからやめようって言ってたんですよ。
清水:そもそもタイトルの出落ち感がすごいじゃないですか(笑)。やっぱり2冊目はちょっとな、調子乗ってるって思われるだろうなって思って引っ込めたんですけど、やっぱりお互いに会う機会というのはあって、お話ししている間に、だったら本にしちゃってもいいかっていう風に。
高野:連載するっていうことになって、うん、そうですね、いつの間にか始まりましたね。
ーーでも読書会のときって、大学の先生がいるとやっぱり安心ですよね(笑)。答え合わせできる感じがありますから。
高野:まあ、それは本当によかったですよ。でも僕は素人だから無責任に言えるけど、清水さんは歴史のプロだから、間違えられないじゃないですか。
清水:あとね、著者を直接何人か知ってるんですよね。だから変なことは書けない。タイトルが『辺境の怪書、歴史の驚書』ですけど、「歴史の怪書」だったら私、村井 章介さんとかに怒られてしまう(笑)。
ーーで、今回選ばれたのは、高野さんが『ゾミア』『大旅行記』『ギケイキ』『ピダハン』『日本語スタンダードの歴史』、清水さんが『世界史のなかの戦国日本』『将門記』『列島創世記』。お互いの選書については、どういう風に感じましたか?
清水:どう思いました?
高野:いや、面白い本持ってくるなあっていつも思ってましたよ。
清水:もう僕は高野さんの持ってくる本をどう打ち返そうかとばかり考えていました。課題図書が決まってるってことは、次は僕の番なんですよね。読みながら、この本とリンクするのは何の本だろうってことを常に考えながら読んでましたね。
ーー奇しくも「ボーダレス社会」(1章、2章、3章)、「自力救済社会」(3章、4章、5章)が、「無文字社会」(6章、7章、8章)という連なりになっており、全体を通しては「民族」と「国家」と「言葉」について語り合っているということですが、これは結果的にそうなったのですか?
清水:そうですね。意識してやったわけではありません。
高野:清水さんは、僕の本を受けて考えてくださったみたいですけども、僕は全くそんなこと考えないんで(笑)。
清水:僕だって1冊前との関係しか考えてないです。だから、全体としては、ああ、上手くいったなあと感じますね。
ーーそれでは、この8冊のうち何冊かを振り返っていきたいと思います。まず、『世界史のなかの戦国日本』ですが、これは清水さんが選ばれた本ですよね。この本を選ばれた意図は、どういうところにあるんですか?
清水:やっぱり1冊目の『ゾミア』を受けて、いわゆる辺境といっても悲劇的な場所ではなく、むしろエネルギッシュだというようなことを感じたわけですが、それを日本史の立場で研究されてる方としては村井章介さんが一番代表的なんですよ。日本の場合は島国ですから、どちらかというと海洋の話になりますけどね。村井さんはいろんな本を書かれてますけど、このテーマでは、この本が一番まとまっていたので、取り上げてみました。
ーー村井さんというのは、日本中世史の研究者の方ですか?
清水:ええ、そうですね。ベテラン研究者ですね。
ーー清水さんも日本中世史の研究者ですが、日本の中世史を研究する人たちって、どういう特徴があるんですか?
清水:よく言われるのがですね、古代史研究者は、わりと規律立った人が多くて、中世史研究者はアナーキーな傾向がある。自分の気質に似たものを研究対象に求めるという話を聞いたことがありますね。
高野:なんで古代は規律立ってるんですか?
清水:なんといっても、律令国家ですから。
ーーこの当時(16世紀)の人々の国境の意識って、どのような感じだったんですか。今みたいに日本があって、隣が韓国で、こっちは中国でというのとは、ちょっと違う感覚ですよね。
清水:ええ。すごくファジーな領域があって、いわゆる倭寇といわれるような人たちがそこで活躍していたんですね。朝鮮側の史料だと「倭人」って書かれていて、その倭人というのは、従来、日本人とイコールだと思われていたんですけど、どうも記録の中では、日本人と倭人ってわざわざ表記を変えているんです。
つまり日本本土の人と、倭人としか言いようがない東シナ海にいる人たちは別物と考えられていて、混血が進んでたりとか、中国人とも韓国人とも何とも言えないような人たちが当時、倭人と呼ばれていたんじゃないか。そういうマージナルな存在が横溢していたのが中世の東シナ海だったというのが、村井さんの考えですね。
ーーだからこの本を読むと、倭寇のイメージが決定的に変わりますよね。海賊で反社会勢力的なイメージかなって思ったんですけど、けっこうインフラの役割を果たしてるというか。
清水:そうですね。国と国との緩衝材みたいな役割を担ってますね。
高野:2冊目にこの本を持ってきたのが、さすが清水さんと思いましたよ。これで読書会自体が広がりましたから。
清水:ああ、そうかもしれないですね。
ーーあとですね、この本を読んで、豊臣秀吉のイメージが結構変わったわけですよ。一般的に豊臣秀吉の朝鮮出兵って晩節を汚したみたいな言われ方をされることが多いと思うんですけど、その後の東アジア情勢の、明が滅びて清ができるところへ楔を打つ役割を果たしたんじゃないかと書かれているじゃないですか。これって日本中世史の研究者の中でも、ある程度コンセンサスが取れている内容なんですか?
