「解説」から読む本

『時間の終わりまで 物質、生命、心と進化する宇宙』

青木 薫2021年12月3日
時間の終わりまで 物質、生命、心と進化する宇宙

作者:ブライアン・グリーン
出版社:講談社
発売日:2021-12-03
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本書の著者ブライアン・グリーンは、超弦理論と呼ばれるミクロな世界についての理論を、マクロな世界の極致というべき宇宙論に応用する研究や、より一般に宇宙素粒子物理学と呼ばれる分野の研究で、長年第一線に立ってきた物理学者である。しかもグリーンは専門の業績のみならず、一九九九年に刊行されて世界的な大ベストセラーとなった『エレガントな宇宙』(日本語版は二〇〇一年刊行)をはじめ、『宇宙を織りなすもの』『隠れていた宇宙』という著作により、ポピュラーサイエンスの書き手として高い評価を得ている。また、英語圏では科学の案内人としてメディアへの登場も多く、科学の普及のための活動でも知られる。

そのグリーンの最新作である本書『時間の終わりまで  物質、生命、心と進化する宇宙』は、彼が満を持して踏み込んだ新領域であり、英語圏ではつとに高い評価を得ている。このたびグリーンが挑んだのは、自然科学の領域に留まらず、人間経験のすべてにわたり、人類がこれまで積み上げてきた知識のすべてを包括するような、統一的な理解があるとしたら、それはどんなものになるだろうかという壮大なテーマである。

このように言われると、ちょっと心配になる人もいるかもしれない。科学者や宇宙飛行士やサイエンス・ライターの中には、歳を重ねるうちに科学の領分から踏み出して思索を自由に解き放った結果、スピリチュアル方面に飛んだり、トンデモ方面に転んだりする人がときどきいるけれど、もしかしてブライアン・グリーンもそれ? と。正直言うと、本書の企画書を読みはじめたとき、私も一瞬、そこを懸念した。しかし、安心してほしい。彼に限ってそれはなかった。それどころか私は本書を読み進めるうちに、自然科学を超えたさまざまな分野に対するグリーンの関心の広がりと、彼の懐の深さに感銘を受けることになったのである。

グリーンがそんな壮大なテーマについて考えるきっかけとなった若き日の経験については、本書の「はじめに」に述べられている。それと似たような経験は、少なからぬ人がしているのかもしれない。そして多くの場合、懐かしい思い出としてセピア色になっているのだろう。しかしグリーンはその後の長い年月、物理学の研究に取り組むかたわら、折に触れて若き日の経験に端を発する思索を深めてきた。彼の研究分野の性格も、それに一役買ったようだ。その分野はしばしば「すべてを説明する理論の探究」と呼ばれるせいで、そんな理論の研究者なら、どんな問いにも答えられるのだろうと勘違いされ、神や人間の心にかかわる質問までされてしまうことがよくあるのだという。

これが私だったら、「いやー、的外れな質問をされて往生したわ」で終わってしまいそうだが、ブライアン・グリーンは違った。彼は、そういう問いこそは人間にとって重要なのだと真剣に受け止め、人類がこれまでに培ってきたさまざまな分野の知識と、自然科学の中でもっとも基礎的な自分の専門分野と知識との関係性を考えるようになった。グリーンの思想の中核となる概念をひとつ挙げるとすれば、「階層性」ということになるだろう。彼の唱導する立場は、本文では「入れ子になった物語」と呼ばれており、その思想の系譜を説明する原注(第4章注8)では、「入れ子になった自然主義」という、よりきちんとした表現が用いられている。

「入れ子になった物語」では、異なる階層の物語が入れ子になっている。それぞれの物語には、それを語るために必要な、その階層に特有の言葉があり、概念がある。階層の異なる物語同士は、一見すると互いに矛盾するように見えることもあるけれど、実は矛盾しない。矛盾のように見えるところには、実はたっぷりと再解釈の余地があり、再解釈することで得られるものは多いはずだ、とグリーンは論じる。

こうして本書では、自然科学の内部の階層(素粒子の階層、原子・分子の階層、より複雑な物質構造や生物の階層)はもちろんのこと、心や意識、芸術、宗教の階層までが語られていく。芸術や宗教の話までは勘弁して、と腰が引けてしまう人もいるかもしれない。しかし、心配は御無用。グリーンの記述はあくまでも「入れ子になった自然主義」の観点からのもので、やみくもに宗教や芸術に深入りするのとは別である。むしろ特筆すべきは、それらについて語る章のそれぞれが、その階層の物語への優れた案内になっていることだろう。

たとえば、近年ホットなジャンルに、意識についての研究がある(第5章)。この分野の研究者自身による本が、「最有力理論」とか「革命的新理論」などと鳴り物入りで次々と刊行されているが、専門家ならぬ一般読者(私のことだ)がそんな本を読んでも、もちろん勉強にはなるのだが、それぞれの著者の主張を分野の全体像の中でどう位置づけ、どう受け止めたらよいかわからずにモヤモヤするのではないだろうか。ブライアン・グリーンは親しみやすい平易な語りで、意識研究の歴史と現状を示し、現在ある有力理論の立ち位置が見て取れるようにしてくれる。グリーンが解説者としての手腕を振るうのは、意識研究の分野だけではない。言語の誕生や社会性の起源(第6章)、宗教や芸術の進化論的役割(第7章、第8章)など、論争の多いホットな分野についても、誠実な語り口で、それぞれの領域の見取り図を与えてくれる。これらのテーマを扱う章はとても読み応えがあり、それだけでも本書を読んで損はないと熱烈にお薦めしたいほどだ。とはいえ、あくまでも本書の骨子は「自然主義」である。今述べたようなさまざまな階層の物語は、「入れ子になった自然主義」の枠組みに血肉を与えるものなのだ。

本書では、時間の始まりから終わりまで、さらに時間の終わりを越えたその先までを見ていくが、その旅のガイド役としてグリーンが指名するのが、「エントロピー」と「進化」というふたつの有力な概念だ。そしてその旅に濃い陰影を与えるのが、あらゆるものの有限性、はっきり言ってしまえば「死」である。命あるものはすべて死ぬ。そればかりか、命なきものもいずれは崩壊し、宇宙そのものさえも終焉を迎えるらしい。辛気臭い話だと思われるだろうか? いいや、そうではない、とグリーンは力を込める。読者のみなさんには、その価値観の反転の経験を、グリーンとともに潜り抜けてみてほしい。

青木薫