『ミヤザキワールド 宮崎駿の闇と光』 訳者あとがき

早川書房2019年11月06日 印刷向け表示
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ミヤザキワールド‐宮崎駿の闇と光‐
作者:スーザン ネイピア 翻訳:仲 達志
出版社:早川書房
発売日:2019-11-06
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本書は、海外における日本アニメ研究の第一人者による「宮崎駿論」決定版とも言うべき一冊である(原書はMiyazakiworld: A Life in Art, Yale University Press, 2018)。通読してまず実感するのは、著者スーザン・ネイピアの「ミヤザキワールド」に対する並々ならぬ愛情の深さだ。自身も優れたストーリーテラーであるネイピアの語り口は優しく滑らかで、宮崎の人生や時代背景が創作過程にどのような影響を与えたのかを、難解な専門用語に頼ることなく紐解いていく。ネイピアは、宮崎の作品世界を読み解くために、監督に関する膨大な日本語の(そして日に日にボリュームを増す英語の)文献や資料を渉猟しただけでなく、作品にインスピレーションを与えた自然や場所にも自ら足を運んで観察している。

現在、タフツ大学で修辞学教授を務めるネイピアは、これまで日本文学とファンタジーやアニメに関する多数の論文や著書を発表している。そのうち一冊は『現代日本のアニメ──「AKIRA」から「千と千尋の神隠し」まで』(中央公論新社、2002年)と題して邦訳され、翌年には第27回日本児童文学学会賞特別賞を受賞した。

2019年は、日本アニメにとってまさに闇と光が交錯する一年となった。「闇」はもちろん、7月にアニメ制作会社「京都アニメーション(京アニ)」第一スタジオで起きた凄惨な放火殺人事件である。30人以上の犠牲者を出した前代未聞の惨事は、日本だけでなく世界中に衝撃をもたらした。京アニは、スタジオジブリ作品の『魔女の宅急便』や『紅の豚』などの制作に参加したことでも知られている。ネイピアはアニメ研究の権威として、《ニューヨーク・タイムズ》紙をはじめ、多くのメディアからコメントを求められ、自らもCNNのサイトに「京アニの放火事件は、人類と芸術にとって大きな損失だ」と題するコラムを投稿した。その中で、ネイピアはアニメーターを使い捨てにせず、大事に育てる京アニの職場環境の素晴らしさや、女性アニメーターを(特に監督レベルで)重用する意識の高さを称え、日常と神秘的なものが交差する瞬間や、自然と少女たちを繊細に描写する高度な演出力を絶賛している。メディアでの発言からも明らかなように、著者の研究姿勢は鋭いジャーナリズム感覚にも裏打ちされており、それは本書の際立った特徴の一つでもある。

一方で、日本アニメに「光」をもたらした出来事もあった。日本アニメの黎明期にスポットを当てた、NHKの連続テレビ小説『なつぞら』が大きな話題を呼んだこともその一つだろう。宮崎や盟友の高畑勲をモデルにした人物も登場し、アニメ業界に対する一般視聴者の関心を高めただけでなく、『太陽の王子 ホルスの大冒険』や『アルプスの少女ハイジ』といった初期の名作アニメが再注目されるきっかけとなった。ちなみに、本書はこれらの作品も詳しく取り上げ、ドラマの主人公のモデルとなったアニメーターの奥山玲子の証言を引用するなど、当時の状況にかなりのページを割いている。

宮崎の創作活動に関しては、すでに膨大な数の書籍やドキュメンタリーが存在する。中には、きわめて興味深い考察を行なっている評論や、制作現場での宮崎の日常に肉薄することで、ユニークな創造性の秘密に迫った優れた番組も少なくない。だが、ネイピアが本書で試みているのは、大量の断片的な情報を丁寧に拾い上げながら、監督自身の人生と芸術世界(ミヤザキワールド)の関係を明らかにし、「作家」宮崎駿の全体像を掘り起こすことにある。内気だがすでに常人離れした画力の片鱗を見せ、祖父の別荘で自然を満喫していた少年時代、試験勉強よりも漫画を描くことに夢中になった高校時代、児童文学研究会に所属し、プロの漫画家を目指そうとしていた大学時代、そして瞬く間に優れたアニメーターとして頭角を現した東映動画の新人時代などを通じて、宮崎の生い立ちと人生から創作の秘密を解くカギが次々に明かされていく。中でも興味深いのが、ネイピアの言う宮崎の中の「闇」の部分である。

例えば、ネイピアは、宮崎の幼少期の記憶にしばしば言及し、第二次世界大戦中の体験が、いかに監督の深い共感能力や反権力の姿勢を育むことに貢献したかを解き明かしていく。家族が経営していた零戦の部品工場が戦争に加担して利益を上げ、結果的に同世代の子供たちより裕福な暮らしをしていたことや、米軍の空襲から逃れる際に、親が近隣に住む母子を見捨てた(少なくとも幼い宮崎の目にはそう映った)ことへの罪悪感が大きな要因になっているという指摘も、その一例である。そうした経験に根差したテクノロジーに対するアンビバレントな感情は、『ルパン三世 カリオストロの城』においてすでに見て取れるし、『風の谷のナウシカ』や『もののけ姫』では大きなモチーフの一つとなっている。宮崎作品の主人公の多くは、自分の危険を顧みずに、弱い立場にある者に救いの手を差し伸べる。それは、ナウシカやアシタカといった明らかなヒーローだけでなく、河原で下級生をいじめている上級生を投げ飛ばす『風立ちぬ』の二郎にも共通する。ある意味で、宮崎は戦時中にできなかったこと(母子を救うこと)を彼らに代行させているのだとネイピアは分析する。また、軍事兵器を設計する二郎をはじめ、多くの登場人物は、幼い宮崎の目に映った家族のように、道徳的に曖昧な選択を行なっている。彼らの行動が観客にとって説得力を持つのは、どのキャラクターにも宮崎自身の葛藤が反映されているからにほかならない。