清水:そうですね、わりとそういう論調になりつつありますね。
ーーえ〜、そうなんですか、へぇー。
清水:秀吉は、それほど国際感覚のある人ではなかったんですけど、結果的にヌルハチがやった、明を滅ぼして清を建国したということの先取りであったことは確かで、ある種、中心が弱ってきて辺境が盛り返してくる、その中の一つが秀吉であり、ヌルハチだったというのは、村井さんの言うとおりだと思いますね。
ーーそして3冊目は、すごいのが来ましたね。『大旅行記』ということで、全8巻。
高野:これは本当に、よく読みました。表紙が全部同じなんですよ。しかも注がものすごくて、注を見ると第何巻の何ページの注を見ろとか書いてあるんです。だから、全部置いとかなければならなくて。で、これ夏の時期だったんですよね。
清水:ええ。夏休み、わが家の居間には常に『大旅行記』8冊が(笑)。
高野:僕は自分の部屋の床に並べて、床に座って読んでたんですけど、突然5巻を見ろと書かれていても、どれが5巻か分からなくて、よく見たら4巻だったりして。
清水:「ああ、4だ」とかって(笑)。
高野:まるで神経衰弱(笑)。
ーーこれは高野さんのセレクトですよね。
高野:そうですね。
ーー清水さん、困ったでしょう?
清水:ビックリしましたよ。でも、こんなことがなければ読まない本ですね。
ーーそういった意味では、こういう本って読書会向きですよね。義務感がないと読まないですもん。僕も、今回紹介されている本の中でこれだけは絶対読まないと思いますから(笑)。
清水:いい本ですよ。これが一番盛り上がりましたよね。
高野:盛り上がった。
清水:この本ばっかりは、読書会の時間が足りなかったくらい。まあ、そりゃ8冊ありますから(笑)。
高野:だって8冊も読んでいるわけですよ、ウルトラマラソン終わったあとみたいな感じ。
清水:そう。終わったあとのビールがおいしいのなんのって、大変なものですよ。
高野:「いや、あれすごかったですね」みたいなね、もう。
清水:そう。「何ページのイブン・バットゥータ覚えてます?」。「あそこ笑いましたよね」みたいな話で。
高野:だいぶ盛り上がっちゃって。
清水:我々しか分からない(笑)。
ーー全8巻を読むのに、お互いどれぐらいかかったんですか?
清水:私は夏休み1か月、ひと夏。
高野:僕は2週間ぐらいで。でも途中、主人公出ないですから、この辺はあまり面白くないだろうってところを斜め読みしながら。
ーー清水さんも、これまで読まれたことはなかった?
清水:なかったです。これ実は角川文庫から短いダイジェスト版が出てるんですよ。前嶋信次さんの『三大陸周遊記』というタイトルで、今は中公文庫に移ったのかな。最初、それを読もうと言ってたんですよね。それなら1冊だからいいだろうと言ったら、高野さんはもうこっちを読み始めてる。
ーーストイックですね(笑)。
清水:で、高野さんが8冊読んでいるのに僕がダイジェストですますわけにもいかないので、あとから追っかけて。
高野:ダイジェストじゃダメでしょう(笑)。
清水:うん。僕も、今だから言えます。ダイジェストじゃダメです(笑)。やっぱりこれで読まないと。
ーーこういう昔に書かれた本って、当時は常識だったことが省かれたり、けっこうむき出しの状態にされているから、読みづらかったりすると思うんですね。そういう読者サービス的な観点からいくと、この本はどうですか。
清水:いや、そもそも読者をまったく想定していないということではないですが、いわゆる文学作品みたいなのとは違いますからね、サービス精神は期待しちゃいけないです。
ーーなるほど。パーツパーツのネタとしての面白さというか、そういうところが魅力ですか?
