おすすめ本レビュー

『ツボちゃんの話』愛おしい25年間の記憶

首藤 淳哉2021年6月29日
ツボちゃんの話: 夫・坪内祐三

作者:佐久間 文子
出版社:新潮社
発売日:2021-05-26
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つくづく子どもは親の思い通りに育たないものだと思う。
息子が生まれた時、英才教育を施そうと思った。といっても、勉強やスポーツではない。あらゆるサブカルチャーに通暁した人間に育てようと思ったのだ。

本やマンガ、音楽、映画などに幼い頃から親しませ、各ジャンルの押さえておくべき名作や傑作などを順に与えていけば、ひとかどのサブカルエリートに育つのではないかと思ったのである。

それに、サブカルエリート=東京っ子というイメージもあった。カルチャーの最前線から遠く離れた田舎育ちからすると、東京出身者は子供の頃からの蓄積が違う。伝説のライブを高校生で観たとか、中学から名画座をハシゴしているとか、こういう経験値では地方出身者は東京っ子に敵わない。でも東京生まれの息子なら、親ができなかった経験を早いうちから積めるかもしれない。

あれは息子が小学3年生の時のこと。そろそろ理解できるだろうと、映画『スター・ウォーズ』(「エピソード4」)を見せた。ぼくが生まれて初めて映画館で観た思い入れのある作品である。目論見通り、息子は夢中になった。しめしめとほくそ笑んでいたら、ある日、息子が唐突にこんなことを言い出した。
「天皇家って、どういう家?」

どうやら「スター・ウォーズ」シリーズを観るうちに登場人物の血のつながりに関心を持ち、そこからなぜか天皇家に興味が向かったらしい。息子は本棚から『歴代天皇総覧』という本を見つけ出し、読めない漢字だらけなのに飽きもせず眺めはじめた。そして、夏休みの自由研究で、我が家の「家系図」を作ると言い出した。「スター・ウォーズ」から天皇家を経由し、息子の関心は、自分のルーツ探究に向かったのである。

息子が6年生の時、母方(ぼくの妻方)の曽祖母が亡くなった。107歳の大往生だったが、その一周忌で親戚一同が驚く出来事があった。息子はいつの間にか曽祖母の人生を調べていて、「ひいおばあちゃんの一代記」なるレポートにまとめ発表したのだ。徳川家や水戸天狗党とのつながり、戦時中の風船爆弾開発者との意外な関係など、マニアックな話がてんこ盛りだった。発表を終えると、感激した年寄りたちが息子を取り囲み、質問を浴びせたり、息子の知らないエピソードを教えたりしていた。

そんな息子が、ある日また唐突にこう言った。
「坪内祐三って人、知ってる?」

小学校の歴史を調べる中で、卒業生であることを知ったという。息子は我が家にある坪内氏の本を読みはじめた。するとたちまち単なる母校の先輩から「すごい先輩」へと格上げされた。坪内氏の文章の何かが、ツボに刺さったらしい。ただそれが何なのかは、息子に訊いてもうまく言葉にできないようだった。そんなふうに憧れと尊敬の目で見ていただけに、坪内氏の突然の死は、息子にとっても大きなショックだった。

『ツボちゃんの話』は、坪内氏の妻で、元朝日新聞文芸記者の佐久間文子氏によるメモワールである。坪内氏は2020年1月13日に急逝した。本書の冒頭で明かされるのは、その「亡くなった日のこと」だ。

その日、坪内氏は体調がすぐれず、早めに床についた。異変が生じたのは深夜。隣で寝ていた坪内氏の呼吸音が急におかしくなった。ぜんそくの喘鳴のような、ブルブルと振動するいままで聞いたことのない激しさに変わったのだ。著者の動揺と恐怖がこちらにも突き刺さってくるような描写に息を呑む。救急隊員が駆けつけた時は心肺停止状態だった。その後、救命救急センターで夫の死を告げられた。あまりにあっけない亡くなり方だった。「私はこの人を死なせてしまった」「私は、どこで異変を見逃したのだろう」著者は自分を責める言葉を繰り返す……。

