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人文文化と科学文化の融合──『なぜ脳はアートがわかるのか 現代美術史から学ぶ脳科学入門』

冬木 糸一2019年7月5日
なぜ脳はアートがわかるのか ―現代美術史から学ぶ脳科学入門―

作者:エリック・R・カンデル 翻訳:高橋洋
出版社:青土社
発売日:2019-06-22
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 なぜ脳はアートがわかるのか。そんなことをいうと、「いや、そもそも自分にゃさっぱりアートはわからねえ」という人がわらわら湧いて出そうだが、かくいう僕もそのタイプ。真四角の図形をぽこぽこ置いて、赤だの黄色だので適当に塗ったとしか思えない絵が抽象絵でありアートなのだと言われても素人が作ったものとの違いがよくわからないことが多い。

だが、ある意味ではそういう人たちにも読んでほしい本だ。これを読むと、なるほど、確かに人間は、そうした一見意味がよくわからない抽象的なアートを「わかる」ことができるのだということが、脳科学的な観点から理解することができるようになる。また、普段からアートを楽しんでいる人たちも、ターナーやモネ、ポロックにデ・クーニングなど無数の画家の作品と脳についての知見を通すことで、一つの解釈として楽しむことができるだろう。著者のエリック・R・カンデルは記憶の神経メカニズムについての研究によってノーベル医学生理学賞も受賞している神経科学の巨人で、本書も著者の研究領域に基づいた専門的な話に突っ込んでいて内容的にも安心できる。その分量は決して多くないので、そこまで専門的なのは……という人でも大丈夫だ。

文学や芸術の人文文化と、世界の物理的な法則へと関心を抱く科学の文化、「理系と文系」のように時に大きく分けられる両者の間に橋をかけ、これから先の時代の科学、芸術を考えるために欠かせない一冊でもある。『本書の目的は、これら二つの文化が遭遇し、互いに影響を及ぼし合うことのできる接点に焦点を絞って、二文化間の溝を埋めるための方法を提示することにある。この接点は、最新の脳科学と現代美術のあいだに存在する。脳科学も抽象芸術も、直接的かつ説得力のある方法で、人文的思考の中核をなす問いの解明や目標の達成に取り組んでいる。それにあたって両者が用いている方法には、驚くほど多くの共通点を見出すことができる。』

構成とか内容とかざっと紹介する。

引用部にある、脳科学と抽象芸術で共通している方法とはいったいなんなのだろうか? これについて本書で主題として取り上げていくのは、複雑な現象を、一つ一つのより小さな構成要素に分解し理解していくことで、総体としての理解にいたろうとする還元主義的な手法のことだ。

たとえば脳科学は、記憶や思考の分子的、細胞的な基盤の理解を一歩一歩推し進めながらやがて相対的な人間という問題に答えようとしている。一方芸術は想像力の純粋な表現だろう、と思われるかもしれないが、特に抽象画家はイメージ・アートを、形態、線、色、光といった各要素に分離して知覚できるようにし、具象的なアプローチでは不可能なやり方で鑑賞者の想像力に対して働きかける。実際、脳では物を見る時にそのフォルム、色、光といったものを別々に知覚・解釈しているのだ。現時点ではいやちょっと何言っているかわからんわ、と思うかもしれないが、本書はまるっとそれがつまりどういうことなのかを説明していく試みなので、安心してほしい。

というわけで本書ではまず、具象芸術に対して私たちがどのように反応するのか、たとえば一個の絵画を見た時に、脳のどの部位が反応し、どのような連鎖反応で喜びなり驚きなりといった情動に結びついていくのかを解説していく。我々は当たり前のように世界を視覚的に捉えているので、色も、形も、光も、見たままにそこに「ある」と思っているかもしれないが、実は違う。

これは人が物を認識する時の簡素なスケッチにすぎないが、まず人間が物をみたとき、網膜に投射されたイメージが、線や輪郭を記述する電気的なシグナルへと解体される。そこで顔や物体を分ける境界がうまれ、その後、形に関する規則と既存の経験に基づいて再構築されて知覚イメージへと組み立てられる。つまり、我々は外界をただ見るのではなく、見たものを脳の中で記憶や経験と合わせて再解釈する。だから我々は時に簡素な線にすぎなくても、逆光が激しすぎて実体としてはその姿がみえなくても、そこから雄弁に人の顔や姿を「見る」ことができるのだ。

脳は抽象芸術をどうやって理解しているのか?

そうした視覚の認識において、脳内では大きく二つの処理プロセスが関わっている。ひとつはボトムアップ処理で、これは我々の認知システムに生得的に備わっている規則を利用し、目から入ってくるありのままの現実から線や輪郭を抜き出していくプロセスのことだ。

そんなんいるか? と思うかもしれないが、単なる線の連なりから即座に顔を認識したりする天然の顔認識能力は、我々の脳に生来備わっている能力なのだ。もう一方はトップダウン処理で、前頭前皮質や上頭頂皮質といった高次の脳領域が関連し、自分の記憶や経験に基づいて、目から入ってきたあれやこれが何であるのか? という情報の「解釈」を行う。生得的な物での評価(ボトムアップ)か学習での評価(トップダウン)か、で大まかに分かれていると考えれもらえばよい。

で、本書で重要な主張となっているのは、抽象芸術を理解する時にはこのトップダウン処理に大いに依存しているということだ。脳の一次視覚皮質の各神経細胞は、単純な線や垂直、水平、傾斜などに毎度同じ、特定の反応を示すが、つまり画家は線や色によって人間の視覚体験をある程度コントロールできることになる。さらに、脳はそこで生まれた情報を最終的に記憶や経験を結びつけて解釈しようとするから、単純化した線や色を組み合わせるだけでも、鑑賞者自身が独自の経験に基づいて補完できる特別な「イメージ」を提供することができるのだ。

新しきものの同化、すなわちイメージの創造的な再構築の一環としてのトップダウン処理の動員が、本質的に鑑賞者に快をもたらす理由は、一般にそれによって創造的な自己が刺激され、ある種の抽象芸術作品を前にしてポジティブな経験がもたらされるからだ。

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーという画家は(ちなみに僕は抽象芸術は基本的にわからないが、ターナーの描く絵は好きだ。)、彼が描いた日没の絵に対して寄せられた、「ターナーさん。こんな日没は見たことがありません」というコメントに対して「奥様、見ることができればどんなに素晴らしいだろうとは思いませんか?」と応えたという。『かくして抽象画家が主張し、抽象芸術それ自体によって示されていることとは、網膜への感覚刺激の刻印が、それに結びついた記憶の想起を引き起こすスパークにすぎないという点だ。』

おわりに

と、200ページほどのわりと短い本なので紹介もこんなところで切り上げよう。

この他にも、人は視覚情報から実は触覚まで刺激を受けるという脳科学的な根拠、視覚は色をどのように捉えているのか? 色と情動の結びつきは? の解説など、アートに限定せず「我々は世界をどのように見、解釈しているのか?」という話題が頻発するので、興味がある人はぜひどうぞ。抽象画がどのような技術的な変遷・発展をしてきたのか、という歴史的な語りもあり、この分野の素人としてはそうした情報もたいへんに楽しむことができた。