清水:人の日記を盗み読むみたいな感じの面白さですね。
ーーけっこう赤裸々なことが書かれているんですよね、この本は。
清水:ええ。書いてる人が必ずしも面白いと思ってないことを我々は、「あ、こんなこと書いてる」と言って喜ぶ、だから、普通の本の読み方とちょっと違うかもしれないです。
高野:内藤さんの言ってた、むき出し感が面白いわけですね。
ーーおぉ、むき出し感ですか。マニアですね(笑)。イブン・バットゥータがイスラム圏を旅してたのは、マルコ・ポーロのちょっと後ぐらいですか。
清水:後ですね。ちなみにイブン・バットゥータは足利尊氏の1歳上。
高野:ああ、そうでしたね〜(笑)。それを聞いてから、常にそうやって考えるようになりました。この人、誰と同じぐらいなんだろうって。
ーーイブン・バットゥータは、なぜイスラム世界を周遊することになったんですか。
高野:まず、メッカへ巡礼に行ったんです。もともと良家の若者で、学識もあった。それがメッカ巡礼に行ったら、旅自体が楽しくなっちゃったらしくて、グルグルと。その当時、メッカ巡礼のルートがもうユーラシア大陸中に出来上がってるわけですね。どこに行ってもモスクはあるし、アラビア語を話す人もいるし、泊まるところもあるし、しかもタダで泊まれて、タダメシ食べられたりとか、女性をあてがってもらったり…。
ーー食い物の話と女の話が多いですよね、お二人の拾われてるところが(笑)。
清水:あ、そうですね。
ーーこれ全8巻のうち、何巻が一番面白かったですか(笑)。
清水:5巻です、5巻。インドの話が一番。インドの王様のキャラがぶっ飛んでるんですよね。
高野:もう清水さん、大好きで。
清水:とんでもなくサディスティックな王様で、もう信じられないような拷問や刑罰がいっぱい書かれてるんですよ。
高野:何だっけ、あの、皮を剥いで。
清水:ええ、中に藁を詰めて、それで吊るす。お城の門に入ろうと思ったら白い塊が落ちてるから「何ですか」って聞いたら、「人間の胴体です」って。そんな話ばっかり(笑)。
ーー30年旅行するうち、インドには何年ぐらいいたんですか、この人。
高野:8年ぐらいかな。
ーーけっこうインド長いですね?
清水:いや、基本的にインドから出ていはいけないことになっていたんで。だから、彼はある時期、永住する気だったはずですよ。
高野:当時のインドのイミグレーションというのは、入国の条件が永住なんですよ。そんな国あるのかと思って。
清水:彼自身も、だんだんとヤバい国に来ちゃったなっていうのが分かってくる。この王様、ちょっとおかしいぞって。
高野:大体、癇癪起こして殺しちゃうんですよね。
清水:そうそう。イブン・バットゥータも一回牢屋に入れられてしまうんです。すごく気に入られていたのに、突然機嫌が。だから、織田信長みたいな感じかな。で、お使いで中国に行こうとしたら船が難破して、荷物を全部なくしてしまい、このまま帰ったら絶対殺されるって思って逃げ出す。
高野:そこから急にスリリングになるんですよ。
清水:そう。そこからすごい。とにかく5感から6巻が一番面白い。ぜひ皆さん読んでください。同じ苦しみをぜひ(笑)。
ーーそれで次の本がですね、待ってました!『ピダハン』。 『ピダハン』は高野さんですね。これは、どういう話でしょうか?
