「解説」から読む本

『鉄路2万7千キロ 世界の「超」長距離列車を乗りつぶす 』旅行作家の矜恃

文庫解説 by 田中 比呂之

新潮文庫2018年8月2日
鉄路2万7千キロ 世界の「超」長距離列車を乗りつぶす (新潮文庫)

作者:下川 裕治
出版社:新潮社
発売日:2018-07-28
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明日は汽車の中で眠りたくない、と何度も思ったものだ。地図を見て、時刻表をめくりながら、旅を組み立てていく時間は、至福の時間である。この至福の時間があるからこそ旅に出たくなるのだ、とも思える。

実際に旅に出て列車に何十時間も揺られることもある。自分が計画したのだから、予期したとおりのことだ。しかし「至福の時間」には忘れていた倦怠感が身体を蝕み、心地よいはずのジョイント音や振動さえ苦痛になってきて、ついに計画を放棄してでも列車から降りたくなる。

われわれがそうして列車を降りたとしても、計画が変更されるだけのことで何の問題もない。しかし旅行作家下川裕治は列車を降りることはできない。いや降りてはいけないのだ。

本書の企画は、世界の長距離列車の運行距離に惹かれてランキングを作ったところから出発している。9〜10ページのランキングを見ると、私には意外な列車が1位にランキングされていた。ウラジオストク〜キエフ。世界の長距離列車と言えば、鉄道マニアでなくても知っているシベリア鉄道。そのシベリア鉄道を乗り通した先のウクライナの首都キエフまで行く列車があるようだ。残念ながら現在は休止中らしい。ひょっとするとクリミア危機(2014年)の影響かもしれない。

2位は平壌〜モスクワ。この列車には心当たりがある。1998年にイルクーツクから哈爾浜(ハルビン)まで乗車した列車の最後尾に二両の平壌行き客車が連結されていた。私が乗車した列車はモスクワ発哈爾浜経由北京行きの列車(先のランキングで4位にランクされている)。平壌行きの客車は途中の瀋陽で切り離され、北京から来た平壌行きの列車に連結される。いったいモスクワから何日かかるんだろうと思った記憶がある。ところが調べてみると、この列車は現在運行されていない。

現在のルートはモスクワ〜ウラジオストク〜ハサン〜平壌。これだと中国を経由せずロシアから北朝鮮に直接線路が繋がっている。豆満江(とまんこう)が日本海に注ぐ河口近くに架かる橋を列車は渡る。いま私がもっとも乗ってみたいと思っている路線だ。下川さんにはこの列車に是非とも乗車してほしかった。しかし本書にもあるように、このルートは旅行社に手配できないと断られたという。

1位、2位は1万キロを超える。3位に世界的に有名なウラジオストク〜モスクワ。4位が私も一部区間を乗車したことがある北京〜モスクワである。

スケールがぐっと小さくなるが、参考までに日本の長距離列車に触れておこう。2018年現在の日本の最長距離列車は、東海道・山陽新幹線「のぞみ」の東京〜博多で、1174.9キロ。前記の列車とは比べようもないが、大陸国家を除けば、一国内で完結する列車としてはかなりの長距離を走る列車だ。さらに余談になるが、日本の鉄道史上最長距離列車は、急行「高千穂」(東京〜大分〜西鹿児島、1595.5キロ、1956年〜1975年)と特急「富士」(「高千穂」と同区間同距離、1965年〜1980年)である(いずれも定期列車として)。2016年に廃止になった「トワイライトエクスプレス」も上り札幌→大阪が1508.5キロで1500キロを超える長距離列車だった。

最長距離の1位は休止中、2位は手配ができないとなると、3位のウラジオストク〜モスクワにまず乗るのかと思いきや、下川さんが選んだのはインドの列車。本書にはインド、中国、シベリア、カナダ、アメリカの長距離列車が取り上げられているが、旅行作家下川さんの真骨頂は最初に選んだインドの列車にある。インド社会の混沌がそのまま車内に持ち込まれた格好だ。そのとんでもない状況を余すことなく伝えている。

世界ランク上位に挙げられたインドの列車。その区間を示されて、「ああ、あそこね」と合点がいく人は相当な海外鉄道マニアだろう。ディプラガル〜カンニャクマリ。どちらの地名も私には初耳だ。いや経路になる都市や町の名前もほとんど聞いたことがなかった。

ページに示された略図を見るとディプラガルはミャンマーとの国境に近い。年配者にはインパールの近くと言った方がわかりやすいかもしれない。カンニャクマリはインド最南端だ。

「いったいどんなインド人が、こんなに長い列車に乗るのだろうか。酔狂な日本の旅行作家ならいざ知らず、……」。この列車、世界ランキング1位2位の半分以下の運行距離だが、それでも4000キロを超える。

この時点で「酔狂な日本の旅行作家」の筆に期待した。そして事態は私の期待以上の旅となった。2日目、「次々に大きな荷物を手にしたインド人が乗り込んできた。若者が多い。車内はあっという間に満杯状態になった」「ひとつのユニットに、20人が座っている。これが九個あり、通路に荷物を置いて座る客もいるから、定員72人の車両に、200人以上が詰め込まれていることになる」「『このまま夜に……』考えたくはなかった」。

