おすすめ本レビュー

DNA鑑定とFACT 『DNA鑑定 犯罪捜査から新種発見、日本人の起源まで』

吉村 博光2019年11月9日
DNA鑑定 犯罪捜査から新種発見、日本人の起源まで (ブルーバックス)

作者:梅津 和夫
出版社:講談社
発売日:2019-09-19
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DNA鑑定と聞いて私がまず連想したのは、テレビドラマの犯罪捜査のシーンだ。「トレース」や「アンナチュラル」など、最近、その手のドラマをよく見かける。まるで水戸黄門の印籠のように、クライマックスでDNA鑑定結果と真実が提示される。

本書は、著者が手がけてきたDNA鑑定を紹介するだけでなく、「DNA」「染色体」「遺伝子」「ゲノム」といった言葉の使い分け方など、基礎的な知識も盛り込まれている。楽しく読める入門書だ。無論、上記のような犯罪捜査に関する記述にも1章を割いている。

その章には、足利事件などの実例も挙げられており興味がある方はそこだけ読んでも面白いだろう。またそこには、ドラマではわからない科捜研の意外な実情も記されている。科警研の力関係や、科学捜査できる範囲の制約などについてである。

科捜研におけるDNA鑑定は、核DNAのSTRを判定する米国ABI社製のSTR判定キット(商品名は「アイデンティファイラー」)を主として用いている。(中略)言い換えれば、科警研が科捜研に使用を認めているのはこれらのキットだけであり、科捜研はミトコンドリアDNAなどは鑑定することができない。 ~本書第7章「犯罪捜査とDNA鑑定」より

容易に想像できることだが捜査の確度をあげるため、上部組織である科警研の方針は「無理をするな」である。そのため、科捜研にはドラマのような自由はないそうなのだ。著者は、科捜研にもっと自由を与えたらどうか、と本書で提案している。各都道府県の科捜研には、世界最高レベルの実力があるという。

もし、今度ドラマで科捜研のカッコイイ犯罪捜査シーンに出くわしたら、ヨコで観ている子供たちにこの辺の薀蓄を披露してやりたい。嫌われるだろうなぁ。でも、FACT教育の一環である。心を鬼にしなければ。って、そこまで力むこともないか。

ところで、本書が属する講談社ブルーバックスシリーズの発刊のことばは「科学をあなたのポケットに」である。その言葉のなかに「読む人に科学的に物を考える習慣と、科学的に物を見る目を養っていただくことを最大の目標にしています」という一文がある。

昨今、ベストセラーの影響もあって事実(FACT)への意識が高まっている。それは「科学的に物を見る目を養う」力をつけることでもある。後ほど詳述するが、本書を読むと結果として、私たちが多くのものに対して漫然と抱いている「イメージ」を覆すことになる。

それはつまり、事実を見極めようとする科学的な物の見方を学ぶ作業であり、本書はまさに「発刊のことば」を体現したものなのだ。そしてさらに、本書におけるイメージ転覆(科学の目)の最たる例が「DNA鑑定」そのものに向けられているのである。

驚いたことに本書によると、FACTの権化ようにみえるDNA鑑定は、実は汚染まみれだという。例えば、現生人類がネアンデルタール人の遺伝子を受け継いでいるという、世界を揺るがせた研究論文に対してもこのように疑問を呈する。

ネアンデルタール人ほどの古さの人骨ともなれば、得られたDNAデータには、これまで述べてきたように、無視できないくらい多くの塩基の死後変化が蓄積しているのではないだろうか。縄文人の骨でさえ、鑑定できるものは限られているというのに、それよりも10倍以上も古いのである。 ~本書第5章「DNA鑑定が明かす日本人の起源」より

他にも複数の理由をあげ、本件はネアンデルタール人のDNAが現代人のDNAによって汚染されただけの話ではないか、と著者は思ったという。ただ著者もそれを「第一印象」と書いているように、その説を断定しているわけではない。さぁ他にも、科学の目を向けてみよう。

これはDNA鑑定そのものに対する疑いではないが、例えば、さかなクンが絶滅したクニマスを西湖で大発見した件である。形態がホルマリン漬けの標本に似ていたことと、戦前に田沢湖の受精卵が西湖に移入されたことがあったことから、クニマスと認められた。

しかし著者は、西湖のヒメマスが深い湖に適応した結果、クニマスに似た形態になった可能性を排除できないと指摘している。ちなみに、ホルマリン漬けの標本では溶液がアミノ基を切断してしまうため、DNA鑑定が不可能になってしまうのも鑑定の限界の一つらしい。

文脈から、世紀の発見にケチをつけるような事例ばかり、紹介してしまった。制約だらけのDNA鑑定のどこがそんなに面白いんだ、と皆様の不満が聞こえてきそうだ。でも本書には、著者の興味を堀り進めた結果事実に辿り着いたという、ワクワクする事例も多数挙げられている。

ネズミの死骸のDNA鑑定から詐欺師のウソを見破ったり、ヒトの排泄物から何を食べたかを調べるために自らのウンコをDNA鑑定したり、水たまりに生息していたエビを「生きた化石」ホウネンエビの新種と同定する過程は、非常に興味をそそられる。

私が、本書を手に取ったのは、単に犯罪捜査のDNA鑑定に興味があったからだけではない。副題の“日本人の起源”という言葉も気になったからだ。開いてみるとわかるが、縄文人に関する記述が目に飛び込んでくる。DNA鑑定×縄文人。心躍る組合せではないか!

1990年ころから始まった縄文人骨のミトコンドリアDNAの分析結果に基づく、第5章「DNA鑑定が明かす日本人の起源」は歴史好きの方にはたまらないだろう。従来の歴史のアプローチとは異なる切り口を、存分に楽しんで欲しい。

最後に、私とブルーバックスとの出会いに触れたい。まだ昭和だった頃、それは『分子生物学入門』という本だった。「好学心ある高校生に」という惹句をみて、熱い思いでレジに走ったのを昨日の事のように覚えている。

柔軟な頭で一気読みして、一瞬、理系に進む選択肢さえ頭をよぎったほどだった。あれから30年。(きみまろ!?)残念なことに、そこから私は進歩していない。いまや髪は白くなり、皮膚の老化は避けられない状況だ。当時からすると、むしろ後退しているだろう。

30年の時を経て再度出会った、分子生物学関連の入門書。まったく違う内容の本だったのだが、変わらず楽しく読むことができたのは嬉しかった。世の中にはこんな楽しい仕事があるのか、とこれから理系の道に進むことを想像した。あぁやはり、私には進歩がないようである。

▼令和元年の秋。あわせて読みたい、話題の新刊2冊
気がつくと私は、9月発売のブルーバックスを3冊も買っていた。吉野彰氏のノーベル化学賞受賞による科学熱が、私の中にくすぶっていたからかもしれない。多くの方の心にもそれがあるのだろうか、売れ行きも好調のようだ。

作曲の科学 美しい音楽を生み出す「理論」と「法則」 (ブルーバックス)

作者:フランソワ・デュボワ 翻訳:木村 彩
出版社:講談社
発売日:2019-09-19
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