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『一度きりの大泉の話』初めて明かすあの日の出来事

首藤 淳哉2021年5月9日
一度きりの大泉の話

作者:萩尾望都
出版社:河出書房新社
発売日:2021-04-21
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まるで神様が血を流しながら苦しんでいるのを目の当たりにしているようだった。その傷跡からは、半世紀近くたった今も鮮血が滴り続けている……。

1960年代の終わりから70年代にかけて、少女漫画という新しいジャンルが誕生した。女性の漫画家が一斉に登場して、自分たちの読みたい物語を描き始めたのだ。彼女たちの漫画は、それまで男の漫画家が描いていた女の子が主人公の物語とはまったく異質のものだった。

この新興ジャンルにとってきわめて幸運だったのは、歴史のはじまりにひとりの天才が居合わせたことだ。その人物の名は萩尾望都。彼女が生み出す作品は信じがたいことにすべてが傑作だった。優れた小説や映画ですら萩尾作品の前では物足りなく思えるほどだった。天賦の才能を持ったひとりの人物によって、少女漫画はその誕生の時点からいきなり高みへと引き上げられ、サブカルチャーの最前線に躍り出た。萩尾作品に深い影響を受けた者にとって、彼女は神にも等しい存在である。

神様には神話がつきものだ。少女漫画の歴史の中で、「大泉」という地名は神話めいた特別な響きを帯びている。福岡から上京した萩尾が最初に住んだのが東京都練馬区の大泉だった。この地の2階家で萩尾は同世代の漫画家・竹宮惠子と共同生活を始めた。近所には後に竹宮のブレーンとなる増山法恵も住んでいた。3人はいつも一緒だった。

漫画史的な文脈では、この地から「少女漫画革命」が始まったとされる。彼女たちはこの場所で夢を語り合い、歴史を変える作品を生み出していった。大泉の共同生活は、男性漫画家たちのトキワ荘と対比して後に「大泉サロン」と呼ばれるようになる。

だが、この共同生活はわずか2年で終わりを迎えてしまう。
いったい何があったのか。これは長らく漫画史の謎だった。

本書は萩尾が「一度きり」の決心のもと、これまで胸の中に封印してきた思いを初めて明らかにした一冊である。なぜこのタイミングで萩尾は過去を明かそうと決心したのか。そこには竹宮惠子が2016年に自伝『少年の名はジルベール』を出版したことが影響していた。ジルベールとは竹宮の代表作『風と木の詩』の主人公の名前である。「少年愛」を初めて本格的に扱い、BL(ボーイズラブ)というジャンルを切り拓いた記念碑的傑作だ。自伝では『風と木の詩』の執筆秘話を中心に、萩尾や大泉サロンのことにもかなりの紙幅が割かれていた。

自伝の出版をきっかけに、にわかに「大泉サロン」への注目が集まり、萩尾のもとにも取材やドラマ化の話が持ち込まれるようになった。また、自伝を読んだ人から、読むように執拗に勧められたり、竹宮との関係を修復するように言われたりするようにもなった。静かに仕事をしていたいのに、あまりに周りが騒がしくなってしまったのだ。

「仕方がない、もう、これは一度、話すしかないだろう」と決心し、信頼する映画監督の佐藤嗣麻子を聞き手に大泉時代を振り返ることにした。まるでカウンセラーとクライアントを思わせる座組みだが、この比喩はあながち的外れではない。それほどまでに萩尾の負った傷は深く、記憶の蓋を開けることが負担だったのである。

大泉の共同生活を解消し、下井草に半年ほど住んだ後、萩尾は東京を離れ、埼玉の緑深い田舎へと引っ越すのだが、この時から竹宮と増山とは交流を絶っているという。また『風と木の詩』をはじめ竹宮の作品も読んでいないという。当時のことは一切忘れて考えないようにしてきた。なぜなら「考えると苦しいし、眠れず食べられず目が見えず、体調不良になるから」だという。これはもう立派なトラウマである。

