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人の可能性をひらく「エイブルシティ」に何を見るか:トランスローカルマガジン『MOMENT』創刊号

アーヤ藍2019年7月18日
タイトル

出版社:リ・パブリック
発売日:2019-05-31

数年前まで、都市づくり・まちづくりに関わるThink&Doタンクに勤める友人とルームシェアをして暮らしていた。特定の地域を舞台に、ローカルからどうその地域の課題を解消し、そのまちを面白くするか…を彼女が考えている一方で、当時の私は、ドキュメンタリー映画の配給を通じて、戦争や移民、環境破壊など、国境をこえた世界規模の問題について考える日々だった。

ミクロから見ている彼女とマクロから見ている私とでは、日頃インプットしている情報も、参加するイベントも、仕事を一緒にするコミュニティも、異なる。それでも、ときに「今こんなことをやっているんだけど…」と執筆している原稿を見せてもらったり、企画の相談をしたりしていると、「あれ?一緒だ!」とリンクする感覚を何度も覚えていた。

そんな彼女の会社、Re: Public(リ・パブリック)が、先日、雑誌を発刊した。会社設立から6年。企業へのコンサルティングや、大学や行政と連携したリサーチ、ワークショップの設計などを行なってきた会社が、出版不況とも言われる今、雑誌をつくるというから驚きだ。

MOMENT』と名付けられたこの雑誌の記念すべき創刊号、テーマは英語の「able」=「〜できる」を使った「エイブルシティ」。「人間の可能性をひらく」ような都市や、「変化を生み出す余白を作っている」ような都市のストーリーを、国内外多様なエリアから紡いでいる。

この雑誌を初めて読んだのが、深夜だったのだが、読み進めるほどに、部屋で一人興奮が高まり、目が冴えていった。それは、かつてのシェアメイトに感じていた「一緒だ!」の連続が詰まっていたからだ。

 

都市は環境問題に対してどうアプローチできるのか

私は昨秋から、日本において現れている気候変動の影響を映し出すためのショートドキュメンタリーを制作していたのだが、その作品への反響に触れながら、個人レベルでできる小さな変化のアイディアか、実際の変化は生みがたい、国や政府への批判か…にどうしてもなってしまうことへ、もどかしさを感じていた。

そこに入ってきたのが本誌で紹介されているスペイン・バルセロナの都市生態学庁ディレクター、サルバドール・ルエダのインタビューだ。サルバドールは、バルセロナ市内における自動車の侵入やスピードを厳しく制限し、車道だった空間を公園やイベントスペースなど、市民が活用できるパブリックスペースに変える「スーパーブロック」という取り組みを牽引してきた。これによって、車の排気ガス量を減らし、環境負荷を下げるとともに、ただA地点からB地点へ移動するだけだった“歩行者”を、まちで遊び、活動する“市民”へと変化させることもできる。

 生物化学と心理学の両方を学んできたサルバドールは、

これまでの都市間競争とは、資源の獲得競争でした。より多くの土地、資源、エネルギーを得て、より多くを消費する都市が優位に立ってきた。しかしこれは、持続可能なモデルではありません。

と環境問題に対するマクロな視点をもちながらも、

都市の生態系は特殊です。なぜならその基盤は常に人であり、人はそれぞれのInterest〔権益〕に基づいて行動し、Power〔権力〕によって他者の行動をも左右するからです。こうした自然の生態系とは異なる要素に注意しながら、都市にアプローチしていく必要があります。

と、個人レベルでは都市を変えられない事実を認めたうえで、ではどうしたら、多様な個人と組織が存在する「都市」を、より持続可能なものに変えられるか、具体的に考え、実際に実現しているのだ。

手が届かない国や地球レベルの話と、変化の実感を感じにくい個人レベルの話の間をぐるぐるしていた私にとって、「ここにちゃんと形になっている“中間”があった!」と目から鱗だった。

 

ダイバーシティの実現には「インクルージョン」では足りない?

もう1つ、最近のモヤモヤを痛快に吹き飛ばしてくれたのが、奈良県にある「Good Job!センター香芝」の記事だ。

同センターは、障害者アートの草分け的存在として知られる「たんぽぽの家」が、そのアート表現を活かしたい企業をつなぎ、プロダクトの開発・製造をするために立ち上げた「新たな仕事づくりの場」である。

…と言われても、この取り組み自体に、「すごい!新しい!」と驚く読者はそうはいないだろう。障害に限らず、ジェンダーやセクシュアリティ(いわゆるLGBT)、結婚や家族の形などの「多様なあり方」は、近年メディアで取り上げられることが増え、「ダイバーシティ」を謳う企業も増えている。

以前、アメリカの同性婚裁判の映画を配給したり、個人的にも多様な家族の形について、ここ4年ほど声を上げてきた身として、そうして注目が集まり、”理解”が進んで行くことは、ある意味喜ばしいことだと思う。だが一方で、それが「トレンド」のようにマスメディアでもてはやされていることに、言葉にうまくできない違和感も覚えていた。

それを掬い上げてくれるたのが、本記事に出てくる、インタビュアー・飯嶋秀治(九州大学准教授)の言葉だ。

最近大学でダイバーシティを取り上げることが増えました。世の中にこの考え方が広がっていく反面、たとえばジェンダーについても、相手の意向に合わせて「男」「女」「その他」のカテゴリに当てはめることで、異質な他者との接点をなるべく小さくしようとしているように見えることがある。大きな方針としては間違っていないと思うんですが、そういう文脈でペアのように出てくる「インクルージョン〔包摂〕」は、マジョリティが変わらないで済ませるための仕掛けのようにも見えてくる。

「in(内側)-clusion(閉じる)」の「インクルージョン」に、「自分が変わることなく、自分の側に相手を閉じ入れる」課題点があるのだとしたら、ダイバーシティを社会で実現するには、「ナニ・クルージョン」へ向かっていけばいいのだろうか…?同記事を最後まで読んでみてほしい。

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ここに取り上げた2つの記事以外にも、「この視点って、こっちの問題にも応用できるじゃん!」「この分野でも同じ問題について取り組もうとしていたんだ!」と、興奮してマーカーを引きながら読んだポイントがたくさんあった。

「都市」や「まち」は、世界の縮図であり、個人の集合体である。だから、あらゆる分野と多様な課題が絡み合って存在していて当然なのかもしれない。自分の専門や決まった分野がある人こそ、本誌で紹介されている“都市づくり・まちづくりの最先端”に触れてみると、思いがけないヒントを発掘できるかもしれない。そして、そこから生まれたアイディアを、それぞれの分野から持ち寄った時、きっとさらにおもしろい都市/まちが生まれてくるはずだ。