知る人ぞ知るサイエンス系ノンフィクションの名手、サイモン・ウィンチェスターの新作ということで、すぐ手にとった。
2004年に邦訳が出た『クラカトアの大噴火』は450ページを超える大部だったが、貪るように読んだ記憶がある。19世紀末スマトラ島近くのクラカトア火山が大爆発を起こし吹き飛んだ事件だ。巨大な津波が3万人を超える人々を飲み込んだ。衝撃波は地球を4周するほどの巨大さだった。結果的にこの大噴火はイスラム原理主義者の擡頭、植民地主義の崩壊、海底ケーブル網による世界同時報道、プレートテクトニクス論の確立、新たな芸術手法の誕生などの引き金となった。ウィンチェスターはサイエンスと歴史、テクノロジーと人間の関係を描く名手なのだ。
本書の原題は「精密工学はいかに現代社会を作り上げたか」だ。18世紀の産業革命以降、新たな良き機械を作り上げるため、たゆまぬ精密の向上が要求された。フォードやインテルなど、その時代を代表する企業が、どれほど精密さにこだわっていたかを描くとともに、技術や研究者にまつわる物語が語られる。
たとえばレンズをとりあげた章では、レーウェンフックの顕微鏡から語り始める。著者自身のカメラ遍歴とカメラレンズの原理を紹介することで光学の基礎を提示する。最後に原題最高峰のレンズともいえるハッブル宇宙望遠鏡と主鏡の開発現場の様子が詳細を極めて描写される。精密さの追求が科学技術の発達や、人類の発展につながっていることを体感させようとしているようだ。
終章のテーマは日本だ。著者は盛岡にあるセイコーの工場を訪問したのち、南三陸町で最後まで避難を呼びかけた遠藤未希さんの悲劇に心を奪われる。そして日本の漆器と竹細工という精密な工芸を通じて、むしろ自然界の不精密さの価値を再発見するのだ。全編を通じて日本に対するリスペクトが眩しいほどだ。
※週刊新潮 2019年10月10日号