そもそも萩尾にとって、竹宮と増山は眩しい存在だった。
萩尾がまだ地元で漫画を投稿していた頃、友人を介して知り合ったのが、増山法恵である。彼女はある種の文化エリートだった。都会育ちで音大志望、漫画はもちろん文学や映画などにも詳しく、萩尾の知らない作品をたくさん知っていた。増山は小学生の頃から密かに『ヴィレンツ物語』という少年ふたりの物語をつくっていた。この増山の「少年好き」は、竹宮にも多大な影響を与えた。増山は今でいうプロデューサーだった。周囲の創作意欲に火をつけて回る才能を持っていた増山のことを、萩尾は「鐘を鳴らす人」と評している。

萩尾はその後、竹宮惠子とも運命的な出会いをする。
ある時、編集者から旅館にカンヅメになっている作家の手伝いを頼まれ、それが竹宮だったのだ。増山と同様、竹宮もまた萩尾の目には眩しく映った。「美人で落ち着いていて、話し方が的確で正確」「穏やかで人間的にも立派。こんなに若いのに完璧な人がいるのだなあ」。漫画もうまかった。「サラサラと描けて身体のバランスが取れている。それも、走ったり跳んだりする動的な人物を全然迷わず、綺麗に伸びやかに描くのです。それがそのまま線の勢いになって躍動感がありました。本当に絵がうまい方でした」。

こんなふうに二人を褒めそやす一方、萩尾自身の自己評価はとても低い。
厳しい両親に抑え付けられて育ったために、何かあると「悪いのは自分」と考える癖があり、自分で自分を罰するようなところがあった(両親との関係は萩尾作品の重要なモチーフとなっている。たとえば母親との関係は『イグアナの娘』に、厳しすぎる父親像は『残酷な神が支配する』に投影されていると思う)。

ところが、竹宮の自伝には、まったく違うことが書かれている。その才能やセンスを仰ぎ見る思いでいたのは、むしろ竹宮のほうだったのだ。萩尾との共同生活の中で、竹宮は次第に追い詰められていく。萩尾の才能に「ジェラシーを感じた」「ショックだった」「圧倒された」といった表現が何度も出てくる。ついにはスランプに陥り体調も崩してしまう。
そして、「事件」が起きてしまった。

下井草に住んでいた時のこと。萩尾は竹宮と増山が暮らすマンションに「話がある」と呼び出された。そこで萩尾はある作品について二人に詰問され、竹宮から思いもよらない言葉をぶつけられてしまうのだ。

この後、さらに追い討ちをかけられるような手紙ももらい、萩尾はメンタルをやられてしまう。一連の告白は、読んでいると胸が苦しくなるようなものだ。作家にとって作品というのは自分の子どものようなものだろう。そこを完全に否定されたのだ。萩尾が半世紀近くたった今も傷ついているのは無理もない。ちなみにこの夜の出来事は、竹宮の自伝には記されていない。

本書を読んで思うのは、萩尾が「無意識の天才」であるということだ。
ある時、萩尾が「嫉妬という感情についてよくわからないのよ」と山岸涼子に話したら「ええ、萩尾さんにはわからないと思うわ」とあっさり言われたというエピソードに象徴されるように、自分がどれほどすごい才能の持ち主なのか、本人にはその自覚がないのである。これは竹宮や増山のような秀才にはキツイことだったろう。どんなに努力しても追いつけないことを常に思い知らされるからだ。まるで天体の「三体問題」のように、彼女たちの関係は初めから壊れる運命だったのかもしれない。

大泉についての願望や計画をお持ちの方に、お願いがあります。
大泉の企画は、私抜きでおやりくださいませ。
私はご協力はできません。お許しください。

すべてを語り終えた後、萩尾はこう記している。
ここまで強い拒絶の言葉を読んでなお、彼女に大泉時代のインタビューやドラマ化を持ちかけようとする者がいるだろうか。もしいるとしたら余程の無神経か、伝説に乗っかって自分の名を売りたいだけの愚か者だろう。

一人のファンとしては、どうかそっとしておいてあげてほしいと願う。神様が今も癒えぬ傷口をさらして語ってくれたのだ。知りたかったことは本書にすべて書かれていた。それだけでもう、十分ではないか。