ネイピアはまた、監督の幼少期から成長期にかけて母親が結核で長患いしていたことや、宮崎と母親との間の強い絆にも大きな焦点を当てている。『となりのトトロ』や『風立ちぬ』への影響は歴然としているが、ほかの作品で母親(あるいは母親代わり)のキャラクターが重要な役割を演じているのも、そこに理由の一端があるという。ほかにも、宮崎作品における「呪い」の意味(アシタカ、マルコ、ソフィー、千尋の両親やハクなど)をはじめ、多くのテーマにからめて作家と芸術世界の関係が浮き彫りにされていく。言うまでもなく、そこから生まれるのは優れた作品論であり、中でも訳者にとって白眉は、漫画『ナウシカ』の「闇と光」を論じた第10章と『もののけ姫』の「他者性」を考察した第一一章だった。

やや手前みそになるが、本書の原書が、ロシア語、アラビア語、中国語、韓国語に翻訳される予定であることも、日本アニメに「光」をもたらす出来事の一つと言えるかもしれない。そこからは、「作家」宮崎駿に対する国際的な関心の高さが窺える。加えて、『ナウシカ』の歌舞伎版が今年12月に公演される予定であることも、「光」の要素に含めていいだろう。

訳者の私が映画『風の谷のナウシカ』を初めて観たのは、もう30年以上も前のことだが、あの時の衝撃は今でも忘れられない。欧米の優れたSFに勝るとも劣らぬ複雑で重厚な世界観と、王蟲の圧倒的な存在感に度肝を抜かれ、ナウシカの凛々しさと「辺境一の剣士」ユパのカッコよさにすっかりしびれてしまった。当時は未完だったコミック版も全巻買い込んで貪るように読み、ダークな世界観に再び衝撃を受けた。それ以来、宮崎の作品は必ず映画館で観るようになった。どの作品にも強く心を揺さぶられ、観た当時の思い出とともに深く記憶に刻印されている。中でも『もののけ姫』は、漫画と映画版の『ナウシカ』に次いで好きな作品で、中世日本に『ナウシカ』の世界観を移植したような舞台設定や、次々に登場する異形のものたちの描写にぞくぞくさせられっぱなしだった(もっとも、宮崎が創造した超自然的なキャラクターのうち、私が一番好きなのは多分、『トトロ』のネコバスだ)。また、現時点で最後の劇場映画である『風立ちぬ』では、まるで地の底で巨大な竜が暴れているような関東大震災の描写のあまりの迫力と不気味さに鳥肌が立ち、身勝手な(そこには監督自身の葛藤が反映されているのだろう)二郎の前から消え去っていく菜穂子の姿に胸が苦しくなった。純粋なファンタジーではないからこそ、あらためて宮崎監督の凄さを思い知らされた作品だった。

以前から常に不思議に思っていたのは、数ある漫画やアニメの中で、なぜ宮崎の作品だけが私をこんな気持ちにさせるのかということだった。その疑問に確たる答えを見出せないまま数十年がたち、宮崎がおそらく最後の劇場アニメとなるであろう作品に着手している今になって、翻訳者として本書に出会うことができたのは、一ファンとして望外の喜びである。読者が私のように感じたことが一度でもあるのなら、本書は間違いなく、その疑問にヒント以上のものを与えてくれるはずだ。

最後に、宮崎に大きな影響を与えた作家の言葉を紹介しておこう。宮崎は、故アーシュラ・K・ル゠グウィンの古典的名作『ゲド戦記』を枕元に置き、すぐに読めるようにしていたと自著で書いている。同作の映画化の経緯については本書でも言及されているが、その結果がどうあれ、ル゠グウィンと宮崎が芸術家として互いに尊敬し合っていたことに疑問の余地はない。ル゠グウィンは、自らのホームページで、宮崎は「黒澤かフェリーニに匹敵する天才だ」と断言していた。そのル゠グウィンが、芸術作品の創作過程について記したこんな言葉がある。

他者に到達するために芸術家は自分自身の内部へと向かいます。理性を手がかりにしながら、自分の意志で非合理なものの世界に足を踏み入れるのです。自分自身の内奥にはいりこめばはいりこむほど他者に近づいていくのです。……苦痛に関してなにが一番つらいかと言えば、それはこの苦痛が自分ひとりだけのものだということです。……痛みという最も孤独な経験が共感を生み、愛を生み出すのです。つまり自己と他者とのかけ橋、交流のきずなを。芸術に関しても同じことです。自分自身の内奥に最も深くはいっていく──この苦痛に満ちた旅をなしとげる芸術家こそが、わたしたちの心に最も密接に触れ、最もはっきりと語りかける芸術家なのです(『夜の言葉──ファンタジー・SF論』、アーシュラ・K.ル゠グウィン、山田和子・他訳、岩波現代文庫、2006年、132頁)。

ここで描写されている芸術家は、まさに本書で描かれている宮崎駿の姿そのものである。

本書に引用されている登場人物の台詞や場面の描写は、その都度、DVDや漫画に直接当たって確認し、表現や内容が異なる場合は、すべて作品に合わせて変更したことをお断りしておく。宮崎の全著作を含めて、日本語の参考文献からの引用に関しても同様の手続きを踏んだ。

 二〇一九年一〇月

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