おすすめ本レビュー

地図の世界がいまアツい!『地図づくりの現在形』

首藤 淳哉2021年2月26日
地図づくりの現在形 地球を測り、図を描く (講談社選書メチエ)

作者:宇根 寛
出版社:講談社
発売日:2021-01-12
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読書の楽しみは、煎じ詰めれば、「これまで知らなかったことを知る」ことにある。その喜びは何物にも代えがたい。だから本好きにとって最高の本というのは、書かれていることが「知らないことだらけ」の本なのです。

本書はまさにそういう一冊だった。
店頭で思わずスルーしてしまいそうな地味なタイトル。でも手にとってみると、これまでまったく知らなかった奥深い世界が広がっていた。
いやー、まさか「地図」がここまで面白いとは!

地図は私たちにとっていまや空気のようなもの。スマホの地図アプリのお世話にならない日はない。でも当たり前のように利用しておきながら、地図そのものの来歴に思いを馳せる機会なんてほとんどなかったのではないだろうか。

でもね、地図は先人たちの大変な努力のもとにつくられているのです。
人類が誇る知的遺産なのです。ところがそんな地図の世界に、21世紀になって巨大な変革の波が押し寄せているという。どうやら私たちは歴史的な瞬間に居合わせているようなのだ。これはもう、読まないわけにはいかないでしょう。

さて、ひとまず近代から地図の話を始めることにしましょうか。
なぜ近代から話を始めるのか。それはこの時代において「地図は国家なり」と言われていたから。

国家の成立要件の中で、きわめて重要なのが「領土」である。ゆえに近代国家の成立とともに近代的な地図づくりが始まったのも自然なことだった。まさに貴族から市民の手へ主権が移らんとする18世紀のフランスとイギリスで、近代測量は産声をあげる。明治政府も地図の作成を重要な国家事業と位置付け、1869年(明治2年)に地図づくりをスタートさせている(新田次郎の名作『劒岳 点の記』はこの時代の測量隊の苦闘を描いたもの)。統一された規格で国土の全域を確定し、その姿を内外に示す。すなわち「地図は国家なり」の時代の幕開けだ。

このように国が責任をもって作成する地図を「基本図」という。
日本の基本図は明治以来、5万分の1地形図がその役割を担った。5万分の1地形図は、1924年(大正13年)にほぼ完成し、さあ次は、より精細な2万5000分の1地形図を本格的に整備しようとなったものの、日本全国を4000枚あまりの地図でカバーしなければならず作業量が4倍もかかってしまう。気の遠くなるような人手と費用を要するため作業は遅々として進まなかった。その後、空中写真撮影なども導入して、離島を除きほぼ全国の整備が完成したのは、実に1978年(昭和53年)のことだったという。もっと言えば、人工衛星画像なども駆使して、北方領土を含む2万5000分の1地形図が完全に整備されたのは、2014年(平成26年)というから驚く。なんと!ミッション・コンプリートはつい最近のことだったのだ。

ともあれ、私たちがもっとも慣れ親しんできたのはこの2万5000分の1地形図だろう。ビジネスや旅行、学校教育などで使われ、書店では1980年代はじめのピーク時に年間1000万枚も販売されたほどだったという。ところが、この2万5000分の1地形図には欠点があった。なにしろ作るのに手間がかかり、情報の更新に時間がかかってしまうのだ。ここに押し寄せてきたのが、デジタル化の波だった。

2007年(平成19年)、「地理空間情報活用推進基本法」が成立した。ポイントは、「地理空間情報」というこの法律で初めて使われた言葉。これは、(1)空間上の特定の地点または区域の位置を示す情報(位置情報)と、(2)位置情報に関連付けられた情報、と定義されている。つまり、絵や写真、文章なども、それが位置を特定できる情報であれば、地理空間情報とみなされるということ。これまでの地図の概念を大きく変えるこの法律に基づいて、国は電子国土基本図を整備し、ベースマップとして提供した。これにより、さまざまな地理空間情報を重ね合わせて表示したり、分析したりできるようになった。従来の紙の地図に加えて、さまざまなレイヤーの情報が埋め込まれた立体的な地図を、私たちはデジタル空間で利用できるようになったのだ。

情報通信技術や人工知能、宇宙技術、ビッグデータ、3Dなどの技術革新によって、地図はいまやイノベーションのかたまりだという。たとえば、細かい登山道を精確に記載するのは従来の地図が苦手としてきたことだったが、現在はスマホのGPSログのビッグデータを(個人情報が特定されないかたちで)利用し、登山者が実際に辿った経路を割り出している。もう地図は国家だけのものではない。もしかするとあなたも地図づくりに参加しているかもしれない。

これからの地図はより便利に、より身近なものになっていくだろう。街を歩いていると、目的地までのルートだけでなく、周辺の標高差や犯罪が発生した場所といった多様な情報が、ウエアラブル端末によって視界に表示される。そんな時代がもうすぐそこまで来ている。

さて、こうした新しい話にもワクワクさせられるのだが、本書は「これまで地図がどう作られてきたか」という話題にも多くのページを割いていて、こちらのほうもすこぶる面白い。

基本となる三角測量や、人工衛星を使ったGNSS測量、標高を求める水準測量の方法、空中写真を用いた地図作成の方法などが、懇切丁寧に解説されている。その懇切丁寧ぶりたるや、なんと「アナログ図化機」の操作法の説明にまで及んでいる。アナログ図化機というのは、連続して撮影された2枚の空中写真をもとに、地表の形状を立体的に図化するための特殊な機器のこと。

「そんな情報、何の役に立つの?」と思わずツッコミを入れたくなるが、著者のガイドのもと、図化のプロセスについて読み進むうちに、作業者が地図を見やすくするためにいかに情報を取捨選択し、編集しながら地図をつくっているかが見えてくる。例えば、市街地の一車線の道路は幅5mほどだが、これを2万5000分の1にすると、幅0.2mmになってしまう。これだと判別できないので、あえて幅0.4mmで記すとか。私たちが利用しやすいように隅々にまでなされた職人的な配慮。読みながら頭が下がる思いがした。

著者は、国土地理院の元職員である。著者の並々ならぬ地図愛が本書のそこかしこからビンビンに伝わってきた。それに、国土地理院という役所が誇り高き職人たちの集まりなのだということも(忖度だらけの他省庁の役人は真のプロの姿勢を見習うべし)。

あとがきによれば、本書の元になったのは、編集者との酒場でのよもやま話らしい。それを読んで納得。この世で雑談ほど面白いものはないからだ。しかもそれが篤実な専門家の雑談となればなおのこと。目を輝かせながら好きなことについて語るプロの話に耳を傾けるのって楽しいじゃないですか。

先日、本書をClubhouseのHONZ別室で紹介したところ、仲野徹が「国土地理院のホームページがめっちゃおもろい」と絶賛していた。そうなんです!みなさんにもぜひ見てほしい(本書でも国土地理院のホームページの活用法が丁寧に解説されている)。興味に沿っていろいろな地図を眺めていると、ほんと飽きることがない。キッズ向けのコンテンツも充実しているので、お子さんにもぜひ!