“日本以外でも納豆が食べられていたの?納豆にこんなにすごい背景があるなんて!”と衝撃を与えた『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』から4年。前作で解き明かしきれなかった異国の納豆の正体を、完全に明らかにした驚天動地のノンフィクションがいよいよ発売された。
発売直前のある日、新潮社の会議室を高野秀行さんは一日ジャックしていた。リモートを含め取材が5本。新型コロナ禍で酷暑のなかでも注目度は相変わらず高い。そしてご本人のテンションもアゲアゲである。すばらしき納豆の世界へようこそ!
ー『幻のアフリカ納豆を追え!』出版おめでとうごさいます。それにしても日本、朝鮮半島、東南アジア、びょーんと飛んで西アフリカで同じ発酵食品が食べられているのは面白いですね。なんでなんでしょう?
高野 :それを解き明かしたくて、この本を書いたんですけどねw 日本人だけがうま味を感じているわけじゃないってことですよ。
ー先の『謎のアジア納豆』ではタイ、ミャンマー、ネパール、中国などアジア各国でつくられている納豆の背景を明らかにしたわけですが、そのエピローグで「まだまだ知りたい納豆が世界にある。朝鮮半島の“チョングッチャン”や西アフリカの“ダワダワ”」だ」と書かれていましたが、今回はすべてクリアしたんですね。
高野 :はい、どちらも作り方から料理まで経験して、謎を解き明かすことができました。
高野 :アフリカに納豆があるとは聞いていましたが、本当にあるのかな?と思っていたので、実際にナイジェリアでダワダワを見て、仕込み方は違っているけれど作る過程は非常に似ているし、口に含んだら「納豆」なので感激しましたね。
ー日本人がイメージする納豆の食べ方と他の国の納豆では使い方が違いますよね。日本人は調味料としてはあまり使わないと思いますが。
高野 :いえ、もともとはそちらの食べ方だったんです。ごはんにかけて食べるようになったのは幕末から明治にかけてです。その前は納豆汁に代表されるような食べ方だったんです。
アジアの場合は大豆で作っているのだけど、アフリカでは「パルキア」というマメ科の樹木の実を使っているんですね。この木は自然に生えているものを使っているのでの生息域が決まっています。だから納豆が食べられている場所が限られているのです。大豆なら草木なので、外から持ってくることは可能ですが、樹木だとそうはいきませんからね。
それに、このパルキアの実(豆)の栄養価が大豆と遜色ないくらいとても高いんです。もともと根や樹皮は薬用に使ったり、葉は家畜の餌にしたりと、西アフリカでは最も重要な樹木だと言われています。
ー味はどうでしたか?
高野 :マメ科のもの、要するに豆ですけど、基本毒性が強いものが多いと言われています。先人の知恵で、このパルキアが食べられるようになったんだと思いますね。もちろん味もいい。莢が固いので割るのは大変ですが、マメの部分は見た目も大豆に似ています。収穫は高い木にスルスル登って取ってきます。房のようにたわわに実っていますので、たくさん採れますよ。
ー収穫期はあるんですか?
高野 :僕らが行ったときは時期じゃなかったんで、収穫するところは見られなかったんですね。雨季のはじめ、4月くらいが収穫期だそうです。乾燥した豆を取っておいて、納豆は通年作られます。商品としては悲しいくらい安いですが、調味料としては欠かせないものになっています。
ー日本でも手に入ります?
高野 :いえいえ。だから在日ナイジェリア人で納豆を代わりに使ってみたって人がいますけど、「イマイチ違う!」って言ってましたよ。時々、友だちや家族が日本に来るときに持ってきてもらって大事に使っています。加工品ですから輸入することに問題はないんですけど、需要が少ないですからね。
ーブルキナファソではハイビスカスの種からつくられる、ハイビスカス納豆が登場しますが、あれも食べてみたいですねえ。
高野 :あれはもう、出汁をとるためのものなんですよ。あんな小さな種からよく作る気になったと思いますよ。試行錯誤の上のことでしょうが、頭が下がります。そのあと取材したバオバブ納豆も出汁用。バオバブの種も小さいんですよねえ。
ーダワダワを使った料理で何が一番美味しかったですか?
