中国返還から20年がすぎ、「中国化」(大陸化)がじんわり進む中で、かつてのイギリス植民地下で育まれた自由の気風が減じている香港。しかし2014年の民主化デモ・雨傘運動以降、足もとでは新たな変化も起きています。一方、2011年の東日本大震災を経てオリンピックを控える東京には、どこか表層的な雰囲気が漂い、政治と社会の底ぬけが感じられるのではないでしょうか。
そうはいってもしかし、トランプ大統領の誕生以後、「中心」が抜け落ちてしまった世界で、今後必要とされるのは「中心」からは程遠く、想像力たくましく生きてきた「辺境」の知恵ではないか? 虎視眈々と「中心」の動きを見ながら、斜め上をゆく新たな変革の芽を育てていたのは、いつの時代も辺境だったのではないか? さらには、世界的な行き詰まりを突破する方途は、複数の「辺境」の知恵をつなぎ合わせてまだ見ぬ星座を形作ることにあるのではないか?
中国とアメリカという大国のはざまにありながらも、もはや「このようにありたい」「こうあるべき」という確固たるモデルを失い、どこかディストピア的、そして虚無的な領域に足を踏み入れつつある日本と香港。2つの「辺境」の足もとから、時空を超えて次なる辺境へ想像力のバトンをつないでゆこうとする1年にわたる往復書簡は、トランプ大統領誕生以後の世界の変化を、足もとから真摯に見つめた記録です。
著者は、中国文学が専門ながら、東洋と西洋の思想を自由自在に越境する博覧強記の文芸評論家・福嶋亮大さんと、日本語に堪能でサブカルからアカデミックなシーンまで日本文化を心から愛する香港人社会学者・チョウイクマンさん。
雨傘運動を機に頻繁にやりとりを交わすようになった雑種的知性の持ち主ふたりは、情と理、それぞれタイプは異なりながらも、時空を超えてその対話を深めてゆきます。国民国家の枠組みにはもとからなかった自由都市香港は、中国の脅威がますなか、どんな変化にさらされているのか。
チョウさんの時に詩情あふれる現場報告は香港からマンチェスター、ボストン、再び香港へと移動を重ねますが、異国の地にあっても「辺境・辺縁」への視点に絶えず縁どられ、刻々と変化する香港情勢が文のなかに色濃くにじみます。
対する福嶋さんは、東京から日本の辺境たる東北、さらには九州へ、はたまた中東や東欧にもその想像力をとばし、時空を超えた「辺境」に思いをはせながら、立体的な応答を重ねます。
大局的に見ればネガティブな時代の転機に思われるかもしれませんが、過去を発掘することでいかようにでもヒントを見出すことができる、という心強い思想にも貫かれた本書は、いってみれば日本と香港という合わせ鏡のような存在から出発して、まだ見ぬ地図を描きだそうとする探究的試みなのです。
さらには、国民国家の枠組みがゆらぎ、自由と民主が不確かに思われるいま、求めるべきは垂直方向にある「父」的なモデルではなく、都市と都市をつなぐ水平方向の兄弟的なモデルにある、という見立てが、この往復書簡のひとつの核となるでしょう。都市と都市、都市のエートスを丁寧につなぎ直そうとする試みは、都市に身体性を発見して、その文脈を浮き上がらせようとする創造だといってもいいかもしれません。
鳥の目虫の目的な往還によって、問い不在の現在を問うてゆく二人が見つめるのは、内田樹さんのベストセラー『日本辺境論』に抜け落ちた視座を補ってアップデートしようとする野心的試みともいえそうですし、何よりも、心と文化をめぐる熱き対話です。混迷を深める世界を切り開く雑種的想像力に富んだ未来への書を、ぜひひも解いてみてください。