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『大人のいじめ』それはリベラル競争社会の裏の顔

西野 智紀2022年1月31日
作者: 坂倉 昇平
出版社: 講談社
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激辛カレーを無理矢理食べさせる。校内の物置小屋に閉じ込める。プール清掃時に石を投げつけたり泥水をかけたりする。殴る、蹴るは日常茶飯事……。2019年、神戸市立東須磨小学校で起きていたいじめの一部だ。子供同士ではない。教員のあいだで発生した大人のいじめである。記憶に新しい方も多いのではないか。

この不祥事の紹介を皮切りに、増加の一途をたどる職場いじめのメカニズムを簡潔かつ明快に示したのが本書である。

著者は労働NPO法人や労働組合を設立・発足させ、年間約5000件もの相談を受けている、労働問題の専門家だ。曰く、労働相談は今やいじめとパワハラに関するものが圧倒的で、厚労省の調査によれば9年連続1位、2020年度は10万件近くに及び、解雇や退職といった事由に2倍以上の差をつけているそうだ。

職場いじめなんか昔からあった、何を今更と思う向きもいるかもしれない。出世争い、嫉妬、上司からの罵倒、等々。しかし、著者によると、そういった相談がなくなったわけではないが、近年のいじめにはそれまでとは異なる特徴が3つあるという。

1つ目は過酷な労働環境である。いじめが発生している職場の多くが、過労死ラインをオーバーする長時間労働、休暇が取れない、低賃金、人手不足、膨大な業務量といった状況に陥っていた。つまり、これらのストレスのガス抜きがいじめなのだ。

2つ目は職場全体の加害者化だ。いじめや嫌がらせの加害者が、上司だけでなく先輩や同僚である割合も高まっているのだ。先述の神戸の小学校の事件も同僚教諭によるものだった。労災認定された職場いじめの4割が同僚からというデータも目を引く。

そして3つ目が会社によるいじめの放置である。ハラスメント相談を持ち込んだ人の勤務先の5割が何も対策を講じていなかったのだ。

この理由について、著者は特徴3つをまとめたうえで、以下のように推察する。

近年の職場いじめは、①厳しい労働環境で働かせ続けるために、②上司はもちろんのこと、一般労働者である同僚までもが「自発的に」行うほど浸透した、③労務管理のシステムとして機能しているのではないだろうか。

この仮説を踏まえたうえで、著者が受けてきたいじめ相談の事例が生々しく述べられていく。

ある20代男性は、メディア業界の下請け企業で勤務していたが、そこはいじめと暴力が蔓延する職場だった。白昼の人通りの多い場所で先輩社員から叱責、暴行される。ミスやうたた寝をすればすぐ拳が飛ぶ。連日の説教、流血。女性社員すら胸ぐらを掴まれた。

この暴力の背後には働き方改革があった。クライアントや元請け企業がきっちり休むようになったため、締め切りは短く、労働密度は濃くなり、リーダーとなる先輩社員は激務となった。プロジェクトの単価が下がっているため、下請けは人件費をカットせざるを得ない。こうしたストレスが絶え間のない暴力へと繋がった。相談者の男性は「この業界の通過点として耐えようとした」と話した。

たちの悪いことに、これらの不満は自分が先輩となったとき、後輩に矛先が向くのである。まさしく暴力の連鎖だ。男性は元同僚とともに録音データを使って団体交渉を行い、会社側は長時間労働の削減を余儀なくされ、最も暴力をふるっていた先輩社員は懲戒解雇された。

いま、本書に載っている一例としてメディア業界を挙げたが、著者によれば、職場いじめが最も多いのは医療・福祉業界だそうだ。より具体的には保育・介護の職場である。人間関係が密でトラブルが起きやすく、対人のケア労働のためストレスが発生しやすい。そのうえ、7割以上の職場でパワハラ対策が講じられていない。

ある20代女性は、介護施設の大手フランチャイズを謳う会社に勤めていたが、先輩の女性職員から陰湿ないじめと侮辱に悩まされていた。嫌がらせは業務にも及び、まともに休ませてもらえず、父親が亡くなったときも出勤を迫られた。

この職場も過酷な環境に置かれていた。社長は介護業を金儲けの道具として見ており、現場未経験で仕事は施設職員に丸投げだった。職員が少ないのでワンオペが当たり前、24時間勤務シフトが月2回ほど回ってきた。休憩らしい休憩はなく、給料遅配や明細と振込額が違うこともあった。おまけに利用者の介護事故も多発していた。

女性は退職後、介護・保育ユニオンに相談、社長に一連のことを謝罪させ、解決金が支払われた。しかし、嫌がらせの主犯である先輩職員もとうに退職していた。

福祉が利益第一のビジネスの手段となれば、理想的な保育や介護を訴える労働者は邪魔者になる。重要なのは、経営者が手を下さずとも職場内で勝手に経営者の思考を汲んで邪魔者を排除するように動いてくれる点だ。

著者はこのような職場いじめを総括して「経営服従型いじめ」と呼称する。低賃金、過重労働の職場において、動きが悪かったり反抗的だったりする労働者は周囲に迷惑をかける存在としてストレスの捌け口にされやすい。経営者からすれば、労働環境の改善を図らなくとも、加害者たちが自発的に標的を反面教師にして団結してくれるので楽なことこのうえない。

そうして生ずるいじめは、自警団的な正義感や使命感に根ざしているので、相手を人間扱いしない卑劣なやり口となる。なんともおぞましい現実だ。条件さえ揃えば、誰でも被害者にも加害者にもなり得る。むしろ後者にならないための自制心のほうが重要かもしれない。夢と希望が謳い文句のリベラル競争社会の裏の顔がここにはある。

著者は、いじめへの対抗として、会社や上司による解決などといった幻想は捨て、文書の保存、暴力音声の録音といった着実な証拠集めを推奨する。いくら社会構造に問題の本質があれども、眼前の嫌がらせに理解を示す必要はない。苛烈ないじめ事例の数々に、通読するだけでも苦しいが、今の時代を生き抜くための自衛の書であることは疑いようがない。