高野 :「鯉の納豆焼きびたし」、これは美味しかった。これは日本人も感激ですよ。チキンバージョンとホロホロチョウバージョンもあるんですが、みんな美味しい。基本トマトソースベースに納豆が入っているんですが、どこにでもある、って料理じゃないんです。すごくいろいろなことを知っている現地の運転手も初めて食べた、って言ってました。日本の納豆でもできると思うんですが、本にも書きましたが、とにかく粘りすぎるんです。あれが邪魔。
取材から帰ってきて日本の納豆を食べようとすると、粘りが強すぎて「なんじゃこれ?」って気持ち悪くなりますよ。
ー粘りといえば、アフリカ人もねばねばしているものが好きというのは意外でした。
高野 :西アフリカの主な野菜って、オクラとかモロヘイヤみたいなネバネバした野菜なんですよ。ハイビスカスの葉っぱもそう。みんなアオイ科の植物ですけど、アオイ科って粘るのかなあ?ねばねばしているのが好まれるのも理由があって、一緒に食べるモチみたいなのにからみやすいからなんだそうです。
ー西アフリカでもすでにネット社会なんですよね。
高野 :もう普通ですよ。みんなスマホを持ってますからね。でも納豆みたいな伝統食品は、ネット社会から落ちているんですね。ナイジェリアのイボ族の納豆の作り方を知りたいと調べたんですが見つからない。あるイボ族の女性が、フェイスブックのコミュがあるから聞いてみる、と言ってくれたんです。イボ族の女性だけ1万人くらいいるコミュに、納豆の作り方を聞いてみたけど、反応が全くなかったんですよ。
そもそもフェイスブックをやっている人は、納豆の作り方なんて知らないんですよね。反対に納豆を作れる人は、フェイスブックを知らない。完全に文化が分断してしまったんです。
ー日本もそうですよね。でもこのコロナ禍のせいか、あるいは別の要因があるかもしれないけど、最近ではぬか漬けつけたり、梅干しつくったり、味噌仕込んだりする人が増えて、それをネットにアップしているでしょう?それがまたブームを加速しています。
高野 :ただ、最近では納豆に限らずいろいろな食べ方がネットで紹介されるとすぐに真似して伝播していくでしょう?そのうち、いちばんオーソドックスな食べ方がわからなくなるんじゃないかな?
ー韓国でもアフリカでもそうですが、女性たちが喋りながら作業するところは面白かったですね。そこで文化が伝わっていく感じがよくわかりました。
高野 :僕は「コミュニティ料理」って言ってますけど、しゃべりながら根気強く丁寧に作っていく作業は、どこの国にもあるんだと思います。
ーまたこういう方法がブームになったりしませんかね。
高野 :いえ、特に韓国では大家族が滅んでしまいましたからね。日本人が思っている「家族を大事にする」というイメージとは全然違います。とにかく合理化が叫ばれていて都市部に古いものがどんどん無くなっています。
例えば、全羅道の光州みたいな地方都市では都市部の巨大マンションに人口が集中していて、それ以外の場所はものすごく過疎化してます。田舎の風景は車道だけで広くて、誰もいない何もない、寂しいこと極まりないですよ。
だから韓国では手作りの食べ物がどんどん無くなっていたのですが、いまは日本と同じように都市部で手作りのブームが始まってます。変化のスピードがとにかく早いので、今見ておかなければならない。納豆という視点から見る今の韓国はすごく興味深かったですね。
ー日本はまだそれほどでもないのでしょうか。
高野 :ここ百年くらいの日本人は、こと発酵食品に関しては潔癖で完璧主義者なんですよ。日本酒の蔵にいくときに、納豆を食べて行ってはいけないってもう常識でしょ?他の国はもっとおおらかなんですよ。そのへんに付いている野良菌まで気にする必要はあるのか、と思います。でも生活自体が超清潔になってしまってますからねえ。
ー新潮社の編集者、いわゆる新潮納豆組とで行った、日本、韓国、アジア大陸、アフリカの納豆菌ワールドカップは物凄く面白かったです。各地の納豆や関係食品は全部持って帰って来たんですか?
