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『人体はこうしてつくられる―ひとつの細胞から始まったわたしたち』は、ヒトの発生を知るための決定版だ!

仲野 徹2018年11月27日
人体はこうしてつくられる――ひとつの細胞から始まったわたしたち

作者:ジェイミー・A. デイヴィス 翻訳:橘 明美
出版社:紀伊國屋書店
発売日:2018-11-01
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我々の体は、250~300種類、37兆個にもおよぶ細胞からできている。しかし、その複雑な構造は、精子と卵子が融合してできた受精卵たった一個からつくられてくる。受精卵が分裂し、さまざまな機能を持つ細胞へと分化し、適材が適所へと移動する。そして、相互に作用しならがさまざまな生命機能を営んでいる。

不思議だとは思われないだろうか。外部から栄養分が与えられるとはいえ、つきつめて考えれば、受精卵が単独で、最終的に極めて複雑な人体を作り上げるのである。いいかえると、たった一個の細胞の中にすべてが詰め込まれているというこだ。いったいどうなっているのか。

複雑なものが作られるとき、最初から完成品がポンとできるわけではない。そのためには、材料と、そして、比喩的な意味としてではあるが、何らかの指示書が必要である。生物の場合に必要な材料は、タンパク質、糖質、脂質、そして核酸だ。最後の核酸は、三大栄養素である前の三つに比べると馴染みがうすいかもしれないが、遺伝情報を蓄えているDNAと、そのお友だちみたいな分子RNAのことである。

何かを作る時の指示書には、おおきく二通りある。ひとつは、建築の設計図のようなもの。そして、もうひとつは、料理のレシピのようなものである。受精卵に、最終的なヒト完成形の設計図など存在しない。たとえあったとしても、どの目が読み取るのだ。だから、発生の指示書は、レシピあるいは手順書とでもいうべきものにならざるをえない。

しかし、これも、当然のことながら、実際に手順書を読みながら進められるわけではない。外部から手を加えるのではなく、細胞自身が自律的に、あたかも手順書を読むかのように、変化していくのである。

では、いったいその手順とは何なのか?それは、細胞内外に存在するさまざまな分子の機能である。もちろん、それぞれの分子には、人体を作ろうという意志などありはしない。そのうえ、それぞれの分子がなしうる働きというのは決して多くない。しかし、膨大とはいえ、有限個の分子の、物理化学法則に則った相互作用によって、からだは作られていくのである。

もうひとつ、生物の発生には、人工物の作成とは異なった大きな制約が課されている。人工物の場合は、完成品が機能すればいいのであって、中途段階ではなにもできなくていい。しかし、生物の場合は死んでしまったらおしまい、すなわち、生き続けながら複雑になっていかなければならないのだ。

すこし難しかったかもしれないが、受精卵から人体が作られるプロセスについてのイメージがすこしわいただろうか。受精卵「だけ」から人体が作られていくには、このようなシステムにたよらざるをえない。すなわち、主としてはタンパク質と核酸による単純な素過程が「自己組織化」を通じて、かくも複雑な人体を作り上げるのだ。それも、生き続けながら、止まることなく、である。

第一章『異質の方法と向き合う』の概略はこのような内容だ。こういったことを知ると、漠然とした不思議さ以上に、さらに不思議であるという気持ちになってこられないだろうか。じつは、わたし自身がそうだった。正直なところ、第一章を読んだだけで打ちのめされてしまった。

ど真ん中の専門ではないが、生命科学のうちでも発生生物学とよばれる分野は長年親しんできた分野であり、相当な知識があると自負している。しかし、その多くは、いろいろな分子の機能であったり、細胞の動きであったりという、各論の積み重ねでしかなかった。

もちろん、第一章に書かれているような内容を漠然とはイメージしていた。しかし、こういう問題設定でものごとを捉えていなかったのだ。全体を俯瞰せず、肝腎なことを意識せずに学んできたとは、我ながらアホやった。この本では、分子や細胞の相互作用による自己組織化という基本概念をベースに、人体の発生過程が説明されていく。第二章以降もノンストップで読み続けた。すこし口幅ったいが、玄人が読んでも完璧なまでに面白い本だ。

過去20~30年ほどの発生生物学の進歩は著しかった。以前は、どのように発生するかの観察が主であったのが、どのような分子が機能するのかが明らかにされていったのだ。いまや、その知識たるや膨大である。しかし、そのような内容が逐一説明されたところで、一般の読者には理解が難しいし、面白くもないだろう。

この本はそういった本ではない。分子や細胞がいかに自律的に機能して人体が作られていくか、個々の分子の名前などは最低限に抑えながら、その原理の説明に重点がおかれている。だから、まったくの素人であっても十分に読み進めることができる。

最初に説明されているのは細胞分裂だ。細胞分裂が生じる前に、細胞は細胞自身でその中心点を見つける必要がある。さてどうやって見つけるか?けっこう難しそうに思えるのだが、これには、たった1種類のタンパクの活性型と不活性型の押し引きだけでほぼ説明が可能である。このように、一見複雑な現象であっても、その構成要素―この場合はチューブリンというタンパク-はごく簡単な仕事しかしていない。いや、逆だろう。それぞれの分子は簡単な仕事しかできないのだが、その相互作用が複雑な-あるいは複雑に見える-現象を産み出すのだ。

細胞の移動もその好例である。それぞれの細胞は、働くべき場所へと移動していかなければならない。あたかも目的地がわかっているかのように動いていくのだが、これも複雑なメカニズムではない。細胞の表面にある接着因子のくっつきやすさ、あるいは、くっつきにくさ、によって、少しずつうまく導いていかれるだけなのだ。

この本を読みながら、リチャード・ドーキンスの本を思い浮かべていた。エディンバラ大学の実験解剖学教授である著者のジェイミー・A・デイヴィスの問題設定の巧みさ、そして説明能力たるや、ドーキンスにひけをとらないといっても過言ではない。

先に書いたように、文系でまったく生命科学に知識がない人にとっても、十分理解できる内容だ。ただし、読むには、ひとつひとつを理解しながら次のステップへ進む必要があるから、それなりの忍耐は必要である。しかし、断言する。それだけの労力を割く価値はある、と。読み終わった時、自分自身ががどのようにしてできあがってきたかを知ったあなたは、感動とともに、自分のからだに心からの敬意をはらうようになるはずだから。
 

10億分の1を乗りこえた少年と科学者たち――世界初のパーソナルゲノム医療はこうして実現した

作者:マーク・ジョンソン 翻訳:梶山あゆみ
出版社:紀伊國屋書店
発売日:2018-11-01
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