青木薫のサイエンス通信

『コード・ガールズ 日独の暗号を解き明かした女性たち』を読む

青木 薫2021年8月22日
コード・ガールズ――日独の暗号を解き明かした女性たち

作者:ライザ・マンディ
出版社:みすず書房
発売日:2021-07-20
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わたしはサイモン・シンの『暗号解読』を訳した関係で、暗号まわりのことは多少知っているつもりでした。第二次世界大戦期についていえば、ナチスドイツの暗号であるエニグマはもちろんのこと、解読不能な天然の暗号として使われたナヴァホ語、そしてナヴァホ族の兵士である「ウィンドトーカー」たちのことも。ウィンドトーカーの存在も戦後しばらくは知られていませんでしたが、たしか1980年代には、子ども向けの人形、GIジョーのシリーズにも「ウィンドトーカー人形」が加わって、周知されることになったはずです。

ですが、この『コード・ガールズ』に書かれた若き女性たちの活躍のことは、これまでわたしも知らなかったです。もう、本書は知らないことばっかりでびっくり! 彼女たちは、戦後になっても、大戦中の自分たちの貢献を認めてもらおうとは全然しなかったし、今日に至るも(存命者は今もいます)、職場を離れたら口にしてはいけないとされていた言葉、たとえば「クリプトアナリシス(暗号解析)」といった言葉を口にするのはためらわれるという状況のようです。本書は、近年明らかになった資料と、そんな本人たちへのたんねんな取材にもとづき、第二次世界大戦の趨勢を大きく変えたコード・ガールズの活躍を、はじめて明らかにするものです。

そもそもアメリカは1930年代、ヘンリー・スティムソンが「紳士は互いの親書を盗み見たりしない」と言って暗号解読局を閉鎖したんですよね。そのため、とくにルネサンス以降、熾烈な暗号開発・解読戦争を繰り広げていたヨーロッパをしりめに、アメリカは新大陸で上品に紳士をやってたわけです。

そのスタンスを一変させたのが、日本の真珠湾攻撃でした。攻撃を食い止められなかったアメリカは大戦に参戦すると同時に、猛烈な勢いで暗号解読のための体制づくりに邁進します。男たちは戦場に行かなきゃならないし、そもそも戦場で手柄を立てて立身出世するのが第一目標の軍人は、情報部なんて機密ワールドには行きたがらない。で、軍が目を付けたのが、女子大生でした。

当時、アメリカの女性の大学進学率はわずか4パーセント。女の子が大学に行ってもなんら将来の展望もなかった。それでも大学に進学したのは、見返りなど求めることなくただ向学心に燃える女の子たちと、そんな娘を支えてやりたいという親がいる家庭だけ。陸軍と海軍は先を争うようにして、あの手この手で優秀な女子大生をかき集めます。

さらに、それだけでは人員が足りなくて、軍が次に目を付けたのは教師。というのは、当時、教育のある女性の就職先は教師だけだったからです。これまた、軍はあの手この手で、若い女性をリクルートします。さらにその後、陸軍も海軍も、女性を軍人として採用できるようになると(制服がおしゃれであることがけっこう重要だったんですね、若い女性らしいトピックです^^;)、学歴などないド田舎育ちの女性のなかにも、才能を見込まれて暗号解読者になる人が出てきます。

そんなこんなで、結局、陸軍は7000人、海軍は4000人に及ぶ女性を暗号解読のためにかき集めるんですよ。彼女たちはシフトを組んで24時間体制で仕事に取り組み、戦地の兄弟や恋人の力になりたいと懸命に働く。そしてアメリカは、あれよあれよというまに、世界に冠たるブレッチレーパーク(アラン・チューリングを擁するかの有名なイギリスの暗号解読部門)と互角のレベルになっていくのです。コード・ガールズが懸命に暗号解読に取り組むあいだ、日本の女性たちが何やらされていたかというと、竹槍訓練や千人針ですよ。それを思うと、いまさらながらガックリだわ…。

さらに、戦後、この陸軍・海軍の暗号解読部門が合体して、NSAになるんですよね。そう、今じゃ敵も味方も国民も盗聴しまくっている、アメリカ国家安全保障局です。アメリカは、まさにグローバルな情報通信システムの発展の時代に、真珠湾を契機として、暗号ワールドで一気にトップレベルに駆け上がった。そしてそれを支えたのが、コード・ガールズだったのです。

たとえば、日本海軍の暗号(連合国ではパープルと呼ばれていた)は難攻不落で、アメリカでもイギリスでも、もうお手上げかとさえ思われていた。そこに女の子たちがどっと乗り込んできて、ついにパープルを解読したのが、(今風の言葉で言えば)「ちょっとコミュ障でおさげ髪の、数学オタクの女の子だった」というのは、あまりにも話が出来すぎていて、マジか~~!となってしまいましたが、しかしそのパープル突破は大きかった。その後、日本軍の南方への補給路は寸断され、ひいては山本五十六の乗った戦闘機の撃墜につながっていくのです。

本書には本人たちへの取材にもとづく部分もふんだんにあるので、ほんとに臨場感のある面白さなのですが、ここでは、コード・ガールズがどれだけの緊張を強いられていたかという点だけ、最後にちょっと書きたいと思います。まず、彼女たちは自分がどんな仕事をするのかも具体的には知らないまま、リクルートされて職場に来るんです。が、すぐに、自分がやっているのは恐ろしく重要な仕事だとわかる。しかも、秘密を洩らせば軍法会議にかけられて銃殺かも…と思っている。そのため、コード・ガールズの中には固い友情で結ばれた人たちもけっこういたにもかかわらず、そんな間柄でも、自分が今日やった仕事のことなどはけっして口にしない。

さらに、彼女たちはたえず監視されていたし、監視されていることを知っていた。たとえば、あるコード・ガールが街に出たとき、(当時は、軍関係者が街を歩いていたら、車に乗せてあげましょうという申し合わせのようなものあったそうで)、夫婦連れが車を止めて目的地まで乗せてくれた。で、その夫婦が、「どんな仕事してるの?」的なことをしつこく聞いてくるんですって。そのコード・ガールは、軍で指導された通り、「灰皿の吸い殻を捨てたり、ゴミ箱の中身を捨てたりですね~」みたくうまくかわした。そして、目的地に着いて車を降りるとき、体をねじって後部座席を振り向いた男性の上着の袖がめくれて、上層の軍人であることがわかったんです。その軍人は、素性がコード・ガールにばれていることを承知のうえで、にっこりした(テストに合格ってことですね)。いやー、ヘタなことをしゃべったら銃殺かも、と思っているとしたら、これは恐ろしい状況ですよ。

彼女たちは女性蔑視にも当然ながらいろいろと直面しますが、しかし能力があれば、重要で責任ある仕事をどんどん任された。戦争は、女性の社会進出の大きな契機だったということはよく言われます。が、これまでは、つなぎのジーンズを着て工場で働く女性の姿がポスターになることはあっても、暗号解読に取り組む女性のことが、社会に知られることはなかったのです。じわっと、感慨深いです。