高野 :そうです。いまウチの冷凍庫の中はすごい量の納豆関係で占められているので、妻に嫌がられていますよ。ワールドカップの章、不安だったんです。あの興奮や感動が伝わるかなあって心配してたんですけど。
ー前の『謎のアジア納豆』からずっと読んでいる人だったら、よその国の納豆ってどんな味なんだろうって読者は絶対興味を持っているはずなんですよ。でも高野さんと同じ経験が、おいそれとできるわけじゃない。だったらせめて、その味だけでも経験したいって思うでしょう。
新潮社担当登場:新型コロナ禍にならなければ、本当はその食べ比べをしてプロモーションしたかったんですよね。読者に味わってもらえば臨場感はもっと増すでしょうし。本当に残念で仕方ないんです。
ーそれにしても、『謎のアジア納豆』で残されていた謎を『幻のアフリカ納豆を追え!』で一つずつ解決していきますよね。私は読んでいて、それが痛快でした。
高野 :まさにリアルミステリーなんですよね。ミステリー連作短編集なんですよ。解決する度にすごい気持ちがいいわけです。それをいかに読者に共有してもらえるか、というのがテーマです。チャングッチャンの僕が感じていた違和感や謎が、ひとつのことが解明したことで全部綺麗に解決されるところなんて、「このミス」で賞をくれないかと思うくらい鮮やかでしょう?
ー思い込みが強い時は間違いやすい。ある意味、松本清張の『砂の器』のシーンみたいでしたものねえ。書いていて手ごたえがあったんじゃありませんか?
高野 :僕は30冊くらい本を書いていますが、一番大変な本でしたね。最後、調べることが多くて、発酵学、微生物学の専門家に聞いたり、植物学、民族学、地球環境、宗教、イスラム過激派に関することを調べたり、それをまとめてロジックを組み立てストーリーにして、しかも笑いを入れていくというのは至難の業でした。
でも最後、こんなにすごい結論に到達したことも初めてですね。ノンフィクションなのに「大どんでん返し」がくるw ぼくの「サピエンス納豆」仮説で、世界の食文化史がひっくり返ると自分では思ってますよ。しつこいけど、「このミス」や「文春ミステリベスト」で対象にしてほしいw
ー納豆をめぐる冒険はこれでおしまいですか?
高野 :あと少し、気になる場所があるんですが「謎を解く」ということではこれでおしまいですね。いまはインターネットなどでほとんどの情報が手に入りますが、納豆のような豆の発酵食品が他の国にあるとはもう思えないです。納豆菌(枯草菌)を使った食品、食材はあるかもしれないけれど、劇的に違うものはないと思います。あるとしても、アマゾンの奥地で人知れず食べている、というのはあるかもしれませんけどね。
ーいまは何を調べているのですか?
高野 :『イラク水滸伝』というのを書いています。本当ならこの4月にイラクの湿地帯を船で旅する予定で、アラビックのすごくカッコイイ船まで作ったんですよ。でもこのコロナ禍でいけなくなっちゃった。まあ来年ですね。
ー大丈夫なんでしょうか、船。
高野 :まあ、だめだったらまた作ればいいんですよ。割と簡単にできるんですね。向こうは石油が沸いているので、そこら辺から天然のコールタールがとれて、それを船の側面に塗りたくれば浸水しないんですよ。船づくりは異常に雑なんですが、5000年前のシュメール時代から同じ作り方なんですよね。とにかく、このコロナ騒ぎが早く収まってくれないかなと祈っています。(写真は編集部からお借りしました)