高野:『ピダハン』はですね、これはものすごくて、アマゾンに先住民がいくつもいますけども、中でも一番インパクトがある人たちですね。インパクトといっても、格好はまったく普通で、男の人はTシャツに短パンとか、女性もワンピースとか。
ーーそうですね。ヤノマミみたいなのを想像すると、ちょっと違いますよね。ああいうフォトジェニックな感じではないですよね。
清水:フォトジェニック(笑)。
高野:何もないんですよ、儀礼的なものが。というか、この人たち儀礼がないんです。神もない、儀式もない、時間もない、数もない、右左もないし、親族呼称も、親、子、ぐらいでしたっけね。
清水:兄弟もないんですよね。
高野:ないんですよ。あと、いつも一緒にいる「つれ」みたいな言葉があって、それは家族でも犬でも何でもいい。
清水:(笑)。数がないですからね。
高野:ええ、数がないんですね。
清水:1、2、たくさん、どころじゃないんですよね。1も2もないんです。
ーー要は、著者の人がキリストの宣教師なんですね。で、かつ言語学者でもあって、ピダハンと暮らすようになってから、2つの普遍性に疑いを持つようになるんですよ。一つはキリスト教に疑いを持ったということ、もう一つは、チョムスキーの普遍文法仮説ですね。言語の文法には、ホモサピエンスであれば共通のものがあるというのが定説だったのに、ピダハンはその例外になる文法で喋っていたと。清水さんは『ピダハン』を読んでどうでした?
清水:いや、僕は正直言うと、扱った本の中で『大旅行記』と『ピダハン』が一番好きかもしれないです。日本の歴史の中では、やっぱり中世史が一番アナーキーなんですよ。そこに憧れて研究してきて、非文明的な社会だっていう風に捉えていたんですけど、非文明って言うなら、こちらの方がすごい。日本中世もまだまだ文明化していたなっていう風に思わされる。いくら何でも数字くらいはありましたからね。
ーーあと、直接体験しか語らないんですよね、この人たち。
清水:文法構造もそうですよね。
高野:直接体験しか語らないって本当すごいですよね。
ーーそれでいて、すごく幸せそうにしてるというところが不思議で、明日の心配であるとか、神様がどうだこうだとか、そういうことを一切言語レベルから無くしているってことですよね。
高野:うん、そうですね。だから、「誰かが何とかと言った」という言い方がないみたい。
ーー又聞きとかがないから、人の噂話とかもしないってことですよね?
高野:いや、それはしてると思う。
ーーあ、してますか(笑)。
高野:1次情報、だから、「俺はそう聞いた」ということは言いますよね。
清水:第三者が語る神との出会いとか奇跡みたいなのは語れないんですよね。
高野:だから、宣教師でもある著者が「イエスがこう言った」とか言うと、「おまえ、なんで知ってるんだ。イエスに会ったのか」って。で、「会ってない」と言うと、「なんで会ってないのにそんなことが言えるんだ」って責められて。
清水:ゲラゲラ笑いだす。宣教師キラーですよね(笑)。
高野:そうなんです。
ーーまあ、こういった本を読書会ということで読まれてきたわけですけども、この8冊の中でどの本が一番売れると思います?
高野:それは文庫の『世界史のなかの戦国日本』かな。
ーーああ、他の本と比べると値段が手頃ですからね。僕は『ピダハン』はもともと読んでいて、『ゾミア』も半分くらい読んでいたんですけど、初めて読んだ本でいうと圧倒的に『列島創世記』が面白かったですね。発見がありましたよ。
清水:読みやすさでいえば『ギケイキ』。でも、ぜひ『大旅行記』読んでください。
清水:ええ、『大旅行記』、素晴らしいですから。どうしよう、版元品切れになっちゃったら(笑)。
高野:(笑)
ーー会場に来られている人達の中で、実際に読書会をやってみようという方もいらっしゃるかもしれませんが、読書会を面白くするための本選びの条件って何かありますかね? こういうタイプの本だと読書会が盛り上がるとか。
高野:まあ、そんな深いことは考えてないですね。ただ純粋に、この本読んだから、これについてあの人だったらどう読むかなとか。
ーーああ、誰かのことを考えたり、相手の顔が思い浮かぶような?
高野:そうですね。で、やっぱり話してると、読んだ本の理解もすごく深まるし、面白さを再認識しますよね。
清水:そうですね、自分の好きな本とか、自分が中身を知り尽くしてる本は、かえってダメかもしれないです。
ーーちょっと自分の専門から外れた領域の方が、本としては面白い?
