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死とどう向き合うべきか──『現代の死に方: 医療の最前線から』

冬木 糸一2018年12月25日
現代の死に方: 医療の最前線から

作者:シェイマス・オウマハニー 翻訳:小林政子
出版社:国書刊行会
発売日:2018-10-19
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特に病気をしているわけではないのだけれども、自分ももう若くはないせいか、死ぬことについて考えることが増えた。はたして、自分は余命宣告されて、それをスッと受け入れられるだろうか。治療方針や、諦めどころなど、難しい決断を迫られて対処できるだろうか。ただ何も出来ずに生きながらえるだけは嫌だと思うが、死を前にしてそれが自分にいえるだろうか、などなど。

死は一つだが死に至るルートは複数あり、自分はまだ死んだ経験はないので、備えようと思っても難しいものがある──と、そんなことを考えているうちに刊行されたのが、シェイマス・オウマハニー『現代の死に方』だ。アイルランドで医者として日々患者らと接し、数多くの死をみてきた著者による死に方についてのエッセイであり、哲学者から有名人、彼が実際に受け持った患者など、様々な「死のケース」を通して、画一的な理想の死を追うのではなく、家族や患者自身の個別具体的な悔恨や満足(これは滅多にないが)を通して、死についての考察を深めていく。

 私はなぜ今日の急性期病院では良い死に方ができにくくなっているのかについて説明し、総合病院とホスピスでの経験を対比してみたい。「隠された死」に至る歴史的、社会的要因を調べ、なぜ現代人は臆病で死と終末を直視できないのか調べたい──故キーラン・スウィーニーが「勇敢であることへの躊躇い」と呼んだことだ。現代医学の多くは過剰と不正直の文化に特徴があり、この文化は終末を迎えた人間のためにならない。

現場のジレンマ

おもしろいのは、著者が急性期病院(病気が発症し急激に健康が損なわれた患者の治療を行う場所)で数多くの患者を看取ってきた中で起こった様々なジレンマがいくつも描かれ、リアルな死の形がくっきりと浮かび上がってくること。たとえば、患者自身が死を受け入れられずに、最新鋭の金だけはやたらとかかる副作用も大きい治療を無理やり受けるケースもあれば、認知症を患い胃ろうをし、ICUに入っているもなお死を認めようとしない家族とのタフな(時に法的な手続きを伴う)対話が求められた死もある。見苦しい死も多いし、状況が理解できない(死ぬことが受け入れられないまま)どうしようもなくなって死ぬ死も多い。生き方と同じく、死も多様である。

現代の死に方で難しいのは、なまじっか打てる手(それで治る、というわけではなく、少なくとも何らかの効果があるかもしれない手段)があるばかりに、その選択と判断は日々難しくなっているところにあるのだろう。「インフォームド・コンセント」(説明を受けた上での同意)の概念こそあるが、多くの人にとって突然知識を与えられ、さあ選択をしろと言われたところで──特に現代の複雑化した医療を前にしては──困ってしまうことだろう。

たとえば、自分自身で呼吸ができなくなったとしても、人工呼吸器から何からなにまで総動員することで避けられぬ死を、遠ざける(かもしれない)ことが可能である。しかしそれはあくまでも遠ざけているだけのこと。『「米国臨床腫瘍学会」によれば、癌患者の一〇〜一五パーセントが死の直前二週間に化学療法を受けていることが分かった。多くの癌治療──とくに化学療法──は「何かをして」いるように見える以上の理由はなく施されている。』こうした問題は患者やその家族だけのものではないし、病院、医師、各種保険制度など無数の領域が絡み合っている。

無数の角度から死を検討する

本書のもうひとつの読みどころは、その視点の豊富さにある。死について書かれた本(トルストイ『イワン・イリッチの死』のような文学から、医師であるアトゥール・ガワンデが書いた『死すべき定め――死にゆく人に何ができるか』などなど)の紹介や、告知の難しさ、死のタブー視はいつ始まったのかという歴史的な視点、シンギュラリティ提唱者のレイ・カーツワイルなど、永遠に生きることを目的とする人々や思想を取り上げ、「有名人癌病棟」と題された章では、有名人たちがどのように死んでいったのかを紹介し、と無数の角度から死について検討してみせる。

たとえば、『隠喩としての病い』のスーザン・ソンタグは、骨髄癌になった後も希望を持つことをやめず、(それまでに二度癌を生き延びており、自分は科学によって治ることを信じて疑わなかったのだろう)幹細胞移植、放射線療法、化学療法、(成功率はほぼないと言われたものの)骨髄移植をしてなお、癌と闘うことを諦めなかったという。癌と闘うということはもちろん立派な考えではあるが──スーザン・ソンタグは息を引き取る数時間前まで気の休まる時がなく、息子のリーフは『希望という毒杯を際限なく注いで事態を悪化させなければよかったと思う』と語る。

おわりに

結局、闘うべき時に闘うのはもちろん重要だが、勝てる見込みのない時は降伏したいと願う。だが実際の戦争と同じく、そんな正確な判断ができれば苦労はないのだろう。著者自身が困惑しているように、これについては依然として答えもない。『私に答えはなく、深い見識もない。死に方を助言することは、生き方を助言するのと同じくらい難しい。』僕は今のところは、ただ死についてよく考えようと思っている。本書は、少なくともその一助になってくれる一冊だ。