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『僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた』誘惑に勝てないのは意志が弱いせいじゃない

西野 智紀2019年9月7日
僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた

作者:アダム・オルター 翻訳:上原 裕美子
出版社:ダイヤモンド社
発売日:2019-07-11
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 スティーブ・ジョブズは自分の子供たちにiPadを使わせていなかった――彼はその影響力をもって世界中に自社のテクノロジーを広める一方で、プライベートでは極端なほどテクノロジーを避ける生活をしていた。デジタルデバイスの危険性を知っていたから。彼だけでなく、IT業界の大物の多くが似たようなルールを守っている。まるで自分の商売道具でハイにならぬよう立ち回る薬物売人みたいではないか……。

そんなツッコミで幕を開ける本書は、フェイスブックやツイッター、インスタグラム、ソーシャルゲームといったデジタルテクノロジーが持つ薬物のような依存性をわかりやすく噛み砕いて分析した一冊である。ネット依存を題材とした本は他にもあるが、本書が類書とちょっと違うのは、こうした依存症ビジネスを否定・糾弾するのではなく、人間心理への深い理解を促すことに重心が置かれている点だ。著者はニューヨーク大学の行動経済学や意思決定の心理学を専門とする研究者で、テトリスやスーパーマリオブラザーズに夢中になったという話題がちょくちょく出てくるなど、なかなかのゲーム好きのようだ。

まず重要となるワードは「行動嗜癖(behavioral addiction)」だ。これは何らかの悪癖を常習的に行う行為を指す。昔から存在していた言葉だが、現在ではかなりポピュラーになった現象だそうだ。少し前ならギャンブルやショッピング中毒、今ならば一日に十数時間もスマホやゲームを触らずにはいられない状態やテレビドラマ数十話を一気に観ずにはいられないビンジ・ウォッチングなどがこれに当たる。

行動嗜癖によって若くして多難な経験をした一例に、著者が取材した元ゲーム依存症患者アイザックがいる。1992年に生まれた彼は、学校での成績は極めて優秀で体格も良く運動能力にも秀で、大学ではアメフト選手として奨学金が認められラインバックのレギュラーとして活躍が期待されていた。

しかし、高いスキルとは裏腹に、彼は深い人間関係を築くのが苦手だった。その埋め合わせのように、14歳の頃からMMORPG「ワールド・オブ・ウォークラフト」で遊び始めた。このオンラインゲームを通して生まれたギルド仲間を親友のように感じ、次第に睡眠時間を削って毎晩ログインするようになる。大学生になって依存症状はさらに悪化、成績は不合格だらけになった。

母親のすすめで、アイザックはシアトルにある世界初の依存症患者療養施設「リスタート」に入院した。施設内でリアルの友達を作り、絵を描いたり自然の中をハイキングしたりして、彼は6週間に及ぶ治療プログラムを見事完遂した。

だが、彼はここで最大のミスをする。大学の学位をちゃんと取ろうと思い、医学的アドバイスを無視して、依存症になったアパートに戻ってきてしまったのだ。2013年2月21日、昔のギルド仲間からのメールを受けゲームの世界に潜り込んだ彼は、それから外部との接触を断つ。食事はすべて電話注文。1日20時間ぶっとおしでゲームとチャットをし、失神するように2時間ほど眠ってはまたゲームをする生活が5週間続いた。かかってきた電話は142本。すべて出なかった。なぜか出てしまった143本目は母親からで、それでようやく重い腰を上げたのだった。

アイザックのケースから言えるのは、行動嗜癖は本人の性格や心の強さというより環境の問題であることだ。つまり、一時的に依存を断つことができても、依存した場所に戻ったり関係者と再会したりすると依存症もまた再発してしまうのである。

このように、物質ではなく行動に依存し、病状の進行が表面化しにくいのが行動嗜癖の特徴だが、何より厄介なのは、その行動によって短期的には好ましい結果が期待されるがゆえに止め時がわからないことだ。たとえばゲームならレベルアップによる段階的な向上感。難しい目標をクリアしたときの達成感。SNSならフォロワーが増えたり「いいね!」というフィードバックをたくさんもらえたりする多幸感。これらに抗うのはひじょうに困難だ。「あと一回課金すればあのボスを倒せる」とか「もっと強い言葉を使えば賛同が増えるかも」などと思い始めればもうスマホから目が離せない。すなわち、人の欲求を駆り立てるフックは至る所にあるが、停止規制が全くと言っていいほど備わっていないデザインなのである。

ある行動嗜癖研究の専門家は、念入りに検査した先行研究83本、4大陸150万人の被験者からなるレビュー論文にて、全体の41%が過去一年間に少なくとも1つの行動に依存しているとの研究結果を導き出している。つまり、人口のおよそ半分の人に行動嗜癖の疑いがあるわけだ。無縁の病とは到底言えない。こうした様々なデータを踏まえて、著者はこう述べる。

依存症の真実は、私たちの思い込みを崩すものばかりだ。危険なドラッグに対する報われない恋に落ちるのは身体ではない。物質や行動だけで決まるわけでもない。思考が、その物質や行動と、心理的な苦しみからの解放感とを結びつけて学んでしまうのだ。

ここでいう恋に落ちるとは、好きになるという意味ではない。依存症患者の多くは、その依存対象がまったく好きではない。でも、脳は欲しがるのだ。「好き」と「渇望」は似ているようで別物なのである。

しかし現実問題として、今の時代、テクノロジーに一切触れない生活など至難の業だ。本書では、解決策として、デジタルデバイスの使用頻度を減らしたり接触時間を短くしたりする行動アーキテクチャや、依存症ビジネスの仕掛けを逆手に取ってゲームではない体験をゲーム化するゲーミフィケーションの考え方を紹介している。また、先述のアイザックは、もう一度「リスタート」にてプログラムを受講し、現在は近くのスポーツジムで経営者として働きつつ、施設に通い続けている。

ただ、慎重で堅実な生き方はもちろん貴ばれるべきだが、生活に支障が出るほどテクノロジーにハマって失敗する人生もそれはそれで魅力的で面白いとも思うのだ。とはいえ、自分が不幸になるだけならまだしも、家族や友人にも迷惑をかけてしまう場合があるのも事実……。なんにせよ、我々はこの世界が自分の意志のみではとても打ち勝てない誘惑だらけであることは心に留め置くべきだろう。本書はそれを鋭く優しく示してくれる警告の書である。