昨日までずっと一緒にいた大切な人が急にいなくなってしまう。
当たり前のようにあった日常がなくなってしまう。
そんな時、人はいったいどうすればいいのだろう。

著者は思い出すままに坪内氏のことや共に暮らした日々について記す。それは、酔っ払った時の口癖であったり、どうということのない日常のルーティーンであったりする。ひどい喧嘩のあげく「この人は自分の手に余る」「もうだめかもしれない、と本気で思った」と振り返ったかと思えば、「二人でいるとき、私はぜんぜん気をつかわずにいられた」「話したいことがいつもあった」と懐かしむ。相反する気持ちが同じエッセイの中に同居している。

思い出の色というのは、けっして単色ではない。楽しかったことがあれば、苦しかったこともある。笑った日もあれば、泣いた日もある。誰よりもその人の傍にいたのに、ずっと言えなかったこと、言えないままに終わってしまったことがある。こうした複雑な色合いをなす思い出を、無謀にも何かひとつの言葉で表すとすれば、それは「愛おしい」という言葉ではないか。

ぼくが好きなのは、ふたりがまだつきあう前、神奈川近代文学館の「広津柳浪・和郎・桃子展」で、著者が坪内氏にばったり会ってしまうエピソードである。少し前に著者はあることで坪内氏に怒りのファックスを送っていた。顔を合わせたくなくて、とっさに向きを変えて逃げようとするが、進んだ道は行き止まりで、坪内氏に追いつかれてしまう。いいシーンだなぁ、と思う。著者によれば、坪内氏は恋人と一緒だったそうだが(『三茶日記』では「近くに住む友人のHさん」となっている)、やがてふたりが結ばれることを暗示しているような一場面ではないか。

作家、エッセイスト、コラムニスト、書評家など、坪内氏はさまざまな顔を持っていた(個人的には雑文家という呼称がいちばんしっくりくる)。だが主な活躍の場だった雑誌は休刊が相次ぎ、彼を後押ししていた街の書店主たちも次々に店をたたみはじめた。昨年から今年にかけて、文藝春秋新潮社講談社などについてのすぐれたノンフィクションが立て続けに出版され、また先日は立花隆氏が亡くなっていたこともわかった。出版界が何か大きな岐路に差し掛かっているような気がしてならない。坪内氏の死も、こうした時代の転換点とつい結びつけてしまう。彼のような書き手は、もう二度と現れないだろう。

坪内氏の遺作となった『玉電松原物語』が出た時、落ち込んでいた息子にプレゼントした。それ以来、息子は何度もこの本を読み返している。なにしろこの本には、自分が生まれ育った地元のことが書かれているのだ。

ある日、小学校のそばに昔あった牧場の跡を探しに行こうと誘われた。
「本に書いてあったんだけどさ、牧場が火事になった時、背中に火がついた牛が校庭に乱入したんだって。坪内さんが小学校に入る前の出来事らしいけど」

マンションの植え込みの奥に「牛魂碑」と刻まれた碑を発見し、興奮して写真におさめる息子を眺めながら、はたと気づいた。東京生まれの息子にとっては、この地元こそがローカルなふるさとなのだと。

『玉電松原物語』で坪内氏は、自分のことを「東京っ子ではなく世田谷っ子」と書いている。しかも坪内少年の知る世田谷は「田舎だった」。息子が坪内氏の文章に強く惹かれるのは、同じ東京ローカルの、世田谷っ子の感覚に共鳴しているからかもしれない。

坪内氏の葬儀には、出版関係者だけでなく、小中学校の同級生や行きつけのお店の人たちも多数参列したという。博覧強記といわれた坪内氏だが、けっして本だけを読んできた頭でっかちな人ではなかった。その根っこには、生まれ育った地元や愛する人との暮らしがあった。こうした地に足のついた日常こそが、坪内祐三という人物の大切なコアになっていたのだろう。

どうやら息子はサブカルエリートにはなりそうもない。でも、今立っているこの場所から、少しずつ自分の世界を広げていってくれれば、それでいいと思っている。そう、君が大尊敬する坪内先輩がそうだったように。