下川さんには申し訳ないが、私の期待は高まるばかりだ。夜行列車で通路に新聞紙を敷いて寝ている人がいたり、立ったままの人々がいたりという経験は私にもある(私は座席に座っている)。昭和40年代のことだ。しかし「各ベッドにふたりずつで眠る。そして左右に3段ベッドがある床にふたり、通路にふたり……。これで20人の寝場所が確保できる」状況は想像を絶する。下川さんがベッドを確保しているにもかかわらず、このような状況になる。「車内の照明も消えた。顔の横にインド人男の足がある。目を閉じる」。

4日目。アジアを知り尽くした旅行作家のため息が漏れる。「またミルクティーを啜る。たまらなくうまい。よくない兆候だった。インド、パキスタン、イラン、トルコ……紅茶を常飲する国を歩く。旅がつらくなるほど、甘い紅茶がおいしくなる。紅茶の味が変わったわけではない。トラブルが続き、紅茶にしか救いが見つからなくなってくるのだ。……つらい旅に本能が反応する地点まで追い詰められているということなのか」。

「これほど体を寄せ合いながらすごしたことは珍しかった。いや、僕の人生ではじめてのことかもしれない。……混みはじめた2日目の午後から60時間以上、僕は男や女の体に触れ続けている。ときに肌と肌も触る。……これがインドでいちばん長い列車旅ということなのだろうか」。
百戦錬磨の旅行作家に「人生初」と言わしめるインドの列車。私がこれまで読んだどの列車紀行文にもこれほど強烈な体験談はなかった。もし私がこの列車に乗ったとしたら、呪いの言葉とともに3日目の朝には下車していただろう。

インドの次は中国。チベット行きの列車だ。かなり改善されたという話は聞くが、それでも中国で列車の切符を買うには大きなエネルギーを使う。下川さんは事前に上海で切符を手に入れた。窓口のおじさんは「どうしてこんな長い列車に乗るんですか。50時間以上ですよ。中国人も乗りませんよ」。そうだっけ。あなたたちが、鶏だの野菜だの、食材を持ち込んで車内で料理しながら何十時間も列車に揺られていたのは、そんなに昔ではなかったと思うが。

21世紀になって、着々と新幹線網を広げる中国のこと。確かに列車は快適になっている。第2章で下川さんが乗った列車は、広州からラサに向かう列車で、冷暖房完備の窓の開かない新しい客車である。4000メートルを超える高地を走るため、車内の噴き出し口から酸素を出している。

インド紀行を読んだ後では、ご褒美のような列車の旅に思える。「動く車窓風景を眺めながらの酒は贅沢だと思う。軽快なジャズの響きより、車輪の音のほうが心地いい」「この列車ほどの星空を目にしたことはなかった。僕らはこの夜行寝台を『星空列車バー』と名づけることにした」。

私は酒飲みではないので、「星空列車バー」の快適さはいまひとつ実感できないが、同じ中国でカシュガルに向かう南疆(なんきょう)鉄道で降ってきそうな星空を見たことがある。猥雑で、だからこそ活気がある列車はすでに昔語りになってしまったのだろうか。確かに青蔵鉄道や南疆鉄道の車窓から眺める大自然は素晴らしい。4000メールを超える車窓を眺められるのも青蔵鉄道の醍醐味だ。巨大な湖もある。

「額を窓に近づける。雲のない青空のなかの雪山を見つめていると、空が近づいてくるような感覚に襲われる。天空という言葉が、素直に入り込んでくる」。「星空」といい、「天空」といい、下川さんの旅に似つかわしくない言葉も出てくる。ただしこれは下川さんが変わったのではない。中国が急速に変わりつつあるのだ。

「広州から乗った列車は新式で、トイレはタンク式になっていた。服務員は、駅に停車してもトイレの鍵をかけなかった。中国の列車旅も楽になった……とつい呟いてしまった」。
本音であろう。ローカル列車はともかく、中国の新幹線や特快列車にかつての面影はない。

「たまには豪華な列車にも乗ってみたかった。食堂車に行けば一流の料理が待っている旅である。世界にはクルーズやこの種の列車など、シニアが人生のご褒美のように乗り込む旅の世界がある」。インドでの強烈な体験の反動なのか、はたまたこれから向かうカナダ・アメリカの列車の距離に恐れをいだいたのか、心にもないことを書いている。
「それは下川さんの旅じゃないでしょ」

私もそう思う。奇人編集者Sもたまにはまっとうなことを口にする。下川さんが「ななつ星」に乗り、阿蘇の爽やかな空気の中、高原野菜のサラダとクロワッサンをほおばっている、なんて話を私は読みたくない。

「アスリートが厳しいトレーニングに自分を追い込んでいくのは、めざす記録や、そこに寄り添ってくる表彰台やメダルの色という見返りがあるからなのだろうが、列車旅を書く旅行作家にはどれほどの代償があるのだろうか」。

ご褒美とか代償とか、かなり疲れが溜まってきたのだろう。カナダで4泊5日車内で過ごし、続けてアメリカで4390キロの旅が控えている。私だったらここで仕事を放棄して行方不明を選択したかもしれない。

しかし旅行作家下川裕治はこの列車から降りることはできない。バックパッカーの元祖として、その著作で多くの日本人を海外に誘ってきたのだ。この目に見えない動員こそが、旅行作家の勲章であろう。ゆめ豪華列車などに惑わされないでほしい。

次はどこへ行きますか?

広い世界にはまだまだ旅行作家下川裕治の乗車を待っている列車がたくさんあるはず。長距離鈍行の世界ランキングでも作りますか。よろこんでお手伝いしますよ。

(2018年6月13日、鉄道編集者)  

 

 

※「新潮45」(2017年1月号より9回)での連載に大幅な加筆訂正を行った。