清水:かもしれないですね。
ーーこの読書会の対談って、毎回どれぐらい時間かけてやられたんですか。
高野:3時間ぐらいですかね。
ーー3時間、思い思いに語り合うみたいな感じですか。
清水:です。
高野:用意ドンですね(笑)。
清水:(笑)。その直前は、メールのやり取りもあまりしないようにしてたんです。
ーーああ、話の前には少し距離を置くようにしてたんですね。今日は、失敗しましたかね。楽屋でちょっと盛り上がり過ぎましたからね(笑)。
清水:会うと喋っちゃいます(笑)。
高野:メールでも必要なことだけにして。
清水:「ちょっと事実確認なんですけど」っていうぐらいでね。だけど、そこ深くなっちゃいますね。
高野:そう。で、もうほっとくと延々とやってるんですよ。3時間喋るでしょう? で、終わって飲み会に行って、そこでもまたその続き喋ってるんですよね。
清水:ええ(笑)。
高野:しゃべって、で、飲みながら、「次、何の本やろうか」って話を散々やって、で、家に帰ってからまたメールで、「そういえば」って言って、読書会の続きをメールで延々とやってたんです。
清水:「そのあと調べてみました。こんなことがありました」。
高野:もうよせばいいのに、お互いに。
ーー次の本を決めるタイミングというのは、どういう風に決めていたんですか?
清水:もう、その日の夜の飲み会で。こっちは手駒として候補作をいくつか用意しておくわけです。高野さんの本を読んでる時には次、僕だって分かってるんで。その間に、この本から話をつなげるとしたら何かなというのを2つぐらい用意しといて、高野さんに提案する。ただ場合によっては、高野さんが「じゃ、2つ読んでみる」。て言うこともあるので(笑)。だから、結構本に反映されてなかったものも、いっぱい読んでいますよね。
高野:いっぱい読みましたね。清水さんがいろんな本を薦めてくるので。
清水:いや、興味持ってくれるんで、いろいろ薦めたら全部読んでくれるんです。嫌がってたっていうのは、後でわかりました(笑)。
高野:『列島創世記』なんかも、松木武彦さんの本は何冊かあって、どれも面白いんですよ。だから、どれを取り上げたらいいのかっていうので。
清水:結局、松木さんの本、全部読みましたもんね(笑)。
高野:けっこう読みましたね〜。で、まあ『列島創世記』を取り上げたほうが全体像が分かりやすい。
ーー清水さん、少し本の話を外れてお伺いしたいんですけども、中世の時代や室町時代を研究することの醍醐味って、どういうところにあるんですか?
清水:え~と、それは一生かかって答えを出したいと思います(笑)。でも、高野さんが辺境に憧れるのと限りなく近いと思いますね。現代の私たちとは違う論理で動いてる社会、それの面白さですよね。人は歴史の中に自分と同じものを見つけて、「ああ、同じ苦労をしてるんだな」といって共感するという、それも一つだと思うんですけど、僕の場合はむしろやっぱり異質性みたいなものを追求することが好き。それでいうと室町時代ってやっぱり、常に裏切ってくれますね、こっちの期待を。それがある限り、勉強が面白いというのはあるかもしれません。
ーーそれでは最後に、高野さんの方から読書会全体を振り返った感想をいただけますか。辺境ならびに歴史に関する読書会をやって得られたことって、どういうものでしたか?
高野:いや、あとがきでも触れたんですけど、すごく教養に触れたなってことですね。これまで教養なんてまったく興味なかったんですよ。でも、今まで本を読んでたり、あちこち旅してたいたことは、漠然と経験を積み重ねていただけで、はっきりした像を結んではいなかったわけです。
だけど清水さんと会って読書会ということになると、やっぱり自分も準備していくし、清水さんがきちんと返してくれるわけですね。さらに僕も聞かれたことは、きちんと答えなければいけない。もし答えられなかったら、あとで調べたり。それを8冊も繰り返すと、色々な時代や色々な国がだんだんと網羅されてくるんですよ。
それがマッピングみたいな感じで、そこに自分の経験が落とし込まれていくわけです。すると、X軸、Y軸が浮かび上がってきて、今自分がいるのはこういう地点なんだということがくっきり分かる感じがして、「わっ、これがもしかして教養ってやつなのかな」って、すごく感銘を受けました。
清水:この本は高野さんのあとがきが一番いいんですよ。僕はやっぱり大学生、自分の学生に読ませたいです。すごい良い文章。教養とはなんで必要なのかっていうのを、あんなに分かりやすく書かれた文章はないんじゃないですかね。
高野:電車の中で泣きそうになったって言ってましたよね?(笑)
清水:いや〜あとがき送られてきたのを見て、ちょっとウルッと来ましたもん、本当に。
高野:どうかしちゃったのか(笑)。
清水:ちょっとどうかしてたのかもしれない(笑)。
ーー時間も来ているみたいなので、そろそろ終わりにしたいと思います。本日は、どうもありがとうございました。