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『失われゆく日本 黒船時代の技法で撮る』縄文時代から受け継がれてきた知恵にこそ、現代の問題を解決するヒントがある

堀内 勉2018年9月24日
失われゆく日本: 黒船時代の技法で撮る

作者:エバレット ケネディ ブラウン
出版社:小学館
発売日:2018-08-03
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エバレット・ケネディ・ブラウン氏は、現代では極めて稀な湿板光画を使ったフォトジャーナリストである。湿板光画とはガラスに感光溶剤を塗布した板で写真を撮影する技法で、1850年代から普及し、乾板写真が発明される1870年代までの短い期間使われていた。日本にも、江戸幕末期の安政年間(1854-1860年)の初めに輸入され、墨絵のような表現力で味のある世界を数多く映し出してきた。

エバレット氏は現在、京都近郊で滋賀県の月心寺に居を構えながら、1860年代に作られた古いカメラとレンズを使って、自身が「タイムマシン」と呼ぶこの湿板光画の技法で時を超えた日本の記録に取り組んでいる。

生まれはアメリカのワシントンD.C.で、若い頃に世界中を旅して回り、29歳の時に日本に移住し、一時はEPA通信社日本支局長を務めていたが、今は元公家の近衛忠大氏らと設立した会所プロジェクト理事、京都府観光推進顧問、IBMビジネス&カルチャーリーダー会議世話人、日本文化デザインフォーラム幹事、駐日アメリカ大使館写真講師を務めるなど精力的な活動を続けている。

その作品は、NHK、ナショナル・ジオグラフィック、ニューヨーク・タイムズ、CNN、ル・モンドなど国内外のメディアに数多く取り上げられている。

なぜアメリカ生まれのエバレット氏が日本で湿板写真家になるに至ったのか、そこには長い物語があったのだと思うが、恐らくは、幕末にペリーと共に黒船で来航し、国内で初めて日本人を撮影した写真家エリファレット・ブラウンJr.が、エバレット氏の遠い先祖に当たることと関係があるのだろう。

そうしたエバレット氏が、1988年に日本に移住してから30年間にわたって絶えず「日本とは何か?」を考え続けてきたひとつの到達点が本書である。

エバレット氏が「今の日本文化は、あまりにも本流から離れすぎている。明治以来の支流に迷い込み、袋小路に突き当たって、腐った水の瘴気(しょうき)に悩まされながら、出口を探してウロウロしているように見える。この袋小路から抜け出すには、まず本流に戻ってみることが必要ではないだろうか」と書いているように、西欧近代文明を模範にして構築された近代日本社会は、明治維新以降、自然と人間の関係性、人間同士の関係性、先代から受け継がれた生きる作法など、あらゆる関係性を断ち切ってきた。

そして、今の日本の迷走ぶりは、「明治維新後の日本」と「第二次大戦敗戦後の日本」という、国策によって作られた二つの人工的な「日本」が、日本古来の伝統であり本質だと思い込んでいるところにその原因があるように思う。

そうした中で、エバレット氏は、神道、匠、公家、山伏、工芸などを通じて日本の本質を深く洞察し、縄文時代から脈々と受け継がれてきた日本社会にひそむ知恵にこそ、現代の諸問題を解決するヒントがあるのではないかと考えている。

こうしたエバレット氏の洞察の深さには驚くべきものがあるが、他方で残念ながら、こうした考察をアメリカ人が書くから受け入れられるのであって、我々「日本人」が「日本とは何か?」の議論をすると、右にせよ左にせよ、必ず一定の目的を持ったイデオロギーと結びついてしまい、エバレット氏が「今日の多くの伝統文化の分野では、その道の権威とされる人たちが、感覚よりも利益あるいは合理性を追求し、結果、おかしなことになっている例が少なくない」と書いているように、「為にする議論」以上の議論ができない所に、今日の日本社会における病があるように思う。

今年の夏、東京国立博物館で開催された特別展「縄文-一万年の美の鼓動」が大成功を納め、この10月から、これをフランス向けに再構成した「縄文-日本における美の誕生」展がパリ日本文化会館で開催されるが、こうした縄文文化ブームも、人工的に作られてきた現代の日本社会を覆う閉塞感への反動なのかも知れない。

今年の全米オープンテニスで優勝した大坂なおみ選手が、期せずして、そもそも「日本人とは何か?」という問題提起をしてくれたが、明治維新150年を迎えた今年、日本の精神性と身体感覚を現代に伝える本書を読んで、今一度、「失われゆく日本」の本質とは何なのかを、じっくりと考えてみることをお勧めしたい。